皆さま、お久しぶりです

4月の国別が終わってからずっとブログお休みしてましたけど、私は元気にしています。
この春引退した、龍樹くんのインタビューが良かったので保存のために記事にしました。
羽生結弦の“同期”として過ごした競技人生 引退選手明かす
6/4(金) 11:12配信
「“もう充分だな”と思う瞬間がないまま、引退を迎えました。でも“まだまだだな”って思ったままで終わることができたというのは、アスリートとして、スケート選手としては幸せなことだったと思います。ゆづもきっと、いつか引退するとき、100%の満足はしないんじゃないかな」
そう話すのは今年の3月でフィギュアスケートの現役を引退した日野龍樹さん(26)。羽生結弦選手(26)と同年齢で、同じく同期の田中刑事選手(26)らとともに、幼いころから切磋琢磨してきた。そんな日野さんに羽生選手についてお話を伺った。
「同い年ですし、仲良しです。ゆづは、おもしろいやつですしね(笑)。同期としても大事な存在です。昔は試合によって、僕が勝ったり、ゆづが勝ったり、という時期もありましたが、どちらが勝っても負けても“じゃあ次も頑張ろう”という感じで励まし合ってきました。競技人生の後半は、僕が圧倒的に追いかける形になりましたが、彼がいてくれるから頑張ろうと思える、ありがたい存在でしたね」
日野さんが羽生選手と出会ったのは、小学生のとき。
「小学校4年生のとき、合宿で一緒になって。そのとき初めて面と向かってしゃべりました。宿泊する部屋は別だったんですが、ゆづが僕らの部屋に来て。僕のルームメイト2人が見たいテレビ番組が別でちょっともめていたんです。『ヘキサゴン』っていうクイズ番組と、サッカーの日本代表の試合のどちらを見るかという話し合いを4人でしていたんですが、“なんで羽生もいるんだろう”って思ったのを覚えています(笑)。
ゆづはどちらを見たいというわけでもなく、どっちの意見も聞いて、何で見たいか、何時に終わるのとか、全部聞いていて。なにか話していたかったんでしょうね(笑)。番組が決まったら観ずに、自分の部屋に戻っちゃいましたから。“帰っちゃったよ”って思いました(笑)。とにかく明るくて、元気で、よくしゃべるな、という印象でしたね」
同世代の選手たちはみんな仲が良かったというが、交流は主に試合のとき。
「みんな住んでいる地域が違うので、ふだん遊びに行くということはできないんですよね。一緒に海外の試合に行ったりしたら、ご飯を食べに行くときに一緒に行ったり、そういう思い出はあります。プライベートでどこかに出かけた思い出はないですが、いつか行ってみたいですね」
引退したばかりの日野さんだが、7月から“会社員”の道を歩む。フィギュアスケート指導者の道は、あえて選ばなかった。
「本当にスケートを教えたくて仕方がない人が教えるべきで、今までスケートをやってきた流れで指導者をやる、というのは僕は嫌でした。それに今までスケートという殻の中で生きてきてしまった。きちっと社会に出て、人生の本当の難しさを知りたいなとずっと思っていたので、“スケート関係の仕事”という選択肢も自分のなかにありませんでした。ただこれからの経験を経て、数年後にまたスケートをかじっているかもわからないです。絶対なんてないですからね」
引退を決めるまでの日々のなかで、周囲の同世代が辞めていく寂しさや、肉体的な限界を感じることがあったという。同い年の羽生選手も同じような大変さや辛さを感じていそうだが――。
「ゆづも、あると思いますね。同期がいるというのは心の支えになりますから、僕が引退したことで、もう(田中)刑事とゆづ2人でお互いを励まし合っていくしかないので申し訳ないですけれど……。“先に辞めてごめんね”という気持ちと、逆に“僕のぶんもよろしく”という気持ちもあります」
羽生選手は北京五輪に出場すると思うか、そこでネイサン・チェン選手に勝てると思うか、という本誌の問いに「当然出ると思います、目指さない理由がないです」「ゆづが自分の持っているものを最大限に出したら勝てると思います」と、日野さんは即答する。羽生選手と“引退”についての話をしたことはあるのだろうか。
