24時間テレビの書き起こし、その③です

動画はこちらをお借りしました
差し替えました
一方、松任谷由実も厚真町へと向かった。
訪ねたのは、町民吹奏楽団の練習場。
「いらっしゃいました。」
「ちょっと驚いているような表情も見えますが。はい。」
「こんにちは。中島みゆきです。(笑)」
町民
「(笑)」
羽生とユーミンが、被災地の方を招いて行うアイスショー。
その冒頭を演奏してくれる、厚真町民吹奏楽団の皆さん。
「まだ新しい爪痕が、少しでも快方に向かって貰えるお手伝いが出来たら、こんなに幸せな事はありません。私も一生懸命歌います。」
町民
「ありがとうございます」
「清塚さん、改めてここまで練習見守ってきて下さっていかがですか?」
清塚信也
「もう、あの、先日もお伺いさせて頂いて。「大丈夫かな~」っていう感じはあったんですけど、今日、先ほど聴いたらすごく形になって。」
河村
「皆さんお仕事は?」
町民
「私は事務やってます。」
町民
「私は、中学校で養護教諭をやっています。」
河村
「あ、そうなんですか。」
松任谷
「生徒さんはご存知なんですか?」
町民
「いいえ、誰も知りません。」
仕事や学業と掛け持ちしながら盛り上げる活動を続けて来た。
だが、この楽団には指揮者がいない。
去年まで皆をまとめて来た松下一彦さん。
地震で土砂崩れに遭い、息子さんとともに帰らぬ人となった。
これは、震災1週間前の練習風景。
帰り際に松下さんは言った。「来週も頑張ろう。」。
それが最後の言葉となった。
「喪失感というか、そういうのは物凄い大きいですね。はい。」
大黒柱でムードメーカーだった松下さんを失い、楽団は活動を休止。
当時、解散も考えていた。
しかし、震災からおよそ3ヶ月後。
地元の保育施設のクリスマス会。これは、松下さんが毎年楽しみにしていた催し物だ。
披露した「U.S.A.」は、震災前から松下さんが子供たちを楽しませたいと提案し、みんなで練習していた曲。
自分たちも地震で被害を受けたが、「そんな時こそ頑張るのが町の楽団」。
松下さんなら、きっとそう言ったはず。
「人が喜ぶ顔っていうのは、一番その人にとって喜びですよね。それが原動力になって再開されたのはとてもリアルに胸に迫ります。」
今回、ともに披露するのは「春よ、来い」。
町民
「吹奏楽を聴くと、どうしても涙が出ちゃうんですよ。松下さんの事とかやっぱり思い出しますね。」
「本当に時々思うんだけども、震災の前に戻りたいなって、本当に思っちゃうんですよね。」
「この曲は24年前に作ったものなんですけど。どういう気持ちだったのかを思い出すと、“もう会えない人に会いたい”って気持ち。」
「それを込めた事は確かなんですね。」
「どう・・どうやってももう二度と会う事が出来ないけど・」
「この歌のなかでは会えたらいいな。」
♪瞼閉じればそこに
愛をくれし君の 懐かしき声がする
「だから、今回この町で演奏して貰えて・・、クオリティーとかはどうでもいいの。でも、やっぱり月並みな言い方だけど、音楽って心だと思うんですよね。」
去年9月、震災に見舞われた厚真町はすぐに雪に閉ざされる。
復旧はあまり進まなかった。
この時も、まだ作業は始まったばかり。
町民
「厚真町の中にいると、やっぱり被災地なんだなって思う事があるんです。それは町の外に出た時にですね、時間の進み方が周りは速いなと思うんです。」
いつしか、時代は令和となった。
町民
「厚真町はまだ、去年の9月6日からだいぶ経ったなとは思うんですけど、それ以上に周りの世の中の進みが速くてですね。私たち、まだそこまで追い付くのに少し時間がかかるんじゃないかなと思います。」
♪夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
君を思いながら ひとり歩いています
まだ見ぬ春。
松任谷
「終わりのない旅にみんな立ち向かってるような。」
④へ続きます