3つ前の記事で取り上げた『フィギュアスケートDays vol. 13』の話題をもう少し続けます

あ、刀を持った羽生くんの写真をまたネットで見つけました。
記事に追記しましたが、こちらにも載せますね⬇
こちらの写真だとハチマキがもっとよく見えますね。
この時、どういうシチュエーションで刀を持ってるのか詳しい事は分からないんですが、桃太郎さんみたいで日本男児っぽくていいですねー。
『フィギュアスケートDays vol. 13』に載ってる羽生くんのインタビューは1頁。震災当日の事とか震災後の心境とかで、既存のもので、特に新しい記述はありません。
私が知らなかった!と思ったのは「震災復興への思い」という記事の中でアイスリンク仙台の支配人の荒井さんに伺った話です。
「3月11日当日は、滅多にないことなんですけど一般の時間帯に羽生結弦くんたちが滑っていまして」
という、羽生くんが一般の時間帯に滑っているのは滅多にないと仰ってる部分。
そして、、
「翌日に再びリンクに戻り、状況を見てみたらただ事じゃないなと。ただ、天井や水銀灯は落ちて来なかったんです。冷凍機もすぐに復旧しましたし、建物自体の安全確認さえできればすぐにでも営業再開できるような状況だったんです」と、3月11日の地震では幸いにも壊滅状態をまぬがれていたのだそうだ。
しかし、4月7日に起こった大きな余震で状況は一転。ヒビが入っていた壁面が崩れ、リンクに落ちてしまった。
「それまでせっかく足場を組んで、早期復旧に向けて修理していた壁面が崩れてしまい、それによって氷の下にある冷却パイプがつぶれてしまったんです。なので3月の地震より4月の予震によって閉鎖になってしまった」
という、4月7日の余震によってアイスリンク仙台の閉鎖が決定的になってしまったという事は知りませんでした。
地震から約1ヶ月後、その余震があったちょっとあと、羽生くんがどこにいたのか、ソチオリンピック後の八戸のアイスショーでのインタビューで話している動画を見つけましたので書き起こしました。
miruruさん Twitter 動画
Q. 羽生選手に今回の八戸でのショーについての思い聞いてみました。
羽生
「本当に滑れる事だけが、事だけでも僕にとっては本当に幸せだったので。
まあ、その、まだ生活が皆さん安定してない中で、やっぱりそうやって滑らせて頂けたっていうのは本当にありがたかったなという風に思ってます。
僕にとっては今回は本当にまあ、結果報告ではないですけれども、やはり震災後にたくさんお世話になりましたし、この八戸で滑らなければ本当にスケートをずっと続けていられなかったかも知れないのて、やっぱり直接的に多分オリンピックの金メダルというものも、あのー、ここで滑らせて頂けたからだなという風に思いますし」
Q. そんな羽生選手、青森といえば何を思い浮かべるでしょうか?

羽生
「せんべい汁です」
「あの、僕自身その、被災したあとに本当に1ヶ月ちょっとでもうここに来させて頂いたんですけれども、その時にやっぱり青森といえば何だろうっていうものを考えた時に、せんべい汁を食べさせて頂いたのでちょっと思い出に残っています」
Q. 美味しかったですか?
羽生「美味しかったです。本当美味しいです。好きです僕」
「ぜひ食べてみて下さい皆さん」

羽生「あははは!」
☆☆☆☆☆☆
「せんべい汁 羽生結弦」
っていうフリップがシュール

このアイスショーは、2014年5月10、11日に行われたプリンスアイスワールド八戸公演です。この時の演目は「花になれ」でした。
せんべい汁って昔頂いた事があるんですが、甘くない南部せんべいって感じのを汁に入れて煮るとでろ~んと柔らかくなるんですよ。
すいとんみたいな感じになります。
羽生くんって、好きな食べ物に餃子とか、明石焼きとか出て来ますが、せんべい汁も好きって聞いてやっぱりそういう系統の食べ物が好きなんだなあって思いました。
私も好き♡
柔らかくてつるっとしてモチッとした食感の食べ物好きです。
アイスリンク仙台を決定的に破壊した4月の余震のときに、羽生くんがそこにいなくて良かったなあとしみじみ

羽生くんは、被災地を離れてひとり逃れた事をずっと重荷に思っていたようですが、羽生くんを受け入れてくれる練習場所へと移ってくれて本当に良かったって思いました。
PIW八戸
ローカルニュース 動画
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お写真いっぱい♡
今では考えられないけれど、お客さんと直接ふれあって
お話したり握手したり。
羨ましいです。
◆お写真はありがたくお借りしました。