66年前、1952年のオスロ五輪で連覇を果たしたバトンさんから、
今期連覇の期待が掛かる羽生選手へのメッセージです
毎日新聞と、日刊スポーツの「フィギュアに恋して」からの
合わせて4つの記事を集めました。
経歴 ◆ディック・バトン
1929年7月18日、米ニュージャージー州生まれ。1948年サンモリッツ五輪フィギュアスケート男子シングルを18歳202日の史上最年少で制し、1952年オスロ五輪で連覇を達成。世界選手権は1948年から5連覇。世界で初めて1948年に2回転半、1952年に3回転ループに成功した。23歳で現役引退後は解説者として活躍。
■五輪連覇、敵は「重圧」 男子66年ぶり、羽生に託す 伝説のスケーター、ディック・バトンさん
毎日新聞 2017年10月12日
https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20171012/ddm/035/050/056000c

フィギュアスケートの五輪2連覇を振り返るバトンさん=福田智沙撮影
フィギュアスケート男子でソチ五輪金メダルの羽生結弦(ANA)は来年2月の平昌五輪で66年ぶりの連覇を狙う。達成すれば1948年サンモリッツ五輪、52年オスロ五輪を制した米国の伝説のスケーター、ディック・バトンさん(88)以来となる。バトンさんがこのほどニューヨークの自宅で毎日新聞の取材に応じ、自身の経験を振り返りながら、羽生への評価やアドバイスを語った。【福田智沙】
リラックスし/楽しんで/勇気を持って/練習量も適度に
バトンさんはサンモリッツ五輪を史上最年少の18歳202日で制し、オスロ五輪でも金メダルを獲得。「もっといいものや、たくさんのことにトライしたかった」と、新たなジャンプや技にも取り組んだ。世界で初めてダブルアクセル(2回転半ジャンプ)や、世界初の3回転ジャンプとなるループに成功。ループだったのは「(スケートのエッジの)アウトサイドで踏み切るのは、より簡単だった。サルコウのようにインサイドで踏み切るのはとても難しかった」ためだ。
「守りすぎて」苦戦
最初の五輪は「いいスケーターではなかったが、その時のベストを尽くせた」。だが、2度目の五輪は「重圧があった」と明かす。「以前よりいいスケーターになっていたが、ベストを出せなかった」。オスロ五輪では本番を控えて練習をしすぎ、本番の5日前に完璧な演技をしてしまうと、その後少しずつ調子を落とした。それでも、現在は行われていない規定(決められた図形を氷上にスケートのエッジで描くもの)で首位に立った。フリーでは世界初の3回転ループを成功させたが、ダブルアクセルにミスが出た。結果的に連覇したが「それ以来、ずっと私を悩ませている」と心残りになっている。
タイトルを守るのは難しいと感じている。「攻められるより攻めるほうが簡単だし、挑まれるより挑む方が簡単だ。2回目は守りすぎてしまった」。五輪で勝つのに必要なことは「リラックスすること。楽しむこと。勇気を持つこと。練習しすぎないこと」と言い切る。
「幅広い才能」評価
バトンさんは羽生を「彼は幅広い才能がある。素晴らしいジャンプを持っている」と評する。羽生の今季のプログラムは2季前の再演となるが、「スケーターは2年で変わる。成長するし、多くを学ぶし、経験も積む。今回、彼が演じるプログラムは前とは違う」と感じている。
平昌五輪では羽生や、世界選手権2回優勝のハビエル・フェルナンデス(スペイン)、宇野昌磨(トヨタ自動車)、ネーサン・チェン(米国)、金博洋(中国)に加え、他の数人の選手にも勝つチャンスはあるとバトンさんは考えている。「今のルールでは誰もが勝てる。4回転ジャンプを何回跳んできれいに決めるかが重要だからだ」
バトンさんは現在の男子選手は4回転ジャンプを跳ぶ回数が多すぎ、そして独自性を出せていないと感じている。「骨、そして心でいい作品を演じられる選手がいい。技術なくして芸術なし。芸術なくして技術なし」。人をひきつける演技を望んでいる。
■羽生結弦66年ぶり連覇へ伝説の王者がメッセージ
日刊スポーツ[2017年9月5日20時0分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/m/sports/column/figurekoi/news/1883209_m.html?mode=all
<羽生五輪連覇への提言(1)>
18年平昌五輪フィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの連覇を狙う羽生結弦(22=ANA)のシーズンが始まる。伝説のスケーター、ディック・バトン氏(88=米国)は羽生と同じく10代で五輪王者となり、続く2度目の五輪も制した。羽生の金メダルへの道しるべとなるバトン氏が、メッセージを送った。今日5日からスタートの長期連載「フィギュアに恋して」では、羽生ら日本人選手の動向のほか、競技の話題をさまざまな視点で取り上げる。【取材、構成=高場泉穂】

