宮城県気仙沼市の向洋高校に羽生選手からメッセージが届きました
エブリィで放送されたものを全文書き起こしました。
今月、撮影された新しい映像もありました❗
【2018/7/27放送 news every 】より

東日本大震災で被災した、宮城県気仙沼市の高校。
ようやく新しい校舎が完成し、7年間使った仮設校舎が最終日となりました。
そんな節目となった日、生徒たちに羽生結弦選手からのメッセージが届きました。

宮城県の気仙沼向洋高校。24日、生徒たちに笑顔が拡がりました。

届いたのは、羽生結弦選手からのサプライズメッセージ。

こちらの高校では、震災後仮設の校舎で授業を行って来ました。

2011年3月11日、津波は学校の4階まで押し寄せました。
生徒や教職員は、全員が無事でしたが校舎は閉鎖されました。
震災で大きな被害を受けた気仙沼市。
震災から7年がたった今、町は復興に向けて進んでいます。
しかし、気仙沼向洋高校は、別の地域に移り仮設での授業が続いていました。
生徒
「隣の高校のグラウンドをお借りしてたり、色んな人に感謝してます」



今回、学校から依頼を受けメッセージを寄せた羽生選手もまた宮城県仙台市で被災。
学校の状況を知り、自分の経験と重ねたと言います。


羽生「僕も被災・・まあ震災があった後にやっぱり自分のリンクが無くなってて」



羽生「重なるところがあったなと思いました」





当時、仙台のリンクも被災し閉鎖。地元で練習が出来なくなりました。



しかし、気仙沼向洋高校と同じように、青森や横浜など別の地域のリンクで練習を続ける事が出来たのです。


羽生「ある意味『間借り』っていうか、「ここで練習していいよ」とか、本当に色んな方が呼んで下さって。色々な場所で練習してたのを思い出しました」



差し伸べられた救いの手に感謝の気持ちでいっぱいだったと言います。
気仙沼向洋高校もまた、仮設校舎を受け入れてくれた周辺地域に感謝しています。
生徒
「登下校の際に、挨拶をすると快い挨拶を返してくれたりとか。地域の支えがあってとても感謝しています。」
教諭
「地域で子供たちをみんなで育てるんだ、というそういう地域の人たちの思いにすごく心を打たれました。」

長年、水産業の発展に貢献してきた気仙沼向洋高校。およそ7年間仮設校舎の限られた設備で授業を行って来ました。
今年、高台に新しい校舎が完成し、移転が決まりました。

仮設校舎最後の日となった、24日、生徒たちは感謝の気持ちを込めて地域の人々にプレゼントを配りました。

中に入っているのは、実習で作ったサンマの缶詰めです。
地域の人
「必ずくれた。挨拶。なんか寂しいね。」
生徒
「喜んで頂けてとても嬉しいです。」

そんな生徒たちへ羽生選手は伝えたい事がありました。
全校生徒が集まった中で流されたメッセージ。



羽生「ここから感謝の気持ちとかそういうものが、これからの人生、色んな場面で大切になると思います。これからも是非、その感謝の気持ち、そしてそこで学んだ事を生かしてこれからも頑張って下さい」

生徒
「めちゃめちゃ嬉しかったですね。自分も第一志望合格できるように頑張ります。」
生徒
「とてもカッコよかったです。新校舎でも頑張ろうと思いました。」
生徒
「寂しい部分もあるけど、この学校で過ごせた事がすごく嬉しかったです。」

感謝の気持ちを胸に、2学期からは新しい校舎で学びます。
☆☆☆☆☆☆
羽生選手から他でもなく、自分たちだけに向けて贈られたメッセージ。
あの羽生選手からメッセージが来た!
どんなにか嬉しかったでしょう。
Twitterでも、羽生選手からメッセージあった!「向洋凄い!」っていう生徒さんのツイートを見かけました。
一生の思い出になるプレゼントでしたね。
同じ東北で、同じく震災を体験しながらオリンピックの連覇を果たした活躍は、生徒たちの未来に可能性と勇気を与えたと思います。
羽生くんのメッセージと、
それから青森での映像まで付けて放送して下さって
エブリィはいつもありがたいですね
最初、羽生くんのメッセージだけやろうと思いましたが、
どこでとめていいか分からず、結局全文書き起こしてました
◆写真は全てテレビの画面撮りです。

