この前NHKのEテレで放送された「バリバラ」。
私が見たものは2/22の再放送の分だったんですが、テーマは「テレビのバリアフリー」。
目の見えない視覚障害者の人に、テレビ番組の内容が分かるように話すにはどうしたら良いのか、フィギュアスケートの試合や旅番組を題材に解説を試みていて非常に興味深かったです

フィギュアスケートの試合は、目の見えない人からすれば「ただ音楽がなっているだけ」なんだそうです。
ああ、そうでしょうねえ

テレビ局としては、アナウンサーに「目で見えているものを言わない」という指導をしていて、ラジオの実況のようにすると視聴者からうるさいと言われてしまうのだそうです。
でも、この番組で視覚障害者の方がおっしゃる事は、他の人の分かりやすさや、今後のフィギュア実況のヒントにもなるんじゃないかと思いました。
番組で特に面白かったのは、「羽生選手の容姿を説明して欲しい」というもの。
アナウンサーさんが苦労して説明していたので、そのやり取りを次に載せますね

司会者
「解説して欲しい有名人とかいますか?」
視覚障害のかた
「そうですね。平昌オリンピック終わったとこなんで、やっぱり羽生結弦さん。なんであんなに人気があったのか。羨ましいねえ。」
ナレーション
今や世界中で人気の羽生結弦選手。その姿を言葉だけで上手く解説できるのかしら?
「では、羽生結弦さんです。えー、目は切れ長。眉毛は意思の強そうな凛々しい眉毛になっています。鼻筋はすーっと通っています。で、顎はスマートでシュッと尖っています。風が吹くとサラサラと流れそうな短めの黒い髪をしています。氷の上に立つとほっそりとしていて、まるで貴公子、王子様のように佇んでいるように見えます。まるで上品な雰囲気が氷全体に漂って行くようなスケートの選手です。」
視覚障害のかた
「なんか女性のようなイメージを想像してました。でも、意思の強そうなというところがまあ分かるんですけど、貴公子っていうがピンと来ないんですね。」
アナウンサー
「ああ、貴公子ね…。」
視覚障害のかた
「だからなんか、女性の説明のようなイメージをなんか感じたっていう感じがしますね。」
羽生くんの容姿を言葉で説明するって難しいですよね~~

説明を聞いた方が「女性のようなイメージを想像しました」っていうの、ほ~~って思いました。
ある意味特徴を的確に言っていたという事になると思います。羽生くんの容姿の説明をすると、アナウンサーさんが冷静に説明していってもやっぱり女性の容姿の説明に近くなる。
でも、最後に「いま想像したイメージの控えめに言って100倍可愛くて美しいです!」って入れとかないと

番組の後半では「マチュピチュ」の映像を流しながらアナウンサーが説明するのですが、なかなかどんな古代遺跡なのかを頭でイメージできるまでは伝わらないんです。
・情報量が多くてもついて行けない。
・想像するための言葉が欲しい。
・「階段」とか「迷路」という言葉は良かった。
言葉で考えられる、体験できそうなことを言ってくれたのは良かった。
・分からない部分があってもいい。見えないから仕方ない。ただ、番組を好きなように想像して興味をもてるように一言でもなにかハッとする言葉があれば。
・感情を沸き立たせたい。
番組内のご意見を聞いていると、「感覚」というものに訴えてくるものを求めておられるんだなあという感じがしました。
でも、これって私たちも同じじゃないですか?
よく、海外メディアの解説を聞いていると伝わって来るものがありますよね。
羽生選手が「どんな」選手なのか、その演技は「どんな」ものなのか、海外の解説の方がより伝わってきます。
情報や数値だけじゃなく、もう少し血の通った言葉が聞きたい。
フィギュアスケートという美しい競技に相応しい、美しい言葉で表現して欲しい。
日本の解説を聞いていると、いつもそんな風に思ってしまいます。
ディック・バトンさんは「アナザーストーリーズ」という番組の中で、羽生くんの演技は「劇場」だと表現しました。
難しいジャンプに挑戦しても、演技がちゃんと「劇場」になっていないとだめなんだと。
ただやっているだけじゃなくて、観せる、魅せるという事が要るという事ですね。
音楽の表現に長けた選手は他にもいますが、羽生くんの演技の特徴はまさにこの羽生結弦の世界に引き込むところなのだと思います。
この世界というのがまた、2.5次元と言いますか、羽生くんの容姿があまりにも整っているので「現実と絵の間」のような感じがします。
ずっと以前イギリスの解説が「目で見ることのできる夢」と表現したように、まるで仮想の世界の出来事のようなのです。
もう1つ、【2019/1/23放送 NHKBSプレミアム 江戸あばんぎゃるど 第二回「ガラスを脱いだ日本美術」】を見ていてちょっとハッとした部分がありました。
明治大学教授 山下裕二
映画監督 リンダ・ホーグランド

