日本記者クラブの会見の続きです
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180227-00010007-houdouk-spo
引き続きニュース原文を羽生選手の言葉に戻して、誤りや抜けている部分を修正しています。
特にまとまって省かれていた部分・省くと意味が分かりにくい部分は赤字にして修正しています。

https://youtu.be/yYVyJH4nkPw
(元動画)
司会 島田
――宇野昌磨選手。羽生選手を追いかけて、フリーのジャンプは追い越そうとしてチャレンジして失敗したと話していました。。そういう後輩がすぐ後ろにいるのは、今の立派な先達に学ぶという事の逆でどう思いますか?
羽生
まず1つ言って置きたいのは、僕はもうあの時点で勝利を確信していたので、彼が4回転ループを本当にきれいに決めていたとしてもまず点差的に負けることはなかったなと、まず言っておきます。

えー、ねえ。すごい突っ込まれてたしファンの方々も・・うん、あんまり良く思ってない方もいらっしゃったかも知れないんで、まず前提として・・ははは(苦笑い)
えー、やっぱり後輩が強い、まあそんなにいっぱいいる訳でもないんですけどねフィギュアスケーターは。ただ、自分をまあ追い抜かそうとは本音では思ってないかもしれないんですけれども、近づきたいって思ってくれる存在、そして・・それが自分の国の代表としている。それは非常に心強い事だなと。
考えて見ればまだ・・まだ引退するとは言わないんですけど、言ってないし引退する気持ちも全然ないですしやる事はありますけど、ただ「引退します」って簡単に言っちゃえば、彼に任せられるというかそういう頼もしさは感じています。
ただ、まだもうちょっと・・そうですね・・まあ人前に出る時に寝るとか、ははは(笑)そういうことはもうちょっと学ばなきゃいけないのかなと。もうちょっと面倒を見なければいけないのかなという風には思っています。
島田
――いや先輩らしいお言葉。これから先のことです。中国大使館の方からかわいいパンダのプレゼントがありました。是非北京でも頑張って下さいという中国政府、中国共産党からのメッセージか分かりませんが、とてもフレンドリーなメッセージがありましたが、次の五輪に向けては?
羽生
怖い(笑)
次の五輪に向けては「未定」という言葉が一番今の頭の中にはあります。もちろん自分がやりたい事には、4回転アクセルだとか、もしかしたら5回転の練習がしたいって4回転半が跳べたら思うかもしれないし。それはまだ分かりません。ただ、いま一生懸命やることを一生懸命やって、その延長線上に北京五輪があるんであれば、もし出るなら、絶対に勝ちたいと思っています。
個人会員 田村
――今回の五輪がもっと先だったら療養していると思います。これから長い将来を考えたら、足を治したららいいのかと思うのですが。

