東日本大震災により被災されたすべての皆様に、心より
お見舞いを申し上げます。

一日も早い復興をお祈り申し上げます。



あれから丸2年になります


あの日、娘の卒業式でした

式が終わり、謝恩会に行く予定でしたが、

体調が悪いとキャンセルし帰宅


2週間後には上京予定の娘がたまたま在宅


3人で食事に出かけ、さて「いただきます」と

共にやってきた揺れ


とても長く長く強く揺れていました


宮城県沖地震を経験している私も経験のない長い強い揺れでした


すぐさま、車で自宅に向かいました

いつも交通量のある国道がガラガラ


信号はまだついていた気がします

その後すぐ信号も消え、渋滞になりました


高速の橋げたの脇をしばらく行くので頭に阪神淡路大震災の映像が頭をよぎる


15時前に帰宅

犬を確認!無事!!

思ったより被害はない気がした


まずお風呂に水を溜めた

すぐに電気水ガスすべて停止


夫はまず帰宅しないだろうと(仕事柄)


避難する人、うちに戻る人、その後の行動はまちまちだった


うちは岩盤でできている高台なので、

まさか、津波であんなことになっていることも知らず、数日過ごした

電気も使えず、水も出ず、ガスももちろん出ない

携帯も通じず、NTTの家電話も通じない


雪も降ってきた

真っ暗だ

寒い

3人でリビングに布団を寄せ合って寝た


学校に水を汲みに行く

飲む水、トイレ用の水

娘たちと何度も行く


本当に小さい子供がいるうちは大変だと思った


会社から呼び出される

石巻、塩釜、気仙沼の被災した荷物を少しでも届ける準備

受け取る人たちの無事を願った

濡れてるだけでなく大量のヘドロ異臭がする

乾燥させて届ける準備


1週間で電気、水の復旧

ガスは1か月かかった


義母が津波にあい見つかるまでに1週間

無事だった


女川の親戚は犬を連れに戻って戻らなかった

まだ戻らない


友人は車の中で1週間後家族と一緒に見つかった

中学の息子の卒業式だった


まだまだ、もう会えない人がいる


私たちは1週間後テレビがみれるまで津波の被害の大きさが

わからなかった

新聞の写真は伝えてくれたが、あれ程とは思わなかった


余震もずっと続いた


2週間後娘たちを東京行きのバスにのせる

震災の1週間前に上京する部屋の準備ができていた

でも、東京の部屋はどうなっているのだろう

耐震の準備はしていた

良かった、ほとんど影響なし

娘達だけでも暖かいお風呂に入れたらと思った


約1か月

電気、水道、ガス、ガソリン、電話

あたりまえに使えたものが使えなかった


でも

うちで暮らせる幸せ


そして、安否を心配してくれた友人たち

友人からの支援物資

ほんとうにありがたかった


海の近くに実家のある知人が

「ここは普通に暮らしてる

なにもかわらない

実家は流されてすべてがなくなった

一番悲しいのは思い出がなくなったこと」


被害が少なくても

まだ、心がざわざわする

涙がでる

寒い夜空の綺麗な日はあの晩を思い出す



まだまだ仮設住宅が立ち並びたくさんの人が暮している

いろいろな思いで暮らしている



まだ2年、忘れないでほしいと思う