こんな私の拙いブログにお立ち寄り下さり、
本当に感謝しています。
ブログを始めて2ヶ月。
すっかり、私の日常になりました。
親や子供との関係を掘り下げる事により
自分自身を見つめ直すきっかけに
なりました。
そして、何より
このブログを書くという作業が、
私の心の浄化になっていると
実感しております。
ここは、私の居場所。
家族も友人も知らない避難場所。
コメントを下さったり、
共感していただける度に
勇気づけられます🙏
思えば、私という人間を
いちばん知らないのは、
私の子供達なのかもしれません。
私が産み、私が育て、
愛している子供達です。
子供達から見たら、
私は「お母さん」。
それ以外の何ものでもない。
幼い時から、そして成長した今も
そして今後も、私が死んでも、
私は「お母さん」
でも、子供は私を、
ひとりの人間、
ましてや、ひとりの女性として
見ることは無いのでしょうね
子供ってそんなものですよね。
子供には、
自分の理想とする母親像があり、
そのイメージから逸脱する私は、
いいお母さんではないみたい。
エプロンの似合うお母さん。
太陽みたいに明るくて
あったかくて
ニコニコしていて、
失敗しても大丈夫だよと
思わせてくれる安全地帯
干したてのお布団みたいに
いい匂い🧸
私の子供が、
求めている理想のお母さんは、
この世界のどこかに
いるかも知れないけど
少なくても私ではない。
私には私固有の人格があります。
そして、その私を認めて、
必要としてくれる人もいる。
私は、母親でもあるけど
それ以前に、普通の
何でもないひとりの人間。
怒ったり、迷ったり、
泣いたり、嘘ついたり、
失敗もたくさんしたけど、
その度に何とか立ち上がって
ここまで来た普通の人。
単に普通の人だから
普通に欠陥があるよね…
子供が理想とするような
常に慈愛に満ちた
菩薩のような母親には、
ひっくり返ってもなれない。
それでも、子供のために出来る事は
何でもしたいと思っているのよ。
押し付けに感じられる愛情は、
愛情ではないの?
もはや愛情ではなくて、
支配なの?
教えてほしい🥲
なかなか買えない釜飯が
手に入る時など、
真っ先に子供にも買って行こう!
と思って届けてしまう。
初めのうちは、
有難うと言って受け取ってくれた。
最近は、嬉しくない態度が明らかに
感じられる。
これも、
私の価値観の押し付けのひとつ?
美味しいでしょ?
買って行くよ。
あー、この構図は、
母が作ったお惣菜を受け取る時に
私が、感じるモヤモヤと全く同じだわ❗️
ごめん、
もう、「釜飯、買って行こうか?」
なんて聞かないよ…
もう、買わないよ。
子供が、母親というフィルターを
通して私を見ている限り、
子供は、本当の私の姿を見ることはない。
こんなに近いのに
遠い存在なのは、悲しいよ。
お互いにありのままを
丸ごと受け入れられる
間柄になりたい。
これも親のエゴなのかな…
続きます。