リンダ「ドリーって言って移動出来るレールを置いて、ドリーで撮ったんですよ。」
山下「ああいいね」

リンダ「そうすると3Dに見えるんですよね。」
山下「だから絵の中に入って行けるような感覚があると思いますよね。正に参加型と言っていいんしゃないかな。どこからでも入れる訳ですよ」
リンダ「今の先生の言葉で思ったんですけどね、やっぱりね光の光源がだいたい西洋の絵では決まってますよね、そういう事で時間も区切っちゃってるんですよね」
山下「そうですよ」
リンダ「そしてそれを光源だけではなくて影、100%この時間ですよって、3時のおやつの時間ですよこの絵はっていう風に限定してるんですよ」
山下「限定してるよね。でも日本の絵は限定してませんよね、と言うか基本的には影の表現がない訳ですよね」

リンダ「西洋の美術館でアートハンドラーが屏風を開いて大事にしてるという、そうすると彼らの影が屏風に当たったりするんですよね」
山下「うん」
リンダ「そういう事は多分、屏風の中に既に決まったとこに影があったらめちゃめちゃ気持ち悪いというか矛盾というか可笑しいですよね」
山下「うん、その通りだと思いますね。それは何時何分ですという描き方とは決定的に違うという有り様だと思いますね」
この「光源が決まった描き方」と「時間の限定がない描き方」という違いのところに、なんとなく羽生くんが「毎回振り付けを変えていて同じ演技をしない」と言っていた言葉が思い浮かびました。
羽生くんの演技を見ていて、繰り返し繰り返し見て飽きないことや、見る方の心に合わせて印象が変わったりするのもガッチリとした固い枠を持たないからなのかな。
不思議な、この世ならぬ幽玄の美を醸しているようなのも、深く羽生くんの中に日本の美というものが沈んでいるからではないか。
特に近年の演技には、自然というものの風景が溶け込んでいて飽きずその景色を眺めるような趣があったりします。
その自然というのは、羽生くんの見ているものはカナダとかではなくてやっぱり羽生くんの中にある日本のものだと思うんです。
さらにその上に、震災や自身のケガを経験してのちの様々な思いが溶け込んでいて、そういった色々なものが演技の上に深みというものを与えていると思います。
そういったものが、初めて羽生くんを見る人の心にも押さえがたい感動を与えるんでしょうね。
そういったものが複合的に混ざり合い、形容し難い美しさになっているだけに、例え見えているのだとしてもそれを言葉で表すというのは容易ではないです。

まるで床の間に生けた花のよう。
日本では、花を「生ける」「立てる」といいます。
英語では何というのかというと、アレンジング・フラワーというそうです。
英語のarrange(アレンジ)は「きちんと並べる、整える」といった使い方をされるそうです。
羽生結弦を何かに例えるなら・・
やっぱり
桜のような人だよっていうのが日本人には分かりやすい気がします。
◆テレビ番組のはテレビの画面撮りです。それ以外のお写真はありがたくお借りしました。