羽生
間違いなく仰られたように、これが五輪でなければ僕は今すぐに痛み止めを飲んでこうやってピークを作る事はなかったと思っています。やっぱり何よりも治すことが大事だっていうのは凄く思ってますし。
これからのスケート人生何が起きるかわからないので、やっぱり休んでいたと思っています。
えーとそうですね、実はフィギュアスケーターは、わりと五輪で金メダルを取った後、若い選手であっても1年間休養したり、もしくは五輪以外いらないから3年間しっかり休んで、で、またその3年後にそのシーズンにだけ合わせて体をつくってきたり絞って来たりする選手も実はいるスポーツです。
まあそういった中で僕はソチ五輪の後、金メダルを取ってもすぐに試合に出て、その後は試合で金メダルをとってまた来シーズンすぐに試合を始めました。
ただ今回は、足の状態があるので治療に専念するという気持ちは変わっていないです。
すみません回りくどい言い方かも知れないけれども、まあ言える事が限られているし、もしかしたら、ねえ、自分のこれからのスケートがちょっと分かっていない状態なので、詳しくは言い切れない・・まあ自分も分かってないので言い切れないんですけれども、間違いなく言えることは、今のこの自分の金メダルをとってきたという気持ちだとか自分のスケートだとか、そういうものを凄く待ち望んでいる方がいらっしゃるっていう事はうれしいことだし。
またアイスショーにおいても、またこういったイベントだったりとか色んなところで喋る機会があったとしても、こうやってたくさんの方が待って下さって、自分の声やスケートをお金を払ってでも見に来て下さる、そういった方々のためにちょっとでも自分のスケートを使えたら、ちょっとでも自分の体力とか気持ちとか気力とかそういったものを使えたらな、という風には今思っています。
経済キャスター 鈴木
――世界中の名だたる選手が人間性を含めて尊敬している。挑戦し続ける力、自分を律する力の原動力は?
羽生
えーとまず今、みなさんと話しているこういう時間って凄くまあ自分の中では、スイッチが入りきってなくて、わりとゆっくり話してるし、「この人ふわふわしてるなー」って思われるかもしれないですけど。
わりと自分の中で、スケートが始まった時だとか、スケート靴を履いて氷に乗った瞬間だとか、まあスケートの事を考えてアップをしてる時間だとかそういうときは本当に違う人間になっているんじゃないかってくらい切り替えています。それは自分のその精神力であったりとか、絶対に勝つんだとか、絶対に強くなるんだっていう原動力だと思ってますし。
その切り替えがうまくいかない時も勿論あるんですけれども、その切り替えを絶対にやるっていう風に決めてはいます。それが多分、ここまで、特にオリンピックですね、不安要素が色々あったし、やれないことも色々あったんですけれども、その中でやれたっていうのはそういう自分の中での切り替えやメリハリがあったからかなと思います。
毎日新聞 香川
――小さい頃からの夢だったと言っていましたが、私も二人子供がおりますが、小さい頃は失敗してへこたれたり、他の誘惑があったりで夢から逸れることもあるかと思います。夢を継続させる原動力は?

羽生
えっと、自分の中での今自分が持っている夢っていうものってわりと形がしっかりしていて、それは多分昔の自分なんですよ。
昔、小っちゃい頃に「ああ、これやりたい。これで強くなりたい。これで一番上に立ちたい。こういう人になりたい」そういう風に憧れてて、それを信じ切っていた自分が多分今もずっと心の中に残っていて。
その自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」って言っている昔の自分が、多分僕の夢というか、夢の原動力になってるんだなあとは思います。
だから、何だろ、もちろん誘惑とかたくさんあるし、僕もすごく野球をやりたかったんですけれども、先生も厳しくて。毎日正座ばっかりしてたし、スケートをやってる時間の方が多分短かかったいくらい立ってましたずっと。あはは(笑)先生に怒られて。でもそれでもスケートやめなかったのは、やっぱり、うん、やれてる事に特別だなという気持ちがあったからかなと思います。
フィギュアスケートってやっぱり陸上ではできないですし、もちろん小さい頃から金銭面で大変だということは、まあ自分は姉がいたのでそういう事も薄々気づきながらやっていました。
だからこそこうやって続けられることが特別だなと思ったし、何より先生方も凄く特別視してくれて、凄く面倒を見てくれて、こうやって育てて下さったので、そういうことに気付けたからここまで来れたのかなっていう風にも思います。
ただ、うん、夢って叶う人って本当に限られていて、自分の夢だって・・はっきり言っちゃえばですけど、自分の夢だって叶ったのはこの金メダル・・だけと言ったらおかしいけど。
この金メダルが叶った夢だけであって、他の夢はたくさん捨ててきたんで。
だからいっぱいあっていいと思うんですよ夢って。で、絶対適性があるし。高い目標じゃなくても低い目標でも夢って言えると思うので。
まあこれから色んな子供たちが色んな夢を持ちながら色々とやっていって、少しでもその夢が叶う瞬間を作ってあげられるような、その叶う瞬間になるきっかけのような言葉を出せたらな、と今改めて思いました。
島田
――野球をやりたいと両親を困らせたというエピソードがありますが。
羽生
いや全然、両親は困っていなかったですね。はい。「あ、やめたいの?じゃあやめなさい」っていう感じで。もう全然困ってなかったです。あの、「覚悟がないんだったらやるな」っていう感じはありました。
ただ、先ほども言ったようにあまりにも特殊なスポーツだし、何よりも先生たちが、本当に力をかけて面倒を見てくれてたので。まあ自分の中でも絶対やり通さなくてはいけないっていう気持ちもあったし。なにより小さいながらにかも知れないんですけど、今ほどでもないかもしれないんですけど、例えば9歳くらいの時に本当に辞めたいと思った事があって、本当に辞めるって言って、「じゃあ辞めなさい。野球でもやりなさい」ってなった時にふと思い出したのが、9歳だからまだスケート始めて5年経ってないくらいなんですけど、「あ、こんなところでこれを終わらせちゃっていいのか」と思ったんですよ。多分その時に気づいたのが「僕、もうスケートに人生を掛けてるな」って思ったんですよ。
島田「9歳で?!」
ふふふ(笑)だからこれを辞めちゃったら、もしかしたらこれまでの生きていた意味がなくなっちゃうのかもしれないとまで思っちゃって。だから何かそういう覚悟はずっとあったのかなと思っています。
島田
――そうするとフィギュアスケート以外では夢を見たことがない?