羽生にメッセージを書いたバトン氏(撮影・高場泉穂)。右はソチ五輪で金メダルを手に笑顔の羽生
あこがれのスケーターの存在が連覇を確信させた。今年4月にヘルシンキで行われた世界選手権。3年ぶりに王者に返り咲いた羽生は、一夜明け会見でバトン氏の名前を口にした。「ディック・バトンさんも世界王者として(2度目の五輪に)臨んだ。そういった意味では、すごくいい験かつぎです」。
フィギュアスケート界でこの2人しかなし得ていないことがある。10代での五輪優勝とループジャンプの開拓。バトン氏は世界初の3回転ループを、羽生は16年に4回転ループを初めて試合で成功させた。「いい流れが自分に来ていると、思い込んでいます」。前年に世界王者となり、2度目の金メダルへ―。大先輩であるバトン氏と自分を重ねた。
ニューヨークの高級住宅街アッパー・イーストサイドにある自宅で取材に応じたバトン氏は、羽生に向けて〝オリンピックをエンジョイするんだ。リラックスして、楽しめ〟と紙にメッセージを書いた。シンプルな言葉の裏には2度目の五輪での苦い経験がある。
「私は失敗したんだ。2度目の五輪では自分の持っている力を出せなかった…」
バトン氏は48年サンモリッツ五輪で、男子シングル史上最年少の18歳202日で金メダルを獲得。その後も、若い王者の成長は止まらなかった。新たなジャンプやスピンの習得に励み、世界選手権の連覇を4に伸ばした。絶対王者として臨んだ52年オスロ五輪。「重圧はどうしたってあるもの。自分でどうにかしようとはしなかった」。重圧に打ち勝つ自信はあったが現地入り後、いつもと違うことをした。
「6日滑って1日休む、といういつものルーティンを忘れ、練習し過ぎてしまったんだ。本番5日前に完璧な練習をしてしまい、そこから毎日練習するたびに少しずつ調子が下がっていった。それで、本番で失敗してしまった」
規定(※注)で2位に差をつけ迎えたフリーは途中までほぼ完璧だった。世界初の3回転ジャンプとなる3回転ループも成功させたが、後半のダブルアクセル(2回転半)は両足で着氷。連覇こそ達成したが、完璧な演技を求めるバトン氏は満足できなかった。半世紀を経た今も「悪い思い出」として胸に残る。五輪のメダルは飾らず、しまったままだ。だからこそ、羽生には「五輪で自分のベストの演技をして、良い思い出をつくってほしい」と願う。

バトン氏からのメッセージ
"Enjoy the Olympic Experience Relax + Have Fun!"
羽生も苦い金メダルの味を知っている。14年ソチ五輪。首位で迎えたフリーで、2度大きな失敗をした。冒頭の4回転サルコーで転倒。その後の4回転トーループは成功したが、直後の3回転フリップでバランスを崩し、氷に両手をついた。得点は自己ベストより15点も低かった。悔しさの残る優勝だった。
今年8月、羽生はソチ五輪前後の自分のインタビュー動画や記事を見返していると明かした。「フリーで、2回失敗しちゃったこと。それがあったからこそ、次のシーズンで(4回転)サルコーをきっちり跳べるようになったと思うし、他のところでもっともっと質のいいジャンプを跳べるようになった。金メダルの結果があり、その上で成長できる伸びしろをすごく多く感じてこられた、ぜいたくな選手だと思っています」。オスロ五輪のバトン氏と同様に最初の金メダル獲得後、成長を遂げ、2度目の五輪へと向かう。
バトン氏は「羽生は本当に素晴らしい才能を持っている」とたたえ、こう繰り返した。「たった1つ。エンジョイさえすれば勝てる」。笑顔の金メダリストを待ち望んでいる。(つづく)
【注】規定は決められた図形に沿って滑り、その滑走姿勢と、描いた図形の正確さを競う。男女シングルは73年にショートプログラムが導入されるまで、規定とフリーの2種目合計で争われていた。68年まで競技全体の6割がコンパルソリーの得点だったが、90年に廃止された。
◆羽生の現状 羽生は14年ソチ五輪後の3年でさらに強さを身につけた。15年にNHK杯、グランプリ(GP)ファイナルと2戦続けてSP、フリー、合計の世界最高得点をマーク。今年の世界選手権でフリーの世界最高点を更新した。米国のスポーツ情報提供会社「グレースノート」は5月、平昌五輪のメダル予想で羽生を金メダルとした。スケート大国米国からも連覇の可能性が高いとみられている。
ただ、16年まで世界選手権連覇のフェルナンデス(スペイン)、4大陸選手権で羽生を抑え優勝したチェン(米国)、世界選手権2位の宇野昌磨(トヨタ自動車)ら強力なライバルがおり、楽観はできない。今季初戦はオータムクラシック(20日開幕、カナダ・モントリオール)。GPロシア杯、NHK杯を経て、12月末の全日本選手権で平昌五輪の代表が決まる。
■バトン氏、連覇狙う羽生に「演技にいのち吹き込め」
日刊スポーツ[2017年9月6日20時3分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/m/sports/column/figurekoi/news/1883605_m.html
<羽生五輪連覇への提言(2)>
羽生結弦(22=ANA)と男子シングルで五輪連覇を達成した伝説のスケーター、ディック・バトン氏(88)は10代で五輪金メダルを獲得した共通項がある。同時にループジャンプの開拓者という点も重なる。

