ゆづ友さんに頼まれて探してて、見つけた動画が懐かしかったです

2011年の夏から、中国杯が終わったところまでの密着取材の番組です。
中でも、旧ロミオのプログラムのブラッシュアップのために、
ロシアに行ってイゴールさんとナタリアさんの指導を受けてるシーン。
これ、昔見たことあって、もう一度見たかったんですよ~

動画の内容を、全部書き起こしました。
【2011/11/21放送 Get Sports】より
何度転んでも立ち上がる不屈の16歳に完全密着。
AERAの表紙を飾るほど世間から注目を集める一方で
素顔はどこにでもいる高校二年生。
たまのオフには大好きな家電巡り。
羽生結弦16歳。こんな愛くるしい笑顔を持つ青年が、実はもう1つの顔を持つ。
1994年、仙台市生まれ。
4歳の時、姉の影響でスケートを始める。
ジュニア時代はタイトルを総なめ。
15歳でジュニアの世界王者に駆け上がった。
シニア1年目の昨シーズンは、四大陸選手権で自己ベストを更新し2位。
今シーズンの更なる活躍に誰もが期待していた。
ところが
3月11日、東日本大震災。
地元仙台で、正に練習中、被災してしまう。
ホームリンクを失い、練習場所を求め各地を転々とする中で、その時の様子を生々しく語ってくれた。
自宅も全壊。避難所暮らしを強いられた。
16歳なりに葛藤し思い悩んだ。
スイッチが入らず虚ろな日々を過ごしていた心を大きく突き動かしたのは、同世代のライバル、ガチンスキー。
自分は立つことさえ許されなかった世界選手権で、3位表彰台という活躍。
仙台を離れ、単身、全国各地で練習を繰り返す。
担当コーチがいない中、1回1回リンクの外に出て自ら音楽を掛けてはリンクに戻る。
厳しい環境での地道な練習。
それでも。
そんなプラス思考は、春から夏にかけて行われるアイスショーにも表れていた。
羽生は、5ヶ月間でなんと59公演ものショーに参加。
そこでは、練習場所と時間を確保するため他のスケーターより数日早く会場入り、しかも実戦形式で新しいプログラムに取り組みすぐに観客の前で披露した。
苦境の中でも、物事をプラスに変え成長してきた。
向上心は止まることを知らず、ある場所へ武者修行を決める。
フィギュア大国ロシア。
そこで行っていたのは・・
「最初の足は高く2番目の足は少し」
ナタリア・ベステミアノワ
「その通り、動きは同じで2番目の箇所は最初の箇所よりも強く」
わずかな妥協も許さない厳しい振り付け指導。
ナタリア
「ゆっくり、力強く、大きく」
実は、本来の振り付けコーチは仙台にいるのだが、更なる磨きをかけるため信頼するロシア人コーチに頼み込みやって来たのだ。
目指していたのは、より高度な表情力。
「魅せる」ことをテーマに手の位置や体の使い方、表情など細部に渡り念入りに指導を受ける。
人一倍負けん気の強い羽生。
教わったことの全てを血肉とするべく自らを限界まで追い込む。
こうして磨きをかけた振り付けを引っ提げ挑んだ初戦中国大会。
プログラム中盤でジャンプは失敗したものの、その表現力は最後まで観客を引き付けた。
3位と僅差(0.22)の4位につけ次へ繋がった。
羽生「ロシア大会では本当に結果出さないと。本当に一番上の方を目指さないといけない」
次なる闘いは最終戦ロシア大会。いざ、グランプリファイナル出場へ。
羽生結弦、初のきっぷは。
運命の最終戦を見逃すな。
今回紹介してくれるアスリートは
スタジオの声
「若いね」「女の子みたい」
男子フィギュアスケート界の次世代エース、羽生結弦16歳。
ジュニア時代から頭角を現し、現在グランプリシリーズでも熱戦を繰り広げている。
そんな彼最大の武器は、4回転ジャンプ。
今回は、それを支えるために必要な体の軸の安定に繋がるトレーニングを紹介。
股関節周辺・ふくらはぎを鍛える「ギャロップトレーニング」。
まず、片方の足を大きく引き上げ歩き出すように前方へ踏み出す。
次に、踏み出した足のバネを利用して足を引き上げこれを繰り返す。
この時、股関節周辺を意識して引き上げることがポイント。

羽生「アクセルジャンプとか、他のジャンプもそうなんですけど、踏んばる時とか、またはもも上げる時とか、そういう部分に絶対関連してくると思うので、まあここの股関節の筋肉を暖めるっていうのと、まあ柔軟性を上げるっていうことを意識して毎回やってます」
⭐⭐⭐⭐⭐⭐
AERAの羽生くん、可愛い~。
そして、羽生くんの「家電LOVE」がもう表れてた

ガチンスキー選手との話は、羽生くんの自伝『蒼い炎』にも出て来ます。
ジュニア時代の最大のライバルであるガチンスキー選手の世界選手権での活躍は、震災でスケートから遠ざかりそうになっていたところに、強烈なカンフル剤になってます。
翌年、羽生くんはニースで初の世界選手権に出場、そして、ガチンスキー選手と同じ3位銅メダルになりました。
羽生くん自身の努力、支えてくれる人々、そしてライバルの存在が、羽生くんを大きく成長させたんですね。
アルトゥール・ガチンスキー、パトリック・チャン、ハビエル・フェルナンデス、そして、ネイサン・チェン。
良きライバルが常に現れた事も、羽生くんのスケート人生において幸運なことです。
先生がいない時の練習のところで、「なんかトラブルがあってリンクサイドに出てすぐジャンプ跳ぶときの練習になる」って説明しているところは、私は2014年の衝突事故があった中国杯のことを思いました。
昔の映像を見ると、羽生くんの言っていることややっている事が、
その後にとても繋がっていることにいつも感心します。
4位だった中国杯のあと、「ロシア大会は一番上を目指さないと」って言ってますが、そのロシア大会では、わずか0.03点差でハビエル・フェルナンデスを押さえて言葉通り優勝し、初のグランプリファイナルに出場を決めます。
ロシアでイゴールさんとナタリアさんの細かい表現のブラッシュアップを受けた事も、翌年春のニースの伝説的演技にも繋がっていると思います。
本当に、どんな事も無駄というものは無くて、全て吸収し成長するためのエネルギーになってるところ、凄いなあと思います。
あの頃の羽生くんの色んなシーンが入ってる良い番組でした

◆写真は全て動画からスクショさせて頂いてます。