私の両親は、現在、ふたり暮らし、

いわゆる老々介護です。





母は、持ち前のエネルギーと

体力と勝気な性格も相まって

要介護4、身障者手帳も有する父の

世話を現在、引き受けています。




クローバークローバークローバークローバークローバークローバー




2016年、

父が、交通事故に遭い、

両親の生活は、

一変しました。




一年近い入院生活の後、

父は自宅での療養を始めたのですが、

そこに辿り着くまで

たくさんの葛藤がありました。





まず、

私の弟は、父を自宅に戻すことに

大反対でした。





母に、体の不自由な父の世話は

出来っこ無いと、

はなから決めつけていました。





おふくろに

介護なんて出来るわけ

ないだろうが〜




いつものようにぶっきら棒で、

愛想もへったくれもない口振りです。





そうなんです。

母は、愛情ホルモン?

オキシトシン?が、

少ない女性だと、私は思います。





私は、母に抱きしめられた記憶も

頭を撫でられた記憶もありません。





母に介護は出来ないと

言い切った弟の言葉を聞いた時、





弟も、母の愛情を

身をもって感じた事がなかったんだ…

と、その時、分かりました。





母は、家族の中で

いつも支配者でした。





家族の動静に目を光らせ、

管理している。





母の価値観の中で縛られ

逸脱する事は許されない。





母の仕事は、きっちりしていたけど

遊びや余裕が無く、

窮屈な家庭でした。





弟は、本能的に

母には父の介護は出来ないと、

感じたみたい…





もやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもや





あれから5年。




私や弟の心配は、今のところ

杞憂です。




いやいや、

一歩、間違ったら真っ逆さま

危ない綱渡り状態ではあるけど…





父の心が悲鳴を上げている。

母の心もガチガチに固まっている。

イライラ、

イライラ





私は、手伝いはするけど

別の家に暮らしているので

そんなふたりを

モヤモヤしながら

見つめている。






母も苦しいんだよね。

ごめん。




もやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもや





私が育った家では、

挨拶がありませんでした。





おはようも、

行ってらっしゃいも、

ただいまも、

頂きますも、

ご馳走様も、

お休みなさいも、



そして、

ありがとうも、

言わない家庭でした。




それでも、

私は成長する過程で、

社会性を学び、

家の外では普通に

挨拶出来る人になりました。




でも、未だに実家では、

挨拶出来ないんです。




ただいまって言いながら、

実家に帰った事は

今まで一度もありません。




母から、お帰りなさいと

言われた事も

一度もありません。




弟の口からも

ありがとうと言う言葉を

聞いた事がありません。



母も、弟も、

家族に対する態度は

素っ気ないかわりに




家の外では、

やけに明るく

愛想が良いので、

感じのいい人と思われています。





もやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもや




介護の世界では、

それも、家族の介護に関して、

ありがとうという言葉は、

潤滑油ですよね…




父も、母に対して

ありがとう

と、言った事が

一度も無いと思う…きっと。






弟に

"母に父の介護なんて出来ない"と

言わしめたのは






私達姉弟が育った家庭には

ありがとう

という言葉が無かったから?かも…





もやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもやもや





弟と、普通に心を通わせたい。





その昔、

私が弟に歌を歌ってあげていた

子供の頃のように














続きます。