自宅のリビングで笑顔を見せるバトン氏(撮影・高場泉穂)
バトン氏は48年サンモリッツ五輪でダブルアクセル(2回転半)を、52年オスロ五輪で世界初の3回転ジャンプとなるループに成功した。たえずジャンプの新技やコンビネーションに挑んだのは「目の前に、やるべきこととしてあったから」。挑戦を重ね、ジャンプの礎を作った。
羽生も男子フィギュア界の新たな「4回転時代」をけん引する。きっかけは15~16年シーズン。ショートプログラム(SP)で4回転を2本、フリーで3本、計5本を入れた各プログラムで世界最高点をマークした。翌16年秋には、世界で初めて4回転ループに成功。17年4月の世界選手権ではフリーで4回転4本をそろえ、世界最高点を更新した。自身も技術の開拓者だったバトン氏は、羽生を「細身で、お尻が小さいからジャンプに有利」と分析。4回転ジャンプも「かっこいい」と評する。
羽生が4回転ジャンプの種類、本数を増やすたびに、他の選手も負けじと対抗。こうして、フィギュアスケート史上、最も高難度のジャンプで争われる時代となった。ただ、著しい進化はバトン氏の想像を超えていた。今の男子の4回転時代について「過剰。やりすぎ」と警鐘を鳴らす。「フィギュアスケートは、あくまで演技(パフォーマンス)なんだ」。引退後も半世紀、解説者として競技を見つめてきた目からは、やる方も見る方も「息をする間がない」ぐらい緊張を強いられると感じる。

16年9月、オータムクラシック男子SPの演技で誘うようなしぐさをする羽生
03年以降の新採点方式は得点要素がより細分化され、曖昧だった部分がほぼ数値化された。「昔のフィギュアスケートは技術と芸術表現、2つの面があったが、今はそれに得点という新たな面が加わった。スケーターは得点を得るために動くことになる」。羽生らトップ選手は「みなクリエーティブ能力を持っているのに、それを出すのが難しい」と同情した。
それでも最終的に勝敗を分けるのは、演技そのものだという。バトン氏は「演技に、いのちを吹き込め」と語る。いくら点数で測っても、勝つのは「人をひきつける演技」だと力説した。(つづく)【高場泉穂】
■五輪舞台「シアター」にしてこそ新たな歴史生まれる
[2017年9月7日20時6分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/m/sports/column/figurekoi/news/1884044_m.html?mode=all
<羽生五輪連覇への提言(3)>
14年ソチ五輪。米テレビ局の名物解説者として、ディック・バトン氏(88=米国)は、羽生結弦(22=ANA)のショートプログラム(SP)を絶賛した。「ただただ、息をのむほどに美しかった」。SP「パリの散歩道」は2年がかりで作り上げた最高の演技だった。ジャンプを含む要素はほぼ完璧。ブルースギターに合わせて色気のある男性を演じ、観衆を魅了した。

14年2月、ソチ五輪男子SPで演技する羽生結弦
人を引き込む演技とはどういうものか。造園家でもあるバトン氏は、庭と競技を比較し「空間にどう人を招き入れるかという部分で共通している」と語る。庭に見どころがあるように、「スケーターは、何万人もの観客が入る会場で視点を集めなくてはならない」。
女子の演技を例に挙げて説明した。1人は02年ソルトレークシティー五輪銀、06年トリノ五輪銅のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)。「ほっぺの赤い彼女は、まずはなをかみ、衣装を整え、水を飲む。うつむきながら滑って、スタート位置で作り笑いするんだ」。もう1人は84年サラエボ、88年カルガリー五輪連覇のカタリナ・ビット(ドイツ)。「彼女は氷の上に出た瞬間から、全ての観客の目が自分に向いていることを知っていた。結い上げた髪に軽く手をあて、コーチの助言を軽く聞き流し、軽やかに滑り出した」。バトン氏が望むのは、無邪気なスルツカヤの姿ではなく、女優然としたビットのふるまいだ。「フィギュアスケートはシアターであるべきだ」。