羽生
あります。いっぱいあります。歌を歌いたいとか、上手くなりたいなとか。あははは(笑)ねえ。
色々なことを想像して、「ああ、こうなりたいな」とか「これやってれば良かったな」とかすごい思いますけど、でもすべてスケート関連ですかね。スケートがやっぱ一番かけてきたものが多いです。
☆☆☆☆☆☆
宇野選手が「完璧な演技をしたら多分越せるかなと思っていた」と話した事について、ネットで検証されていた事を羽生くんは知っているんですね。
「彼が4回転ループをきれいに決めたとしても」自分が点差で勝つことは演技を終えた時点で分かっていたと、ここではっきり断言しています。
平昌で宇野選手と二人一緒に取材を受けることが多く、すぐ隣で宇野選手がこの発言を何度もしていた時には黙って聞いていた羽生くん。
宇野選手がそう思って試合に臨んだことはそれは彼がそう思ったということなので指摘はしなかったけれども、その話を事実として自分に質問されるのであれば、それは正して置かねばならないという気持ちでしょう。
ヤフーの原文では、(ネットで)突っ込まれてた事や、宇野選手をあまり良く思ってないファンの方もいらっしゃるかも・・という気づかいを口にした部分は、カットされていました
「9歳でもうスケートに人生かけてきた」
っていう部分は、その後16歳で震災でスケートやめなきゃ・・
ってなった時には
もっともっと今までの人生が、生きてきた意味が、
無くなってしまうって思ったんだろうな。
メディアのインタビューを10歳くらいから受ける事で、
そういうところから自分は作られてきたと聞いて
羽生くんがあまりにしっかりした受け答えをするので
みんなが驚くけれど、すごい昔からすごく注目され、
自分を表現するという事をずっと真剣にやってきたからなんだ
ってすごく感じました。
そこには、「こんな風になりたい」という理想が
はっきりとした形で持てていたからこそなんですね。
羽生くんの夢がちっとも揺らがずに
ここまで貫いて来れたのは
一番上を目指してきたという事に尽きる気がします。
羽生くんが歩んでいる道は王道。
だから少しも揺らぐ事がないのです。
誰でも出来る事ではないけれど
それだけの才を持つ事を許された羽生くんだからこそ
苦難を越えても進んで来れたのだと思います。
・・でも・・え?
歌を歌いたいんですか?!