エブリィで放送されたものを全文書き起こしました。
今月、撮影された新しい映像もありました❗
【2018/7/27放送 news every 】より

東日本大震災で被災した、宮城県気仙沼市の高校。
ようやく新しい校舎が完成し、7年間使った仮設校舎が最終日となりました。
そんな節目となった日、生徒たちに羽生結弦選手からのメッセージが届きました。

宮城県の気仙沼向洋高校。24日、生徒たちに笑顔が拡がりました。

届いたのは、羽生結弦選手からのサプライズメッセージ。

こちらの高校では、震災後仮設の校舎で授業を行って来ました。

2011年3月11日、津波は学校の4階まで押し寄せました。
生徒や教職員は、全員が無事でしたが校舎は閉鎖されました。
震災で大きな被害を受けた気仙沼市。
震災から7年がたった今、町は復興に向けて進んでいます。
しかし、気仙沼向洋高校は、別の地域に移り仮設での授業が続いていました。
生徒
「隣の高校のグラウンドをお借りしてたり、色んな人に感謝してます」



今回、学校から依頼を受けメッセージを寄せた羽生選手もまた宮城県仙台市で被災。
学校の状況を知り、自分の経験と重ねたと言います。


羽生「僕も被災・・まあ震災があった後にやっぱり自分のリンクが無くなってて」



羽生「重なるところがあったなと思いました」





当時、仙台のリンクも被災し閉鎖。地元で練習が出来なくなりました。



しかし、気仙沼向洋高校と同じように、青森や横浜など別の地域のリンクで練習を続ける事が出来たのです。


羽生「ある意味『間借り』っていうか、「ここで練習していいよ」とか、本当に色んな方が呼んで下さって。色々な場所で練習してたのを思い出しました」



差し伸べられた救いの手に感謝の気持ちでいっぱいだったと言います。
気仙沼向洋高校もまた、仮設校舎を受け入れてくれた周辺地域に感謝しています。
生徒
「登下校の際に、挨拶をすると快い挨拶を返してくれたりとか。地域の支えがあってとても感謝しています。」
教諭
「地域で子供たちをみんなで育てるんだ、というそういう地域の人たちの思いにすごく心を打たれました。」

長年、水産業の発展に貢献してきた気仙沼向洋高校。およそ7年間仮設校舎の限られた設備で授業を行って来ました。
今年、高台に新しい校舎が完成し、移転が決まりました。

仮設校舎最後の日となった、24日、生徒たちは感謝の気持ちを込めて地域の人々にプレゼントを配りました。

中に入っているのは、実習で作ったサンマの缶詰めです。
地域の人
「必ずくれた。挨拶。なんか寂しいね。」
生徒
「喜んで頂けてとても嬉しいです。」

そんな生徒たちへ羽生選手は伝えたい事がありました。
全校生徒が集まった中で流されたメッセージ。



羽生「ここから感謝の気持ちとかそういうものが、これからの人生、色んな場面で大切になると思います。これからも是非、その感謝の気持ち、そしてそこで学んだ事を生かしてこれからも頑張って下さい」

生徒
「めちゃめちゃ嬉しかったですね。自分も第一志望合格できるように頑張ります。」
生徒
「とてもカッコよかったです。新校舎でも頑張ろうと思いました。」
生徒
「寂しい部分もあるけど、この学校で過ごせた事がすごく嬉しかったです。」

感謝の気持ちを胸に、2学期からは新しい校舎で学びます。
☆☆☆☆☆☆
羽生選手から他でもなく、自分たちだけに向けて贈られたメッセージ。
あの羽生選手からメッセージが来た!
どんなにか嬉しかったでしょう。
Twitterでも、羽生選手からメッセージあった!「向洋凄い!」っていう生徒さんのツイートを見かけました。
一生の思い出になるプレゼントでしたね。
同じ東北で、同じく震災を体験しながらオリンピックの連覇を果たした活躍は、生徒たちの未来に可能性と勇気を与えたと思います。
羽生くんのメッセージと、
それから青森での映像まで付けて放送して下さって
エブリィはいつもありがたいですね

最初、羽生くんのメッセージだけやろうと思いましたが、
どこでとめていいか分からず、結局全文書き起こしてました

◆写真は全てテレビの画面撮りです。