クリス・リードさんが3月15日に亡くなられました。
まだ30歳。
心臓突然死でした。
アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、姉のキャシーと供に、また、2015年にキャシーが引退したあとは村元哉中選手とペアを組み、長きに渡って日本のアイスダンスを牽引して来ました。
昨年末に現役を引退。
これからは、大阪で、次の世代のアイスダンス選手の育成を担おうという矢先のことでした。
突然のことで、本当に驚きました。
クリス・リードさんのご冥福をお祈り申し上げます。
クリスさんは、アメブロを書いていたんですね。
3月11日に「日本へ」と題しての投稿が最後となってしまいました。
以下はクリスさんの最後のブログです。
これからの日本での生活に夢いっぱいだったのに、本当に悲しく思います

日本へ
みなさん

おひさしぶりです😊
1がつのおわりに
ミシガンにもどってから
日本にいくじゅんびをして
せんしゅう
ぼくのあぱーとのものと🚚🚢
たくさんの
たのしい
エクササイズのもの🚛🚢
日本におくったです❗️😊👏👍
これから
キャシーといっしょに
日本の
アイスダンスを
ニューエイジにする
あたらしい
むずかしい
ジャーニーのはじまりです😊
たのしみだよ!
でも
この
コロナウィルスで😷🤒😱
日本にいくのが
おくれます😔
はやく
コロナウィルスがなくなってほしいな.....
みんな
きをつけてね
クリスより
ソチオリンピックの時に、初めてフィギュアスケートの団体戦が行われました。
選手にとって、夢のオリンピック出場。その個人戦の前に団体戦が行われる日程に、当時は様々な声がありました。
私も、団体戦が大事な個人戦に影響しなければいいけど、と思いました。
けれども、羽生くんは、自分はオリンピックに出るのが初めてだから団体戦があるものだと思ってやるので大丈夫、と落ち着いて答えていたことが思い出されます。
団体戦は、男女シングル、ペア、アイスダンスの4カテゴリーで戦います。
男子シングルのロシア代表は、プルシェンコさんでした。
幼い頃からの憧れの人と同じ試合に出るという、羽生くんとプルシェンコさんのスケート人生がリアルに交わった奇跡的な日が実現したのです。
プルシェンコさんは、団体戦のあと、個人戦の6分間練習中に負傷して棄権したので、羽生くんとプルシェンコさんが同じ試合に出たのは、後にも先にもこのソチの団体戦だけです。
プルシェンコさんが、長く現役を続けていてくれたからこそ、そして、ペアとアイスダンスの選手が世界と戦って来てくれたからこそ、この試合が見られたわけです。
スケートを一生懸命に頑張ってきた羽生くんにとっても、特別な瞬間だったと思います。

そう言った意味でも、日本チームとして、リード姉弟の存在はとても大きなものでした。
今、日本のアイスダンスには若い有望なカップルが育っています。
その指導者としての活躍を目の前にしての早すぎるこの世との別れ。
私たちが驚いた以上に、きっとご本人が驚かれただろうと思います。
クリスさん、とっても残念でしたね。
安らかに、そして、これからも日本の、あなたの愛するフィギュアスケートを見守っていて下さい。
◆お写真はありがたくお借りしました。