先日放送された『今回のみ例外を認める』は、関東ローカルでしたので見られない人も多かったと思います。
うちも映らないので、ゆづ友さんがダビングして下さいました

他にもいっぱい入れてくれた神ディスクありがとう~~。
動画もありましたので、一部を除いて書き起こしました。
今回のみ例外を認める 動画
2016年に公開された『殿、利息でござる!』。
江戸中期の仙台藩を舞台に、貧困にあえぐ宿場町を救うため町の人たちが奮闘する姿を描いた実話を元に描いたこの作品。
実はこの作品に普段はスポーツ関連しか出演しない、あるスポーツ選手が例外として出演していた。
その人物とは、羽生結弦。
純粋にフィギュアスケートに向き合いたいとの思いからメディアの露出は最小限。役者なんてもっての外。しかし、そんな彼がなぜかこの映画にだけは例外として出演しているのだ。
しかし、なぜスケート一筋の羽生がこの映画にだけ出演を認めたのか?

その例外の裏には、彼が胸に抱き続けるある思いがあった。
フィギュアスケート男子シングルで、2014年ソチオリンピック、2018年平昌オリンピックと2大会連続で金メダルを獲得。男子シングル種目での2連覇は66年ぶり。日本人選手としては初めての快挙。
そして、今年七月には歴代最年少の23歳で国民栄誉賞にも輝いたほど。
そんな彼がなぜ映画への出演を認めたのか?
そもそも、この映画には瑛太や妻夫木聡、阿部サダヲなど豪華俳優陣が集結。そのなかで殿様役には彼ら以上の存在感のある人物が求められた。
そこで制作陣は、映画の舞台である仙台出身の羽生にダメもとでオファーをしてみる事に。

「今回の映画に殿様役でご出演頂くことは可能でしょうか?どうか、よろしくお願いします!」
無理は承知のオファー。
すると、なんと出演OKが。
この例外的な出演承諾の理由を、映画の原作者にして歴史学者の磯田道史氏は・・

磯田「これは仙台の地元のために必要なものなんだと、親子で話し合ってくれたように聞いてますね。仙台の人たちが自分で立ち上がる話だから、震災後やっぱり地元の方々を東北の人たちを勇気付けるには一番いい作品だと思って私も書いたし、そういうお気持ちがやっぱり感じるところがあったのかなあと思って」
実は、羽生自身も16歳の時に震災に遭い、家族と共に避難所生活を送った経験が。
当時羽生は、「自分だけスケートをやっていていいのか」と悩んだほどだったという。
そんな彼だからこそ、東日本大震災からの復興を目指す東北への思いは熱い。

羽生「まだまだ復興が足止め状態になっているところもあるんですけれども、施設とか新しくなった駅とかそういったものもあるので、そういった所もまた見て「こんな綺麗になったんだな」と思って貰いたいなっていうのもあります。仙台だからこそ感じられる温かさとか空気の良さとかそういったものも感じられるので、ぜひ感じて頂きたいなって思っています」
地元仙台への思いは特別なもの。
だからこそ、今回のみ例外として映画へのオファーを快諾したのだ。

羽生「今自分じゃない感じがすごくします」
Q.お殿様の気持ちになれる?
羽生「なってはまだいないですけれども、なんかそのとりあえずスケーターではない感じはすごくします」

撮影当日まで出演は、他の出演者には秘密
このあとリハーサルで登場し、キャストが驚くシーンが長めに。
(この部分は省略)
映画出演快諾のもうひとつの理由として、羽生くんの映画出演の感想コメントに続きます。