「ないですね。だから、ゆづがいつまでやるのかは、わからないですけど、とにかく体調とケガに気をつけてやってくれれば。彼のスケートが好きですし見ていたいなとも思う一方で、ストイックすぎるので休んでほしいっていう気持ちもあります。どこかで区切りをつけてやってほしいとも思いますけど、まだいけると思ったら“もう一年”“もう一年”とか言いだしそうでもありますよね。
とにかく彼がやりたいようにやってくれれば、と思います。来年でも、再来年でも、そのあとでもいつでも、本人のタイミングでスケート靴を脱ぐという決断をするのならば、そこまでは、全力で応援し続けます」
日野さんから羽生選手にかけたい言葉を聞くと――。
「『頑張れ』とかそういう言葉は、もう何千回、何万回、何兆回言われていると思うんです。僕から改めて『頑張って』ということはもう滅多にないと思います。言われなくても頑張りますから、ゆづも(田中)刑事も。ですから、何年後になるのかわからないですけど、きちっと最後を迎えられたら、そのときに『お疲れさま』という言葉をかけてあげたいですね」
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羽生結弦 引退の同期を涙させた言葉「一緒にやれてよかった」
「ゆづの世代のスケート選手はみんな、彼の存在に引っ張られて頑張ってきたところはありますね。僕自身も練習をしていて技の調子が悪いと、“こうしているうちにも、ゆづはきっとまた新しい技を習得する努力をしている。差が開いていっちゃう”と自分にプレッシャーをかけながらやってきました」
羽生結弦(26)について、本誌の取材にそう話してくれたのは日野龍樹さん(26)。今年の3月をもってフィギュアスケートの現役を引退し、この7月からは会社員として勤めるという日野さんは、羽生と同年齢だ。
「初めてゆづと話したのは小学校4年生のとき。合宿で一緒になったんです。明るくて元気でよくしゃべる、という印象でした」
以来17年、同期として切磋琢磨してきた“戦友”で“同志”だ。
日野さんが教えてくれた’16年のNHK杯のときのエピソードからは、孤高に闘っているようにも見える羽生も、仲間が大好きであることが伝わってくる。この試合は田中刑事選手(26)も加えた同期3人がそろって出場。
「シニアのカテゴリーで、3人そろって国際大会に出られるのは初めてだったんです。そんな日が来たことがうれしかったですが、いちばんうれしそうだったのがゆづ。大会期間中、更衣室でゆづがリラックスして過ごしているのを見たんです。国際大会ですし、もっと近寄りがたいオーラを放っているかと思っていたので意外でした。
でも、あとから人に聞いたら『ゆづはいつもはあんなにリラックスしてないよ』と。同期3人がそろったので、それを彼なりに楽しんでいたのかなと思います。試合後も会場の通路で、ゆづがニヤニヤして歩いてきたので『なんだよ』と言ったら『単純にうれしいんだよ』って。照れますよね、そんなこと言われたら。それだけでも出られてよかったし、3人で出られたことが感慨深かったです」
羽生と直近で顔を合わせたのは、昨年末の全日本選手権だという。
「コロナ対策を徹底していて話はそんなにできなかったんです。でも、フリーのグループ練習で僕がリンクから上がろうとした際、リンクに入ってきたゆづとすれ違って。目が合ったときに『おはよ!』って先に言ってくれました。昔と変わらなくてうれしいですよね」
引退にあたり仲間から寄せ書きを贈られたというが、羽生からも“はなむけの言葉”があったそう。
「ゆづは『知り合ってから何年もたつし、お互い変わっただろうけど、根っこの部分は何も変わらないんだろうね』というようなことを書いてくれて。それともうひとつ、『ここまで一緒にやってこれてよかった』という言葉も。ジワーッときましたね。子供のときからのことを思い出しちゃいますよね」