ホ~ワ~イ~ト~~
・・いえ、なんでもありません
3に続きます。
◆写真は動画からのスクショです。ありがとうございました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180227-00010007-houdouk-spo
引き続きニュース原文を羽生選手の言葉に戻して、誤りや抜けている部分を修正しています。
特にまとまって省かれていた部分・省くと意味が分かりにくい部分は赤字にして修正しています。

https://youtu.be/yYVyJH4nkPw
(元動画)
司会 島田
――宇野昌磨選手。羽生選手を追いかけて、フリーのジャンプは追い越そうとしてチャレンジして失敗したと話していました。。そういう後輩がすぐ後ろにいるのは、今の立派な先達に学ぶという事の逆でどう思いますか?
羽生
まず1つ言って置きたいのは、僕はもうあの時点で勝利を確信していたので、彼が4回転ループを本当にきれいに決めていたとしてもまず点差的に負けることはなかったなと、まず言っておきます。

えー、ねえ。すごい突っ込まれてたしファンの方々も・・うん、あんまり良く思ってない方もいらっしゃったかも知れないんで、まず前提として・・ははは(苦笑い)
えー、やっぱり後輩が強い、まあそんなにいっぱいいる訳でもないんですけどねフィギュアスケーターは。ただ、自分をまあ追い抜かそうとは本音では思ってないかもしれないんですけれども、近づきたいって思ってくれる存在、そして・・それが自分の国の代表としている。それは非常に心強い事だなと。
考えて見ればまだ・・まだ引退するとは言わないんですけど、言ってないし引退する気持ちも全然ないですしやる事はありますけど、ただ「引退します」って簡単に言っちゃえば、彼に任せられるというかそういう頼もしさは感じています。
ただ、まだもうちょっと・・そうですね・・まあ人前に出る時に寝るとか、ははは(笑)そういうことはもうちょっと学ばなきゃいけないのかなと。もうちょっと面倒を見なければいけないのかなという風には思っています。
島田
――いや先輩らしいお言葉。これから先のことです。中国大使館の方からかわいいパンダのプレゼントがありました。是非北京でも頑張って下さいという中国政府、中国共産党からのメッセージか分かりませんが、とてもフレンドリーなメッセージがありましたが、次の五輪に向けては?
羽生
怖い(笑)
次の五輪に向けては「未定」という言葉が一番今の頭の中にはあります。もちろん自分がやりたい事には、4回転アクセルだとか、もしかしたら5回転の練習がしたいって4回転半が跳べたら思うかもしれないし。それはまだ分かりません。ただ、いま一生懸命やることを一生懸命やって、その延長線上に北京五輪があるんであれば、もし出るなら、絶対に勝ちたいと思っています。
個人会員 田村
――今回の五輪がもっと先だったら療養していると思います。これから長い将来を考えたら、足を治したららいいのかと思うのですが。