自宅のリビングで50年世界選手権の優勝杯を持つバトン氏(撮影・高場泉穂)
伝説の演技がある。84年サラエボ五輪アイスダンス金メダル、トービル、ディーン組(英国)の「ボレロ」だ。それまでは明るい曲を使うのが主流だったが、彼らは単調なクラシック曲に合わせ、男女の悲恋を演じた。最後は氷に突っ伏し、死を表現。すべてが革新的だった。バトン氏はこの演技を象徴的な出来事の1つに挙げる。「スケーターは人を楽しませ、励まし、高揚させることが出来る。私が興味があるのは、素晴らしい動きそのものだ」。
羽生は、SP、フリーともに過去3季で最も自分に合った曲を再び滑る。バトン氏が「今のトップ選手はみなクリエーティブであるのに、点を稼ぐことにとらわれ、そうあることが難しい」と指摘する点は、羽生も感じているのだろう。再演を決めたのは「心地よく、余計なことを考えずにいられる」からだった。4年前の「パリの散歩道」のように、再び五輪の舞台を「シアター」に出来た時、新たな歴史が刻まれる。(この項おわり)【高場泉穂】
☆☆☆☆☆☆
世界でフィギュアスケートの連覇についてアドバイスできる
たった一人の人、ディック・バトンさん。
そのバトンさんと羽生選手は、凄く共通点が多いんですね
バトンさん、1952年に3回転ループに成功。
羽生選手、 2016年に4回転ループに成功。
バトンさん、五輪で連覇したものの実力を発揮できずに心残りに思う。
羽生選手、ソチで優勝したものの内容は悔しいものだった。
バトンさん、2回目のオスロ五輪の前年に世界選手権優勝。
羽生くん、2回目の平昌五輪の前年(今年)、世界選手権優勝。
バトンさん、たえずジャンプの新技やコンビネーションに挑んだのは「目の前に、やるべきこととしてあったから」
絶えず新技に挑戦し、進化する事を目指す
羽生くんの平昌五輪への思い。


当ブログ記事より
http://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12319241603.html
「技術なくして芸術なし」
という言葉も、技術を音楽に溶け込ませたいという羽生選手を
思わせます。
とても似たところのある二人です。
「いい験かつぎ」「いい波が自分に来ていると思い込んでいます」
そう自然に思えますね。
類は友を呼ぶと言うか、同じ流れにいる二人という感じがします。
羽生選手ならば、「演技に命を吹き込み」「フィギュアスケートをシアターに」する事が出来ます。
こんなに共通項のある先達がいてくれて、その姿を追って行ける事は
羽生選手も心強いですね。
もう1つ、フィギュアスケートの金メダリストには
「秘数33」を持つという不思議な共通点があるそうです。
誕生日の数を全部足して33になる人が・・

荒川静香さんもそうだそうです。
なんか鳥肌が~
不思議ですね~。
33の人の特徴
http://numero33.net/num33.html
3の進化系ですが33を一桁にすると3+3=6なので、6の要素も兼ね備えています。数秘術で6になる人の性格も参考にしてください。33は3と同様に破壊と創造の数字なのですがスケールが大きくなります。3が「遊び」なのに対して33は「革命」です。常識の枠には納まりません。一方で6のように空気を読むところもあり、読めるのにまわりに合わせきれず、ついつい変な行動を起こしてしまいます。
難題を抱えているときには、11の倍数なので「ひらめき」が降りてきますが、3同様に自由人で困ったことがないと考えようとせず本領が発揮されません。そのため、一旦ひらめきの快感を覚えると自分からわざわざ困難に突入していくようになります。そもそもが普通に生きられない性質でもあり、自営業が多く、そのなかでもちょっと変わったスタイルで仕事をする人がいます。
独特の人生を送っているうちに物事の発想も独特になり、素の状態で思っていることを語ると初対面の一桁の数字の人には理解されません。どうすれば相手に合わせられるか(6の考え方)試行錯誤しているうちに誰とでも仲良くなれるようになります。ただ、あくまでも相手に合わせているだけなので、人付き合いするほど本人は疲れてしまうケースもあります。
33の人の長所と短所
長所
一旦興味が向いたものに対する集中力は桁外れです。気づいたらその分野のスペシャリストになっていたり特殊能力を身につけていたりします。
短所
普通のことができません。自分の困難を乗り越えるのに夢中で(←苦しみながら楽しんでいる)、現実世界の大事なことがおろそかになってしまいます。
わざわざ困難に突っ込んで行く、
っていうところ凄い羽生くんっぽい
(笑)
ちなみに、ゾロ目になる人は、2000年代は、2029年9月29日まで生まれて来ないそうです。
それも、33ではなく宿命数11。
私は、秘数9でした
◆写真は、every を除きお借りしました。ありがとうございました。
今期連覇の期待が掛かる羽生選手へのメッセージです

