スポニチさんの一問一答が素晴らしかったですニコニコ

全て語ったとありますが、本当に盛りだくさんに話してくれています!

「これから、令和に向けて頑張っていきたい」という力強い言葉にわくわくしました😆



◆感謝、復興、令和・・・全て語った羽生結弦と一問一答



 ――仙台に帰ってきてどうか。

 「実は、昨日(19日)に帰ってきて、あまりまだ仙台だなという実感がなかったんですけど。こうやって、地元局の方とか地元紙の方とか、そういう方に会うと、ちょっと帰ってきたなって。凄く地元だなっていう温かい気持ちになりました」

 ――お披露目されたモニュメントの率直な感想は。

 「やはり、自分が2連覇したということで、その2枚分の活躍をできたということはすごく誇らしいことだなという風にも思いましたし。それが残るということに関しても、自分の演技はあの場、あの場所でしかなかったかもしれないんですが、それがちゃんと形としてずっと残るというのはすごく自分がやってきて良かったなというか、やっぱり五輪の金メダルは特別なものだったんだなというのを改めて感じました」

 ――モニュメントが増え、被災地、宮城、そして東北への観光客が増えると思う。その効果については。

 「そうですね、ちょっと違う話になっちゃうかもしれないですけど。先日、ノートルダム大聖堂が燃えてしまって、それの募金の話とか、凄くもうたくさんのお金が集まっていてすぐに再建、修理への気持ちというか、機運というのがしっかり動いている。あとは台湾も先日、地震があって、被害があったみたいで、そういったいろんな地域でもそうなんですけど、やっぱり一人一人の凄い小さな力かもしれないですけど、人間っていう一人一人の力が集まって、やっと復興だとか新しくなっていくということにつながっていくと思う。その一人ずつが何かつながるきっかけになるのであれば、自分という媒体を通してつながってくださるのはとてもうれしいことですし、仙台だからこそ、仙台にこのモニュメントがあるからこそできることじゃないかなとも思うので。やっぱり自分が仙台市民で良かったなと思うのと同時に、これがきっかけになって、もちろん仙台だけじゃなくて、宮城県、東北、東日本、そういった大きな目で復興っていうものが進んでいったらいいなという風に思っています」

 ――時代は令和になる。平成で伝説を作ってきたが、令和ではどんな伝説を。

 「やはり4回転半に挑戦したいなという気持ちは凄く強いです。実際にまだ跳んだわけじゃないので、そんな強いことは言えないかもしれないですけど。ただ、これから戦っていくに向けて、やっぱり自分の武器となる何かをさらに付け加えないといけないなという義務感が凄くある。何か武器を改めて作って、これから令和に向けて頑張っていきたいなと思います」

 ――発表式は600人に対して応募が2万113件あった。この倍率についてと、来られなかったファンへのメッセージは。

 「やはり、自分が入った時に歓声だとか、拍手の大きさとか、そういうものでたくさんの方がここに来て下さったんだなという気持ちも凄くありましたし、逆にその方々が代表でっていうのもちょっと変ですけど、2万をこえる応募があったということは、自分が滑るわけでもないので、フィギュアスケートのファンではない方もいらっしゃったかもしれないですけども、そういった方々が自分のことを凄く応援してくださったというか、このモニュメントのことについても楽しみにしてくださっているっていうのが、改めて数で、というのも変ですけれども、凄く伝わったなという風に思います。また、残念ながら足を運べなかった方々に対しても、やっぱり、その先ほども言ったように、一人一人ちっぽけかもしれないですけど、僕も含めてすごいちっぽけかもしれないですけど、1人から2万とか3万近くとか、そういう風に数が大きくなっていくにつれてすごく大きな力になると思うんですよね。やっぱり、そういった大きな力を改めて、その数字ということから感じさせていただいたなと、あらためて感謝したいなと思います」

 ――デザインはどうか。

 「まず、写真からそのまま使われているという点に関して、すごく自分で気に入っていて。やはり、自分は滑っている時、瞬間が一番、羽生結弦になれているなと思うので。やっぱり、その、滑っている瞬間を切り取ったものとして、デザインが残されるというのは、凄くうれしいなという風に思っています。またなんか本当に細かいんですけど、ソチ五輪から平昌五輪に向けてブレードの色が変わったりとか、そういう細かいところまで繊細に作られているものだなと改めて感じたので、そういった細かいところも見ていただけたらな、と。せっかく、ソチ五輪と平昌五輪と並んでモニュメントが建てられるということなので、そういう細かいところもちょっと気にして見ていたけたら楽しんでいただけるんじゃないかなと思います」

 ――荒川静香さんの隣に2つの羽生選手が並ぶのは恐縮と言っていた。少年の頃(の自分)に声をかけるとしたら何と。また、スケートを頑張っている子供たちへのメッセージ。

 「僕も実際に小さい頃にテレマサさんに特集していただいて、本当にちっちゃかったなと思うことも何かフラッシュバックして、色々思い出しました。あの、荒川さんの隣に2つ並ぶっていうのは、自分がしてこられたことに対して、やっぱり胸を張っていられるなという風に改めて思いますし。逆に小さい頃からこうやって仙台から頑張ってきて、こうやって荒川さんの隣に建てるっていうのは、やっぱり仙台の縁というかそういうお力を感じるなと思います。また、今、フィギュアスケートを頑張っている子たちに対しては、そうですね、もしかしたら僕の演技を見て始める選手とかもこれからいるのかなとか思ったりもしていて。そういう意味では、その子たちがやっぱりこういう風になりたないなという人間で常にありたいなと思います。また、そういった僕が感じた仙台の力とか、ちょっとでも感じられるような貢献を僕もこれから荒川さんに助けられたように、これから僕も仙台に対して、色んな力を使っていけたらなと思っているので、頑張る環境を作っていきたいなと思います。