羽生「いやあ、ずっと緊張しっぱなしでした。ただ心臓の方が緊張にもたなかったんで、途中からもう動悸はなかったですけれども。
役者ということをやらせて頂けて、まあ自分にとってもものすごく大きな経験になりましたし、この経験を生かしてまた試合のプログラムだけじゃなく本当に、エキシビション等でこういう役も出来るようになるんじゃないかなという風には思ってます」
スタッフ「スケートと俳優、二足のわらじという噂が・・」
羽生「立ってないです!立ってません。そこは大丈夫です」
☆☆☆☆☆☆
7月に松本龍・元復興担当相(元民主党衆議院議員)が亡くなったそうです。
覚えていますか?
被災地の知事に暴言を吐いて辞任した人です。
【松本龍・元環境相死去 67歳 復興相時に批判受け引責】
(2018/7/21 朝日新聞)
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復興相として東日本大震災の被災地を訪問した際の発言が高圧的などと批判されて、2011年7月引責辞任。12年の衆院選で落選し、政界を引退した。
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毎日新聞
【訃報 松本龍さん67歳=元民主党衆院議員、元復興担当相】
(2018/7/21 毎日新聞)
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11年6月に復興担当相に就任した直後、東日本大震災の被災地の岩手県や宮城県の知事に「知恵を出さないやつは助けない」などと発言して就任9日目で引責辞任した。
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【松本龍さん死去 発言巡り復興相辞任】
(2018/7/21 東京新聞)
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東日本大震災を受け新設された復興対策担当相に就任したが、岩手県や宮城県の知事に「知恵を出さないやつは助けない」「意見集約をやらなかったらこっちも何もしない」などと発言。任命から九日目で引責辞任した。
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その他、どこの社も全て
なぜ大臣辞任を余儀なくされたのか
本当の理由は書いていません。
復興担当大臣様として多くのテレビカメラとともに宮城県庁を訪問した際に「先に(知事が)来るのが筋だよなぁ、な、お迎えするのがね。」と自分が入るのに知事達が先に待っていなかった事に不満を漏らし、知事が部屋に入ってくると、知事との挨拶、握手を拒否。知事に対して命令口調で椅子に座らせた上、東北のことは俺は知らないからお前らがちゃんとやらないと国は何もしないからなと言い捨て、最後に知事が先に部屋で待機して俺達を出迎えなかったことは長幼の序がわかっていない、お客さんが来る時は自分が入ってからお客さんを呼べ。と説教しました。
この一部始終を見ていた周りのマスゴミクルーは皆ドン引き。そのことに気付いたらしく、松本龍は「今の最後の言葉はオフレコ(非公表)です。いいですか?いいですかみなさん?(マスゴミの取材クルー達が「はい」と返事するのを確認してから)いいか、書いたらその社は終わりだから」と発言しました。このためマスゴミ各社はこの命令通りにオフレコにしました。しかし、東日本大震災の被害者でもある東北放送はこれに怒り、この一部始終を放送しました。せっかく他のマスゴミ全社が言われたとおりに報道しないで隠蔽したものの東北放送が報じた事がネットで一気に拡散され、被災地だけでなく全国からの怒りを買いましたこれで他社もしぶしぶアリバイ作りのためにこの顛末を報じました。
このニュースは全国で報道され、松本復興相はあっという間に辞任に追い込まれました。
私も、このニュースを見て酷いな~と思っていました。
この被災地とは宮城県で、その知事とは村井知事のことです。
ちなみに、村井知事は時間通りに入室しており遅れた事実はありません。
あろう事か、被災地の知事に「我々は何もしないぞ」などと暴言を発し、周りの報道陣の反応にマズイと思うと「書いた社は終わりだから」と恫喝する。
このニュースは知っていましたが、その事に怒り勇気をもって報道してくれた東北放送のお陰でこのニュースが全国に知れ渡ったことは初めて知りました。
全国に報じられたお陰で、松本復興相は数日後に辞任に至ります。
そして、2012年は長年鉄板選挙区として守ってきた選挙区で落選。
比例復活すらできず落選しました。このようなパワハラの権化みたいな人が長く居座ったら、その後の復興にも大きな障害となったに違いありません。
それは直接的にか間接的にか分かりませんが、東北の人やものを通じて羽生くん自身や羽生くんがこんなにも願う復興への活動にも影響したと思います。
また、それは東北だけの問題ではないと思います。
勇気をもって報道してくれた東北放送に、どれだけの人が救われたか知れないと思います。
◆お写真はありがたくお借りしました。