「Continues with wings 」で羽生くんが一番辛い事を話す気持ちになって、ファンを信頼してくれ、信じて心を開いてくれたと思うと衝撃と共に絆も感じられました。


羽生家が一家でお食事に行かれる「漁亭浜や」さん。
先月持参された羽生くんのお祖父様・お祖母様からのお手紙にも応援の力について書いて下さっています。


漁亭浜や
http://www.yuriage.co.jp/



漁亭浜やインスタ(2018/3/29)より
https://www.instagram.com/p/Bg5lVwqFZu2/

『あすと長町店嬉しい頂きもの情報です』

本日お昼の営業中に羽生結弦選手の御祖父様と御祖母様にご来店いただきました。
羽生選手がゼビオアリーナ仙台にて凱旋公演をされた際に、当店にてご両親とご親族の方々がお食事して頂き、サイン入りパンフレットをわざわざプレゼントして頂きました。

今回は平昌オリンピックの新しいサインが入った写真と額縁まで!持って来てくださいました。二連覇という偉業もさることながら、結弦が『ここからが僕の人生のスタート、金メダリストにふさわしい人間になれるよう努力したい』とコメントをしていた事が、御祖父様と御祖母様が一番喜んでいるそうです。

是非、応援して下さった皆様に見ていただければとプレゼントして頂きました😊浜や入り口すぐのサインコーナーに飾らせて頂きました。皆様ご来店の際には見てください😄



ひーちゃんさんのTwitterより「お手紙」お借りしました。
https://twitter.com/ROMI_316/status/981785582673084416


御祖父様・御祖母様からお店に贈られたお手紙

⬇拡大しました



(抜粋)

私どもにとりまして今回の受賞は、直前の怪我ということもあり、本当に奇跡としか思えませんでした。
本人も申しておりましたが、最後の転倒を免れたのは、皆さんの応援の力以外の何物でもないと。
あの時、会場で応援していた私たちでさえ、何か大きなパワーを感じたのですから、結弦には、もっと強く届いたのでしょう。
彼の復活を願って、どれだけ多くの方々が、会場で、又はテレビを通じて大きな声援を贈って下さった事か・・・・どんなに感謝を申し上げても足りないくらいです。






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私がファンになったのは、ニースの世界選手権からです。

次の2012年シーズン、国内のトップ争いが激しくなって来た頃のNHK杯会場はこちらの写真のような光景が見られました。




揃いの黄色いバナータオルが見えると思います。







見え辛いかも知れませんが、会場の上の方までたくさんあります。








羽生選手もニースからファンが急増していた頃です。ジュニア時代から応援するファンもいて、どの試合を見てもよく見かけるお馴染みの個人バナーを持つファンや、壁に掛けるバナーもありました。


でも、ライバル選手の演技が終わると一斉に掲げられるバナーの多さは圧倒的なものがありました。会場を覆う熱さがありました。


拍手や声援を送ってもそれだけじゃライバル選手のファンに押される雰囲気があって、羽生くんに「僕のファンもたくさんいる!」って思って貰えるようにしたいと考えた方々がいらっしゃいました。


そこで、「羽生くんのための揃いのバナーを作ろう!」という動きが出始め「YUZURU 」の名前が入ったピンクのバナーが徐々に会場で見られ始めたのです。



最初はちょっとずつ。ほら、⬆のところに1枚。


こちらにも1枚。

徐々にそれは試合を重ねる度に増えて行っていました。

今思えばそれが羽生くんを凄く励ます事になるんだという、皆さんとても先見の明があったと思います。


2011年の震災のあと、羽生くんはファンから頂いた500通の手紙に全て返事を書いたそうです。羽生くんを応援するファンもその頃から沢山いました。

でも羽生くんから見れば、会場でどの人が本当に自分のためだけのファンか、分かりにくかったと思うのです。

自分の名前が書かれたバナーが増えて来て、それを見た羽生くんの気持ちを考えると、あの舞台の真ん中にたった一人で立つ時、それはとても心強い「援軍の旗」だったと思います。


その後は、個人個人で作る綺麗な絵が入ったバナーも増えて行きました。

2014年の中国杯の事故の時、キスクラで点数が出たとき、羽生くんの目から涙が溢れ出し号泣し始めます。

後に羽生くんは「自分の事を喜んでくれるファンの姿を見たから」だと語っていました。

その前、ニースでは「被災地を励まそうとしていたが、逆に自分が支えられていた」と気づいたと話していました。

そして、2016年シーズンには「観客とのコネクト」という言葉を発するようになります。

徐々に徐々に、ファンと羽生くんの間にただ見る側と見られる側というだけじゃない意味が生まれて行ったように思います。





2017年ロシア杯。嬉しそうに1つ1つのバナーを見る羽生くん




羽生くんは近年、会場に来られないファン、テレビの前の方々にも呼び掛けてくれるようになりました。

その見えない「向こう側」にもたくさんのファンがいると確信させたものは何だったでしょう。


それは送られてくる心のこもった手紙であったり、神社に掛けられた絵馬であったり、又は羽生くんが出ると出ないとでは売り上げが違うアイスショーだったり、羽生くんの記事が多い雑誌の売り上げ、羽生くんが出れば視聴率も上がる試合。

アスリートで異例とも言えるカレンダー・DVD・写真集の売り上げ、映画のヒット、グッズの売れ行き、チャリティーオークションの値段の高さ・・。

そのような「数字」の向こう側にもはっきりとファンの姿が感じられたと思います。




そして、平昌オリンピックの最後のルッツでは、冒頭の手紙にあったように不思議な出来事が。




(当ブログ 2018/3/2記事)





こんなにも多くのファンが羽生くんを守っている・・そう感じられた出来事でした。


でもそれでも傷つけられてしまう。


「これからもバッシングはあるだろう」と羽生くんは言います。


一番傷ついた時にファンは何の力にもなれないかも知れません。
苦しみの中では、その苦しみを取り除く役には立たないだろうとも思います。

でも一番苦しいピークを抜けた時には「僕には多くのファンがいる」と気づいて欲しい。自分を信じて支持し、応援してくれる人がいる事を感じて欲しい。


数は力です。

私がブログを始めた理由も、1つには羽生ファンを増やしたい、羽生くんの事を知って欲しいというものでした。

自分の無力さを思ったり、悩んだ事もいっぱいありました。

でも、やっぱり色んな人がいて色んな声があった方がいいと思うし、
ブログを通じてお友だちが出来たりもしました。

大きい花だけじゃなく、小さい花もいいと思いました。
続けて行くこと、思いを繋げて行くことが大事です。




Continuesの会場にも、あの昔なじみのピンクのバナーがありました。
(P&G のすぐ上)



明日は仙台で12万人ともいわれているファンが待っていますよ。


羽生くん、幸せでいてね。

笑顔でいてね。








ちなみに「クリスタル・フラワー」というブログ名は、水晶の花のような羽生選手をイメージして付けました。


が!プロフィール画像は全く関係ないヒヨコの画像を選んでしまい、羽生ファンと気づかれない可能性(悲)


でも見て下さい❗誰も気づいてないと思うけど!
一応、舞い飛ぶ羽に囲まれているんです ←分からんわ!あんぐりうさぎ









羽生選手とファン、お互いに愛と信頼で結ばれる関係で繋がっていたいです。

これからも、一緒に美しい花を応援して行きましょう照れ










ここまでお読み下さりありがとうございましたおねがい









◆お写真は、中央の数枚以外お借りしました。ありがとうございました。