羽生
間違いなく仰られたように、これが五輪でなければ僕は今すぐに痛み止めを飲んでこうやってピークを作る事はなかったと思っています。やっぱり何よりも治すことが大事だっていうのは凄く思ってますし。
これからのスケート人生何が起きるかわからないので、やっぱり休んでいたと思っています。
えーとそうですね、実はフィギュアスケーターは、わりと五輪で金メダルを取った後、若い選手であっても1年間休養したり、もしくは五輪以外いらないから3年間しっかり休んで、で、またその3年後にそのシーズンにだけ合わせて体をつくってきたり絞って来たりする選手も実はいるスポーツです。
まあそういった中で僕はソチ五輪の後、金メダルを取ってもすぐに試合に出て、その後は試合で金メダルをとってまた来シーズンすぐに試合を始めました。
ただ今回は、足の状態があるので治療に専念するという気持ちは変わっていないです。
すみません回りくどい言い方かも知れないけれども、まあ言える事が限られているし、もしかしたら、ねえ、自分のこれからのスケートがちょっと分かっていない状態なので、詳しくは言い切れない・・まあ自分も分かってないので言い切れないんですけれども、間違いなく言えることは、今のこの自分の金メダルをとってきたという気持ちだとか自分のスケートだとか、そういうものを凄く待ち望んでいる方がいらっしゃるっていう事はうれしいことだし。
またアイスショーにおいても、またこういったイベントだったりとか色んなところで喋る機会があったとしても、こうやってたくさんの方が待って下さって、自分の声やスケートをお金を払ってでも見に来て下さる、そういった方々のためにちょっとでも自分のスケートを使えたら、ちょっとでも自分の体力とか気持ちとか気力とかそういったものを使えたらな、という風には今思っています。
経済キャスター 鈴木
――世界中の名だたる選手が人間性を含めて尊敬している。挑戦し続ける力、自分を律する力の原動力は?
羽生
えーとまず今、みなさんと話しているこういう時間って凄くまあ自分の中では、スイッチが入りきってなくて、わりとゆっくり話してるし、「この人ふわふわしてるなー」って思われるかもしれないですけど。
わりと自分の中で、スケートが始まった時だとか、スケート靴を履いて氷に乗った瞬間だとか、まあスケートの事を考えてアップをしてる時間だとかそういうときは本当に違う人間になっているんじゃないかってくらい切り替えています。それは自分のその精神力であったりとか、絶対に勝つんだとか、絶対に強くなるんだっていう原動力だと思ってますし。
その切り替えがうまくいかない時も勿論あるんですけれども、その切り替えを絶対にやるっていう風に決めてはいます。それが多分、ここまで、特にオリンピックですね、不安要素が色々あったし、やれないことも色々あったんですけれども、その中でやれたっていうのはそういう自分の中での切り替えやメリハリがあったからかなと思います。
毎日新聞 香川
――小さい頃からの夢だったと言っていましたが、私も二人子供がおりますが、小さい頃は失敗してへこたれたり、他の誘惑があったりで夢から逸れることもあるかと思います。夢を継続させる原動力は?

羽生
えっと、自分の中での今自分が持っている夢っていうものってわりと形がしっかりしていて、それは多分昔の自分なんですよ。
昔、小っちゃい頃に「ああ、これやりたい。これで強くなりたい。これで一番上に立ちたい。こういう人になりたい」そういう風に憧れてて、それを信じ切っていた自分が多分今もずっと心の中に残っていて。
その自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」って言っている昔の自分が、多分僕の夢というか、夢の原動力になってるんだなあとは思います。
だから、何だろ、もちろん誘惑とかたくさんあるし、僕もすごく野球をやりたかったんですけれども、先生も厳しくて。毎日正座ばっかりしてたし、スケートをやってる時間の方が多分短かかったいくらい立ってましたずっと。あはは(笑)先生に怒られて。でもそれでもスケートやめなかったのは、やっぱり、うん、やれてる事に特別だなという気持ちがあったからかなと思います。
フィギュアスケートってやっぱり陸上ではできないですし、もちろん小さい頃から金銭面で大変だということは、まあ自分は姉がいたのでそういう事も薄々気づきながらやっていました。
だからこそこうやって続けられることが特別だなと思ったし、何より先生方も凄く特別視してくれて、凄く面倒を見てくれて、こうやって育てて下さったので、そういうことに気付けたからここまで来れたのかなっていう風にも思います。
ただ、うん、夢って叶う人って本当に限られていて、自分の夢だって・・はっきり言っちゃえばですけど、自分の夢だって叶ったのはこの金メダル・・だけと言ったらおかしいけど。
この金メダルが叶った夢だけであって、他の夢はたくさん捨ててきたんで。
だからいっぱいあっていいと思うんですよ夢って。で、絶対適性があるし。高い目標じゃなくても低い目標でも夢って言えると思うので。
まあこれから色んな子供たちが色んな夢を持ちながら色々とやっていって、少しでもその夢が叶う瞬間を作ってあげられるような、その叶う瞬間になるきっかけのような言葉を出せたらな、と今改めて思いました。
島田
――野球をやりたいと両親を困らせたというエピソードがありますが。
羽生
いや全然、両親は困っていなかったですね。はい。「あ、やめたいの?じゃあやめなさい」っていう感じで。もう全然困ってなかったです。あの、「覚悟がないんだったらやるな」っていう感じはありました。
ただ、先ほども言ったようにあまりにも特殊なスポーツだし、何よりも先生たちが、本当に力をかけて面倒を見てくれてたので。まあ自分の中でも絶対やり通さなくてはいけないっていう気持ちもあったし。なにより小さいながらにかも知れないんですけど、今ほどでもないかもしれないんですけど、例えば9歳くらいの時に本当に辞めたいと思った事があって、本当に辞めるって言って、「じゃあ辞めなさい。野球でもやりなさい」ってなった時にふと思い出したのが、9歳だからまだスケート始めて5年経ってないくらいなんですけど、「あ、こんなところでこれを終わらせちゃっていいのか」と思ったんですよ。多分その時に気づいたのが「僕、もうスケートに人生を掛けてるな」って思ったんですよ。
島田「9歳で?!」
ふふふ(笑)だからこれを辞めちゃったら、もしかしたらこれまでの生きていた意味がなくなっちゃうのかもしれないとまで思っちゃって。だから何かそういう覚悟はずっとあったのかなと思っています。
島田
――そうするとフィギュアスケート以外では夢を見たことがない?