引退した立場から羽生に対して思うことを聞くと――。
「“先にやめてごめんね”という気持ちと、逆に“僕の分もよろしく頼む”という気持ちがあります。これまでどおりずっと応援しているということを伝えたいです。昔から同期3人で一緒に旅行に行きたいと話していて。いつか一緒に温泉にでも行けたらいいですね。ゆづがいちばん元気ですから、旅行に行ってもいちばん元気で過ごすのだろうなと思います」
引退した同志への思いも大切にしながら、今日もきっと羽生は“練習”に励んでいることだろう。
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「羽生結弦が怖かった」同期・日野龍樹流の競技人生の終わり方 バイトでつなぐも4回転時代に適応できず
2021年4月16日 11:00
15日から始まった世界フィギュアスケート国別対抗戦。羽生結弦選手らが今シーズンの集大成ともいえる大会に挑む中、今季限りで競技人生を終えた選手がいます。羽生選手と同い年の日野龍樹選手。用意されたのは、特別なラストステージでした。
19年間のスケート人生にピリオドを打ち、惜しまれつつリンクを去った、日野龍樹選手、26歳。
波乱万丈な競技人生でした。
同い年の羽生結弦選手に刺激を受けてレベルアップ
「滑走券をお持ちですか?」(日野龍樹 選手)
名古屋市内のスケートリンクで働く日野選手。
大学を卒業後もアルバイトをしながら、競技を続けてきました。
ロシア人の父と日本人の母を持つ日野選手は、6歳からスケートを始め、競技歴は19年にも及びます。
人生の大半をリンクで過ごしてきた裏には、ある偉大な同期の存在がありました。
「なんせ、ゆづがずっとトップにいたので、ゆづのおかげでずっと頑張ることが出来ました。感謝しかないです」(日野龍樹 選手)
実は日野選手、“ゆづ”こと羽生結弦選手と同い年。
小学生の時には、ライバルを抑え日本一を勝ち取ったこともありました。
さらに、ジュニアの世界一を決める舞台では、得意のトリプルアクセルだけでなく、細かいところにまでこだわる持ち味を発揮し、メダルを獲得。
同期に刺激を受けながら、着実にレベルアップをしていきました。
「こうしている間にもあいつ(羽生選手)は上手くなっているはずだとか考えると、もう取りつかれていたように練習していましたね。羽生選手より怖いものはないですね」(日野龍樹 選手)
ところがその後、羽生選手がけん引する男子フィギュア界は著しく進化。
4回転ジャンプを複数跳ぶ時代についていけず、思うような結果を残せなくなりました。
このまま、大学卒業を迎えた日野選手。
中京大の同級生・村上佳菜子さんが引退するなど周りが社会人になる中、まだ辞める気にはなれませんでした。
「途中で投げ出すっていうのは、それまでの人生を否定するようなものだったので、とにかくいい終わり方ずっとずっと考えていました」(日野龍樹 選手)
ベテランの域になっても、「まだまだ上達できる」。
その模範を示すのが、今なお第一線で活躍する羽生選手や田中刑事選手といった同期たち。
「せめて強化選手に入らないと終われないっていう、世代のプライドみたいなものを守りたかったので、続けてこられたのはその一心でした」(日野龍樹 選手)
気づけば、愛知の最年長スケーター。
誰もが慕う良き兄貴分となっていました。
「普段映画を見に行ったりとかご飯に連れて行ってくれたり、僕が困っていたり悩んでいた時もそっと寄り添って、何か後押ししてくれるような優しい頼れる先輩です」(山本草太 選手)
「焼肉とかカラオケとか、大会後とかおごってくれたりして良い先輩です」(壷井達也 選手)
先輩のプライドを保つためにもこの先どうすればよいのか。
「本当は就職しなければいけない歳なのに、まだ選手をやっている人は、それだけ続ける意味がある練習をしないと存在価値がなくなるので」(日野龍樹 選手)
こだわり続けてきた長所、スピンやステップなどジャンプ以外の要素を伸ばすことに専念。