 ――羽生選手自身の夢は。

 「実は、1年前までは、自分の夢は4回転半のジャンプだったと思っています。それをやれば、夢は達成されるという風に思っていました。ただ今の自分の気持ちとしては、4回転半は夢じゃなくて、しっかりと習得してマスターしたいものだなと。近い、具体的な、挑戦するべきものみたいなものに思えているので、夢ではないかなと。だから自分の夢は、そうですね。4回転半を初めて公式試合できれいに決める人になりたいっていうのが、今の夢かなと思います」

 ――ファンの存在は。

 「つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりつらくなったり、自分よりも喜んでくれる存在じゃないかなという風に思っています。やはり、直近この2シーズンで2回も大きなケガをして、その時に自分よりもつらいような方もいらっしゃったりとか。その中で、苦しい状況の中で、凄く前に向かってというか、上に向かって立ち向かっている方。そういうメッセージや手紙をたくさん頂いた。そういう方々の思いが自分に還元されて、最終的に自分の演技になっているんじゃないかなという風に強く思う。一言で言うと、自分のスケートの源みたいな感じがしています。これまで平昌五輪前、の前のシーズンくらいまでは、勝たなきゃいけない、強くならなきゃいけないとか、いろいろ考えたときに、凄く自分主体だった。でもそういう時でも応援してくださる方の力は感じていたけど、平昌五輪が終わって改めて、こういうモニュメントの場を設けてもらって、改めて皆さんの力、思いの力が凄く自分のスケートに役に立っているというか、凄く直接的に皆さんの思いが伝わっているんだなと改めて感じているので。そういう方々に逆に僕から感謝したいですし、スケートではない機会なので、しっかりと、発表式の時も皆さん一人一人の顔を見て、ありがとうって風に思っていましたし、たくさんね、テレビやインターネットで見てくださる方もいると思うので、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます」

 ――モニュメントのデザインへの思い。

 「このモニュメントのデザインの中に写真というのが印象に残っていて、自分が滑っている瞬間を切り取った物だと思っているので、そのモニュメントを見ることによって自分の演技だとか、演技全体でもなくてもいいけど、この瞬間が少しでも思い出されるようなものになっていたらうれしいなと思います」

 ―モニュメントのポーズ「SEIMEI」への思いは。

 「これは何て言えばいいのかな…。最初の冒頭のジャンって鳴ってから、縦笛が流れているところのシーンなんですけど。最初のポーズで天と地と人と全てを司っている風に感じている。野村萬斎さんと話をさせていただいた時に改めて色づけしてもらって、それを凄く大切にしてこの演技をしていました。これはそこのポーズから動きだしているシーンなんですね。だから、司っているシーンから、それを支配しながら、周りの状況というか、この時はリンクなんですけど。そのリンク全てを自分の支配下に置くみたいに、そういう強い気持ちで意味を持って滑っています」





    ☆☆☆☆☆☆






羽生くん、たくさん話してくれてありがとう。
聞きたかった話がたくさんありました。


ノートルダム大聖堂の火災の話も出てきてハッとしました。
このニュースが報道されたあと、羽生くんのダムパリが話題になっていましたから。

2013年のフランス杯のエキシで、前年のフリーの「ノートルダム・ド・パリ」を演じた羽生くん。
直接ノートルダム大聖堂を訪ねる事はなかったと思いますが、自身のプログラムの舞台が無惨に焼け落ちたニュースは、羽生くんには余計に衝撃だったことと思います。






私は、羽生くんのノートルダム・ド・パリが大好きでした。
あの17歳から18歳のほっそりとした少年期だからこその繊細さ。
衣装も、形、色ともに美しくて羽生くんにしか着こなせない耽美的な世界感にときめきました。
今でも、この衣装が似合う選手は羽生くんの他にはいないと思います。






ノートルダム大聖堂には、私もずっと昔に1度だけ行った事があります。


夕方、訪れた時、中ではミサが行われていました。
信者でもないのに入っていいのかな、と考えながらも
止められる事もなく入って行く事が出来ました。


堂内に響き渡る讃美歌。
その厳かな雰囲気の中で見上げた、驚くほど大きなばら窓。
そのステンドグラスの美しさが今でも心に残っています。


その800年前に作られたステンドグラスも、今回の火災の高熱で爆発してしまいました。

全てのステンドグラスではありませんが、永遠に見られなくなったものもあります。


マクロン首相は、5年以内に再建すると言っています。
燃え落ちた尖塔を、元のように再建するか、新しい形を公募するかなんて話も出ていますが、ぜひ元のように再建して頂きたい。
時代を越えて受け継がれていくものこそが価値というものなのですから。










羽生くんが、ファンについて言ってくれた言葉も嬉しいですねニコニコ


つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりつらくなったり、自分よりも喜んでくれる存在じゃないかなという風に思っています。


平昌オリンピック以降、ファンについて話してくれる事が多くなりました。

羽生くんの喜びを喜びに、羽生くんの痛みを痛みとしている人たちが本当にたくさんいらっしゃいます。
そんな気持ちが届いているのは、何より嬉しいですね。


パレードの時の10万人のファンを目にした時とか、羽生くんを想う人の多さを実感しているんでしょう。

それだけの思いを受けとめて生きる羽生くんの人生。
その人生が、凄い偉業だと思いますよ。

これからもまた、壁の先の壁を越え続けていく羽生くんを応援していきます。






◆お写真は、ありがたくお借りしました。