毎日新聞と、日刊スポーツの「フィギュアに恋して」からの
合わせて4つの記事を集めました。
経歴 ◆ディック・バトン
1929年7月18日、米ニュージャージー州生まれ。1948年サンモリッツ五輪フィギュアスケート男子シングルを18歳202日の史上最年少で制し、1952年オスロ五輪で連覇を達成。世界選手権は1948年から5連覇。世界で初めて1948年に2回転半、1952年に3回転ループに成功した。23歳で現役引退後は解説者として活躍。
■五輪連覇、敵は「重圧」 男子66年ぶり、羽生に託す 伝説のスケーター、ディック・バトンさん
毎日新聞 2017年10月12日
https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20171012/ddm/035/050/056000c

フィギュアスケートの五輪2連覇を振り返るバトンさん=福田智沙撮影
フィギュアスケート男子でソチ五輪金メダルの羽生結弦(ANA)は来年2月の平昌五輪で66年ぶりの連覇を狙う。達成すれば1948年サンモリッツ五輪、52年オスロ五輪を制した米国の伝説のスケーター、ディック・バトンさん(88)以来となる。バトンさんがこのほどニューヨークの自宅で毎日新聞の取材に応じ、自身の経験を振り返りながら、羽生への評価やアドバイスを語った。【福田智沙】
リラックスし/楽しんで/勇気を持って/練習量も適度に
バトンさんはサンモリッツ五輪を史上最年少の18歳202日で制し、オスロ五輪でも金メダルを獲得。「もっといいものや、たくさんのことにトライしたかった」と、新たなジャンプや技にも取り組んだ。世界で初めてダブルアクセル(2回転半ジャンプ)や、世界初の3回転ジャンプとなるループに成功。ループだったのは「(スケートのエッジの)アウトサイドで踏み切るのは、より簡単だった。サルコウのようにインサイドで踏み切るのはとても難しかった」ためだ。
「守りすぎて」苦戦
最初の五輪は「いいスケーターではなかったが、その時のベストを尽くせた」。だが、2度目の五輪は「重圧があった」と明かす。「以前よりいいスケーターになっていたが、ベストを出せなかった」。オスロ五輪では本番を控えて練習をしすぎ、本番の5日前に完璧な演技をしてしまうと、その後少しずつ調子を落とした。それでも、現在は行われていない規定(決められた図形を氷上にスケートのエッジで描くもの)で首位に立った。フリーでは世界初の3回転ループを成功させたが、ダブルアクセルにミスが出た。結果的に連覇したが「それ以来、ずっと私を悩ませている」と心残りになっている。
タイトルを守るのは難しいと感じている。「攻められるより攻めるほうが簡単だし、挑まれるより挑む方が簡単だ。2回目は守りすぎてしまった」。五輪で勝つのに必要なことは「リラックスすること。楽しむこと。勇気を持つこと。練習しすぎないこと」と言い切る。
「幅広い才能」評価
バトンさんは羽生を「彼は幅広い才能がある。素晴らしいジャンプを持っている」と評する。羽生の今季のプログラムは2季前の再演となるが、「スケーターは2年で変わる。成長するし、多くを学ぶし、経験も積む。今回、彼が演じるプログラムは前とは違う」と感じている。
平昌五輪では羽生や、世界選手権2回優勝のハビエル・フェルナンデス(スペイン)、宇野昌磨(トヨタ自動車)、ネーサン・チェン(米国)、金博洋(中国)に加え、他の数人の選手にも勝つチャンスはあるとバトンさんは考えている。「今のルールでは誰もが勝てる。4回転ジャンプを何回跳んできれいに決めるかが重要だからだ」
バトンさんは現在の男子選手は4回転ジャンプを跳ぶ回数が多すぎ、そして独自性を出せていないと感じている。「骨、そして心でいい作品を演じられる選手がいい。技術なくして芸術なし。芸術なくして技術なし」。人をひきつける演技を望んでいる。
■羽生結弦66年ぶり連覇へ伝説の王者がメッセージ
日刊スポーツ[2017年9月5日20時0分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/m/sports/column/figurekoi/news/1883209_m.html?mode=all
<羽生五輪連覇への提言(1)>
18年平昌五輪フィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの連覇を狙う羽生結弦(22=ANA)のシーズンが始まる。伝説のスケーター、ディック・バトン氏(88=米国)は羽生と同じく10代で五輪王者となり、続く2度目の五輪も制した。羽生の金メダルへの道しるべとなるバトン氏が、メッセージを送った。今日5日からスタートの長期連載「フィギュアに恋して」では、羽生ら日本人選手の動向のほか、競技の話題をさまざまな視点で取り上げる。【取材、構成=高場泉穂】

