羽生結弦 「頑張れ」に救われた 東日本大震災10年 1193文字に込めた思い
死者1万5900人、行方不明者2525人に上った東日本大震災の発生から10年を迎えた11日に合わせ、フィギュアスケート男子で五輪連覇の羽生結弦(26)=ANA=がメッセージを寄せた。宮城・仙台市内のリンクで被災し、家族と共に避難所生活も経験。「スケートをしていていいのか」と悩みもした。たくさんの「頑張れ」に触れながら苦難を乗り越え、被災地に光を照らしてきた羽生が、1193文字に今の思いを込めた。
【写真】NO1ポーズをとる羽生結弦
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何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。
あの日のことはすぐに思い出せます。
この前の地震でも、思い出しました。
10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。
オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。
何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう
そんなことを考えると胸が痛くなります。
皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。
でも、たくさん考えて気がついたことがあります。
この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…
それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。
痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。
あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。
忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。
僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。
それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。
立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。
最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。
こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。
数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。
幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。
本当に、10年間、お疲れ様でした。
10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。
まだ、癒えない傷があると思います。
街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。
まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。
簡単には言えない言葉だとわかっています。
言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。
でも、やっぱり言わせてください。
僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、
その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。
頑張ってください
あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。
本当に、ありがとうございます。
僕も、頑張ります
2021年3月
羽生結弦
(原文まま)
◆羽生結弦の2011年からの10年
▼11年3月11日 アイスリンク仙台で練習中に被災し、スケート靴のまま外に逃げた。自宅は全壊判定、家族で避難所暮らしも経験。
▼同4月 神戸でのチャリティー演技会で「白鳥の湖」を舞う。募金活動も。
▼同11月 ロシア杯でGPシリーズ初優勝。
▼12年3月 震災発生から1年の11日に「アイスリンク仙台復興演技会」に出演。17歳で初出場した世界選手権で銅メダル。
▼同11月 宮城で行われたGPシリーズNHK杯で優勝。
▼同12月 全日本選手権初優勝。
▼13年12月 GPファイナル初制覇。
▼14年2月 ソチ五輪で19歳で金メダリストに。
▼同3月 世界選手権初優勝。
▼同4月 仙台で凱旋パレード。9万2000人集まる。
▼16年1月 復興支援を目的とした「NHK杯スペシャルエキシビション」が盛岡で開催。「天と地のレクイエム」を演じる。
▼同12月 GPファイナルで男女通じて史上初の4連覇。
▼17年4月 世界選手権はフリーで10・66点差を逆転し、3年ぶり2度目の優勝。
▼18年2月 平昌五輪で男子66年ぶりの連覇。
▼同4月 仙台で凱旋パレード。沿道に10万8000人。
▼同7月 個人最年少23歳で受賞した国民栄誉賞の表彰式に地元の伝統織物「仙台平(せんだいひら)」のはかま姿で出席。
▼20年2月 四大陸選手権を制し、男子初の「スーパースラム」を達成。
■宮城リンクへ寄付
〇…宮城県のアイスリンク仙台が10日、羽生から211万6270円の寄付があったことをホームページで発表した。継続的に行われてきた自叙伝の印税の寄付の総額は、3144万2143円になった。同施設は「羽生結弦選手より今年もまた多額のご寄付をいただきました」と報告。「いつも地元仙台を深く愛され、また、『アイスリンク仙台』のことも、とても大切に思ってくださっています」と感謝の言葉を並べた
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出だしの「何を言えばいいか伝えればいいか分からない」というところから
羽生くんの言葉が全部言ってくれたなって思います。
被災地の方々へ、何をどう言えば慰めや励ましになるのか本当に分かりません。
お一人お一人にそれぞれの痛みがあり、年月と共にそれもまた変わっていくものもあり、その全てに寄り添う言葉が何かは今もずっと分からないままなのです。
失ったものや、消え去ったものが余りにも多すぎる。
家族や、家や、生活や、未来を失って、心砕けない人はいない。
そこから前を向いて歩けた人ばかりじゃないだろう。
ずっと傷を抱いて苦しいままの人もいるだろう。
羽生くんは、そういうのも全部分かった上で「頑張って」という言葉を送ってくれました。
この10年、羽生くんの頑張りは物凄かった。
その羽生くんが自身もずっと「頑張れ」の言葉に支えられ、その言葉がどんなに力があるか分かっているから「頑張って」と伝えたいと。
その一言に込められた思いは、羽生くんの事を知っているみんなが分かると思う。
羽生くんは、17歳の時に初の自伝を書いてその印税の全てをアイスリンク仙台に寄付しました。今、その総額は3000万円を越えています。アイリン以外にも寄付活動は続き、それらの総額は2億円を越えているそうです。
ちーこさん@cys12711
2021年3月現在の金額に更新しました https://t.co/OmduWGg2Q0 https://t.co/MsAC634ags
2021年03月10日 19:07