プログラムに円熟味が増していきました。
すると、今シーズン。
その努力が実を結び、念願の強化選手に返り咲き。
ようやく、引退する決心がつきました。
「もう今年しかありえないってくらい、今だって感じですね。まだ動けるっちゃ動けますけど、けじめをつける感じですね」(日野龍樹 選手)
現役最後のトリプルアクセルを決めた日野選手(2021年3月)
愛知の最年長スケーター、競技生活に別れを告げる時「悔いはない」
3月末に行われた「愛知フィギュア」。
日野龍樹選手、現役最後の日です。
愛知のフィギュア界を長年引っ張ってきた功労者には、特別なラストステージが用意されていました。
「まだできそうなのにって演技をして終わるのが一番いいですね」(日野龍樹 選手)
後輩スケーターから花束を受け取る日野選手
後輩たちに見守られながら、スピンやステップ、一つ一つの要素を丁寧に、こだわりを貫き通しました。
そして、フィナーレは得意のトリプルアクセルで19年の競技生活を締めました。
「やっと終わったなって、寂しさよりはホッとしたなって感じです。悔いはないです」(日野龍樹 選手)
(4月8日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より)
⭐⭐⭐⭐⭐⭐
龍樹くん、お疲れ様でした。
龍樹くんのお話は、いろいろと興味深いですね。
小さい頃からの同期だからこそ知っているエピソードを語ってくれてありがとうございます😆💕✨
合宿の時のテレビ番組の話とか初めて聞きました。
別の部屋なのに、来て、話全部聞いて、見る番組決まるのを見届けたら自分はテレビ見ないで部屋へ帰って行ったっていう(笑)
2016年のNHK杯の時の話なんて、更衣室でリラックスしてる羽生くんが、普段はそうじゃないのにその時はリラックスしてて、嬉しそうで。
ニヤニヤして「単純に嬉しいんだよ」って。
そんなところを読んだら、なんともいえなく幸せでうるうるしてしまいました。
あの時の羽生くん、本当に嬉しそうでしたからねー。
あの時は、確か誰かが棄権したか(うろ覚えですみません)で、龍樹くんがくりあがってNHK杯に出場が決まったんですよね。
全日本以外で3人が揃うの珍しいと思いましたが、シニアのカテゴリーでは初めてだったんですね。
結局、最初で最後になりましたね。本当に3人が一緒なのが嬉しいなと思って見た思い出深い試合です。
引退に当たっての心境も、龍樹くんのインタビューでいろいろ知ることが出来ました。
「せめて強化選手に入らないと終われない」っていうのがね。
入ったからこそ、そこから頑張るというんじゃなく、そこでようやく引退の決意が固まるっていうけじめの付け方に「そうか~」って思いました。
「ゆづもいつか引退するとき、100%の満足はしないんじゃないかな」
そうですよね、まだまだやれるって思いを残しても、もう限界って思っても100%の満足ってなかなか難しい。
オリンピックがゴールって言うんならもっと区切りがつけやすいけれど、羽生くんのゴールはそこじゃないですしね。
今の羽生くんの目指していることは史上初の4回転アクセル。
それを入れた完璧なプログラム。
それが何年後でも、きっとやり遂げて欲しい。
いつか、引退の時、龍樹くんのように「悔いはないです」って言って欲しいな。
でも、その日はなるだけ先になりますように。
まだまだたくさん素晴らしいシーンを見せて下さい

そして、いつか、いつか龍樹くんが言っていたように刑事くんと3人で旅行に行けるといいな。
久しぶりのブログを読んでくださってありがとうございました

時々どーんと長くお休みしてしまうブログですが、これからも羽生くんを応援していきますよ。
記事を作れなかったですけど、STARSのイケちらかした羽生くんにはヤラレました(*>∀<*)ノ
セルフコレオ最高でしたね。
まだまだ羽生くんの世界は拡がって行く❗って思いました。
羽生くんのファンで幸せ😆🍀
◆お写真はありがたくお借りしました。