羽生にメッセージを書いたバトン氏(撮影・高場泉穂)。右はソチ五輪で金メダルを手に笑顔の羽生
あこがれのスケーターの存在が連覇を確信させた。今年4月にヘルシンキで行われた世界選手権。3年ぶりに王者に返り咲いた羽生は、一夜明け会見でバトン氏の名前を口にした。「ディック・バトンさんも世界王者として(2度目の五輪に)臨んだ。そういった意味では、すごくいい験かつぎです」。
フィギュアスケート界でこの2人しかなし得ていないことがある。10代での五輪優勝とループジャンプの開拓。バトン氏は世界初の3回転ループを、羽生は16年に4回転ループを初めて試合で成功させた。「いい流れが自分に来ていると、思い込んでいます」。前年に世界王者となり、2度目の金メダルへ―。大先輩であるバトン氏と自分を重ねた。
ニューヨークの高級住宅街アッパー・イーストサイドにある自宅で取材に応じたバトン氏は、羽生に向けて〝オリンピックをエンジョイするんだ。リラックスして、楽しめ〟と紙にメッセージを書いた。シンプルな言葉の裏には2度目の五輪での苦い経験がある。
「私は失敗したんだ。2度目の五輪では自分の持っている力を出せなかった…」
バトン氏は48年サンモリッツ五輪で、男子シングル史上最年少の18歳202日で金メダルを獲得。その後も、若い王者の成長は止まらなかった。新たなジャンプやスピンの習得に励み、世界選手権の連覇を4に伸ばした。絶対王者として臨んだ52年オスロ五輪。「重圧はどうしたってあるもの。自分でどうにかしようとはしなかった」。重圧に打ち勝つ自信はあったが現地入り後、いつもと違うことをした。
「6日滑って1日休む、といういつものルーティンを忘れ、練習し過ぎてしまったんだ。本番5日前に完璧な練習をしてしまい、そこから毎日練習するたびに少しずつ調子が下がっていった。それで、本番で失敗してしまった」
規定(※注)で2位に差をつけ迎えたフリーは途中までほぼ完璧だった。世界初の3回転ジャンプとなる3回転ループも成功させたが、後半のダブルアクセル(2回転半)は両足で着氷。連覇こそ達成したが、完璧な演技を求めるバトン氏は満足できなかった。半世紀を経た今も「悪い思い出」として胸に残る。五輪のメダルは飾らず、しまったままだ。だからこそ、羽生には「五輪で自分のベストの演技をして、良い思い出をつくってほしい」と願う。

バトン氏からのメッセージ
"Enjoy the Olympic Experience Relax + Have Fun!"
羽生も苦い金メダルの味を知っている。14年ソチ五輪。首位で迎えたフリーで、2度大きな失敗をした。冒頭の4回転サルコーで転倒。その後の4回転トーループは成功したが、直後の3回転フリップでバランスを崩し、氷に両手をついた。得点は自己ベストより15点も低かった。悔しさの残る優勝だった。
今年8月、羽生はソチ五輪前後の自分のインタビュー動画や記事を見返していると明かした。「フリーで、2回失敗しちゃったこと。それがあったからこそ、次のシーズンで(4回転)サルコーをきっちり跳べるようになったと思うし、他のところでもっともっと質のいいジャンプを跳べるようになった。金メダルの結果があり、その上で成長できる伸びしろをすごく多く感じてこられた、ぜいたくな選手だと思っています」。オスロ五輪のバトン氏と同様に最初の金メダル獲得後、成長を遂げ、2度目の五輪へと向かう。
バトン氏は「羽生は本当に素晴らしい才能を持っている」とたたえ、こう繰り返した。「たった1つ。エンジョイさえすれば勝てる」。笑顔の金メダリストを待ち望んでいる。(つづく)
【注】規定は決められた図形に沿って滑り、その滑走姿勢と、描いた図形の正確さを競う。男女シングルは73年にショートプログラムが導入されるまで、規定とフリーの2種目合計で争われていた。68年まで競技全体の6割がコンパルソリーの得点だったが、90年に廃止された。
◆羽生の現状 羽生は14年ソチ五輪後の3年でさらに強さを身につけた。15年にNHK杯、グランプリ(GP)ファイナルと2戦続けてSP、フリー、合計の世界最高得点をマーク。今年の世界選手権でフリーの世界最高点を更新した。米国のスポーツ情報提供会社「グレースノート」は5月、平昌五輪のメダル予想で羽生を金メダルとした。スケート大国米国からも連覇の可能性が高いとみられている。
ただ、16年まで世界選手権連覇のフェルナンデス(スペイン)、4大陸選手権で羽生を抑え優勝したチェン(米国)、世界選手権2位の宇野昌磨(トヨタ自動車)ら強力なライバルがおり、楽観はできない。今季初戦はオータムクラシック(20日開幕、カナダ・モントリオール)。GPロシア杯、NHK杯を経て、12月末の全日本選手権で平昌五輪の代表が決まる。
■バトン氏、連覇狙う羽生に「演技にいのち吹き込め」
日刊スポーツ[2017年9月6日20時3分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/m/sports/column/figurekoi/news/1883605_m.html
<羽生五輪連覇への提言(2)>
羽生結弦(22=ANA)と男子シングルで五輪連覇を達成した伝説のスケーター、ディック・バトン氏(88)は10代で五輪金メダルを獲得した共通項がある。同時にループジャンプの開拓者という点も重なる。