羽生
あります。いっぱいあります。歌を歌いたいとか、上手くなりたいなとか。あははは(笑)ねえ。
色々なことを想像して、「ああ、こうなりたいな」とか「これやってれば良かったな」とかすごい思いますけど、でもすべてスケート関連ですかね。スケートがやっぱ一番かけてきたものが多いです。
☆☆☆☆☆☆
宇野選手が「完璧な演技をしたら多分越せるかなと思っていた」と話した事について、ネットで検証されていた事を羽生くんは知っているんですね。
「彼が4回転ループをきれいに決めたとしても」自分が点差で勝つことは演技を終えた時点で分かっていたと、ここではっきり断言しています。
平昌で宇野選手と二人一緒に取材を受けることが多く、すぐ隣で宇野選手がこの発言を何度もしていた時には黙って聞いていた羽生くん。
宇野選手がそう思って試合に臨んだことはそれは彼がそう思ったということなので指摘はしなかったけれども、その話を事実として自分に質問されるのであれば、それは正して置かねばならないという気持ちでしょう。
ヤフーの原文では、(ネットで)突っ込まれてた事や、宇野選手をあまり良く思ってないファンの方もいらっしゃるかも・・という気づかいを口にした部分は、カットされていました

「9歳でもうスケートに人生かけてきた」
っていう部分は、その後16歳で震災でスケートやめなきゃ・・
ってなった時には
もっともっと今までの人生が、生きてきた意味が、
無くなってしまうって思ったんだろうな。
メディアのインタビューを10歳くらいから受ける事で、
そういうところから自分は作られてきたと聞いて
羽生くんがあまりにしっかりした受け答えをするので
みんなが驚くけれど、すごい昔からすごく注目され、
自分を表現するという事をずっと真剣にやってきたからなんだ
ってすごく感じました。
そこには、「こんな風になりたい」という理想が
はっきりとした形で持てていたからこそなんですね。
羽生くんの夢がちっとも揺らがずに
ここまで貫いて来れたのは
一番上を目指してきたという事に尽きる気がします。
羽生くんが歩んでいる道は王道。
だから少しも揺らぐ事がないのです。
誰でも出来る事ではないけれど
それだけの才を持つ事を許された羽生くんだからこそ
苦難を越えても進んで来れたのだと思います。
・・でも・・え?
歌を歌いたいんですか?!

ホ~ワ~イ~ト~~

・・いえ、なんでもありません

3に続きます。
◆写真は動画からのスクショです。ありがとうございました。