自宅のリビングで笑顔を見せるバトン氏(撮影・高場泉穂)
バトン氏は48年サンモリッツ五輪でダブルアクセル(2回転半)を、52年オスロ五輪で世界初の3回転ジャンプとなるループに成功した。たえずジャンプの新技やコンビネーションに挑んだのは「目の前に、やるべきこととしてあったから」。挑戦を重ね、ジャンプの礎を作った。
羽生も男子フィギュア界の新たな「4回転時代」をけん引する。きっかけは15~16年シーズン。ショートプログラム(SP)で4回転を2本、フリーで3本、計5本を入れた各プログラムで世界最高点をマークした。翌16年秋には、世界で初めて4回転ループに成功。17年4月の世界選手権ではフリーで4回転4本をそろえ、世界最高点を更新した。自身も技術の開拓者だったバトン氏は、羽生を「細身で、お尻が小さいからジャンプに有利」と分析。4回転ジャンプも「かっこいい」と評する。
羽生が4回転ジャンプの種類、本数を増やすたびに、他の選手も負けじと対抗。こうして、フィギュアスケート史上、最も高難度のジャンプで争われる時代となった。ただ、著しい進化はバトン氏の想像を超えていた。今の男子の4回転時代について「過剰。やりすぎ」と警鐘を鳴らす。「フィギュアスケートは、あくまで演技(パフォーマンス)なんだ」。引退後も半世紀、解説者として競技を見つめてきた目からは、やる方も見る方も「息をする間がない」ぐらい緊張を強いられると感じる。

16年9月、オータムクラシック男子SPの演技で誘うようなしぐさをする羽生
03年以降の新採点方式は得点要素がより細分化され、曖昧だった部分がほぼ数値化された。「昔のフィギュアスケートは技術と芸術表現、2つの面があったが、今はそれに得点という新たな面が加わった。スケーターは得点を得るために動くことになる」。羽生らトップ選手は「みなクリエーティブ能力を持っているのに、それを出すのが難しい」と同情した。
それでも最終的に勝敗を分けるのは、演技そのものだという。バトン氏は「演技に、いのちを吹き込め」と語る。いくら点数で測っても、勝つのは「人をひきつける演技」だと力説した。(つづく)【高場泉穂】
■五輪舞台「シアター」にしてこそ新たな歴史生まれる
[2017年9月7日20時6分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/m/sports/column/figurekoi/news/1884044_m.html?mode=all
<羽生五輪連覇への提言(3)>
14年ソチ五輪。米テレビ局の名物解説者として、ディック・バトン氏(88=米国)は、羽生結弦(22=ANA)のショートプログラム(SP)を絶賛した。「ただただ、息をのむほどに美しかった」。SP「パリの散歩道」は2年がかりで作り上げた最高の演技だった。ジャンプを含む要素はほぼ完璧。ブルースギターに合わせて色気のある男性を演じ、観衆を魅了した。

14年2月、ソチ五輪男子SPで演技する羽生結弦
人を引き込む演技とはどういうものか。造園家でもあるバトン氏は、庭と競技を比較し「空間にどう人を招き入れるかという部分で共通している」と語る。庭に見どころがあるように、「スケーターは、何万人もの観客が入る会場で視点を集めなくてはならない」。
女子の演技を例に挙げて説明した。1人は02年ソルトレークシティー五輪銀、06年トリノ五輪銅のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)。「ほっぺの赤い彼女は、まずはなをかみ、衣装を整え、水を飲む。うつむきながら滑って、スタート位置で作り笑いするんだ」。もう1人は84年サラエボ、88年カルガリー五輪連覇のカタリナ・ビット(ドイツ)。「彼女は氷の上に出た瞬間から、全ての観客の目が自分に向いていることを知っていた。結い上げた髪に軽く手をあて、コーチの助言を軽く聞き流し、軽やかに滑り出した」。バトン氏が望むのは、無邪気なスルツカヤの姿ではなく、女優然としたビットのふるまいだ。「フィギュアスケートはシアターであるべきだ」。

自宅のリビングで50年世界選手権の優勝杯を持つバトン氏(撮影・高場泉穂)
伝説の演技がある。84年サラエボ五輪アイスダンス金メダル、トービル、ディーン組(英国)の「ボレロ」だ。それまでは明るい曲を使うのが主流だったが、彼らは単調なクラシック曲に合わせ、男女の悲恋を演じた。最後は氷に突っ伏し、死を表現。すべてが革新的だった。バトン氏はこの演技を象徴的な出来事の1つに挙げる。「スケーターは人を楽しませ、励まし、高揚させることが出来る。私が興味があるのは、素晴らしい動きそのものだ」。
羽生は、SP、フリーともに過去3季で最も自分に合った曲を再び滑る。バトン氏が「今のトップ選手はみなクリエーティブであるのに、点を稼ぐことにとらわれ、そうあることが難しい」と指摘する点は、羽生も感じているのだろう。再演を決めたのは「心地よく、余計なことを考えずにいられる」からだった。4年前の「パリの散歩道」のように、再び五輪の舞台を「シアター」に出来た時、新たな歴史が刻まれる。(この項おわり)【高場泉穂】
☆☆☆☆☆☆
世界でフィギュアスケートの連覇についてアドバイスできる
たった一人の人、ディック・バトンさん。
そのバトンさんと羽生選手は、凄く共通点が多いんですね

バトンさん、1952年に3回転ループに成功。
羽生選手、 2016年に4回転ループに成功。
バトンさん、五輪で連覇したものの実力を発揮できずに心残りに思う。
羽生選手、ソチで優勝したものの内容は悔しいものだった。
バトンさん、2回目のオスロ五輪の前年に世界選手権優勝。
羽生くん、2回目の平昌五輪の前年(今年)、世界選手権優勝。
バトンさん、たえずジャンプの新技やコンビネーションに挑んだのは「目の前に、やるべきこととしてあったから」
絶えず新技に挑戦し、進化する事を目指す
羽生くんの平昌五輪への思い。


当ブログ記事より
http://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12319241603.html
「技術なくして芸術なし」
という言葉も、技術を音楽に溶け込ませたいという羽生選手を
思わせます。
とても似たところのある二人です。
「いい験かつぎ」「いい波が自分に来ていると思い込んでいます」
そう自然に思えますね。
類は友を呼ぶと言うか、同じ流れにいる二人という感じがします。
羽生選手ならば、「演技に命を吹き込み」「フィギュアスケートをシアターに」する事が出来ます。
こんなに共通項のある先達がいてくれて、その姿を追って行ける事は
羽生選手も心強いですね。
もう1つ、フィギュアスケートの金メダリストには
「秘数33」を持つという不思議な共通点があるそうです。
誕生日の数を全部足して33になる人が・・

荒川静香さんもそうだそうです。
なんか鳥肌が~

不思議ですね~。
33の人の特徴
http://numero33.net/num33.html
3の進化系ですが33を一桁にすると3+3=6なので、6の要素も兼ね備えています。数秘術で6になる人の性格も参考にしてください。33は3と同様に破壊と創造の数字なのですがスケールが大きくなります。3が「遊び」なのに対して33は「革命」です。常識の枠には納まりません。一方で6のように空気を読むところもあり、読めるのにまわりに合わせきれず、ついつい変な行動を起こしてしまいます。
難題を抱えているときには、11の倍数なので「ひらめき」が降りてきますが、3同様に自由人で困ったことがないと考えようとせず本領が発揮されません。そのため、一旦ひらめきの快感を覚えると自分からわざわざ困難に突入していくようになります。そもそもが普通に生きられない性質でもあり、自営業が多く、そのなかでもちょっと変わったスタイルで仕事をする人がいます。
独特の人生を送っているうちに物事の発想も独特になり、素の状態で思っていることを語ると初対面の一桁の数字の人には理解されません。どうすれば相手に合わせられるか(6の考え方)試行錯誤しているうちに誰とでも仲良くなれるようになります。ただ、あくまでも相手に合わせているだけなので、人付き合いするほど本人は疲れてしまうケースもあります。
33の人の長所と短所
長所
一旦興味が向いたものに対する集中力は桁外れです。気づいたらその分野のスペシャリストになっていたり特殊能力を身につけていたりします。
短所
普通のことができません。自分の困難を乗り越えるのに夢中で(←苦しみながら楽しんでいる)、現実世界の大事なことがおろそかになってしまいます。
わざわざ困難に突っ込んで行く、
っていうところ凄い羽生くんっぽい

ちなみに、ゾロ目になる人は、2000年代は、2029年9月29日まで生まれて来ないそうです。
それも、33ではなく宿命数11。
私は、秘数9でした

◆写真は、every を除きお借りしました。ありがとうございました。