「東北未来人」13回目です
シニアデビュー戦のNHK杯が終わりました。
本田さんと3人でNHK杯の4回転や、将来についてトークする部分です。
「東北未来人」①~➡テーマ テレビ番組
http://www.dailymotion.com/video/x3w4w6x
(元動画)

加藤「4回転ジャンプに成功して見事4位です。おめでとうございます」

羽生「ありがとうございます」
本田「あの4回転は本当綺麗でしたねー」
加藤「うん」

本田「初めて成功したジャンプ。試合で成功した4回転、すごい綺麗で、やっぱり凄い楽しんでるなーって感じもあったし、繋ぎの部分も色々入れなきゃいけない、体力もどうだろう・・心配の中でも最後まで諦めないで滑ってたのは凄い良かったなと思いますね」
加藤「うんうん」

本田「こう、降りた瞬間の気持ちは?」

羽生「最初、歓声聞こえなくて」
本田「へえー」

羽生「降りた時に音消えたまま、シーンってなってて、「3回転だったかな・・?」とかって思っちゃったりもしたんですけど」
加藤「あ~」

羽生「でも、凄い歓声起きて自分の中でもびっくりしてましたし」
本田「ふーん」
羽生「でもそれと同時に、体力大丈夫かな~って思ってましたね」
加藤「あ~」
本田「やっぱり後半はキツイもんね」

羽生「しんどかったですねー。やっぱり4回転が入る事によって、その、気持ちは高まってますけど、それについて来れなかったですねー。足とかが」
本田「うん」
羽生「その、本当に体力面っていうものは改めて痛感したんで、そこは何とかね、今シーズン何とか付けて行きたいなって思ってるんですけど」

本田「やっぱり一般の人たちと一緒に練習してる。で、その中でジャンプを跳ばなきゃいけない。この練習がちゃんと出来てるのか、練習時間とかもそうだし、やっぱ曲かけてプログラム通す事によって、どこで息を吸わなきゃいけないか、どこで力を抜くか、そういうのも分かってくるから」
羽生「そうですね」
本田「やっぱり曲かけ、通しが大切」

羽生「曲かけ。それこそ抜かないで、絶対に本番通りにちゃんとスピンも全部やって全力で最後まで滑り切るような演技をしないと、やっぱり体力はついて来ないと思いますね」

加藤「本田さんの場合はどうだったんですか?」
本田「僕も、ここの、ここのリンクで練習してたんですよ」
加藤「はい」

本田「それでまあ、高校3年生くらいですかね、ちょっと海外で練習しようかなっていう気持ちにも、海外に出たいっていう気持ちもあったので」

加藤「なるほどね。この、こう、仙台でやるっていう気持ちとか、こう・・それは何かあるんですか?」

羽生「やっぱり本田さんもね、荒川さんもここから出て行ってオリンピックで活躍されてる訳で。僕もずっとここでやって行きたいなと思ってますし、」

羽生「本田さんとかに続いて行けるようにしたいなって思ってますね」

加藤「そうなんですね。何かこう、この街に生まれて良かったなとか思う事ありますか?」

羽生「それはありますね!やっぱりここのリンクに出会えて良かったな~って思いますし」
加藤・本田「うん」
羽生「ここまで自分を育ててくれたんだと思うし、そういうのも運命だと思うので本当に良かったなあって思います」

加藤「あの「東北未来人」皆さんにお聞きしていますが、羽生結弦さんの思い描く未来は何でしょうか?」

羽生「未来は…そうですね、」

羽生「やっぱりオリンピックで金メダル取りたいなって思ってますね。やっぱりそこが、最終目標であり、やっぱりちっちゃい頃から描いていた夢なので、それは絶対達成したいなって思ってますね」

☆☆☆☆☆☆
色々と思うところのある会話が続きました。
まずは、羽生くんが「この街でずっとやって行きたい」「このリンクに出会えて良かった。ここまで自分を育ててくれたと思うし、そういうのも運命だと思う」と話す部分です。
ここを書いていて、思わず涙ぐんでしまいました。
この撮影からおよそ4ヶ月後、運命の3月11日がやって来ます。
羽生くんが親しんだ、そのリンクの真ん中で
激しい揺れに襲われ全てが破壊されて行きました。
そんな未来を羽生くんも、誰も夢にも思わず・・と思うと胸が詰まりました。
16歳の羽生くんが初めて“死”というものを、
自分の身にも取り巻く回りにも実感した時だと思います。
そして同時に“生”というものが、それまでとまるで違う視点に立って見られるようになったでしょう。
この震災を境にして、羽生結弦という人には明らかに変わり目が訪れます。
羽生選手だけではなく、多くの日本人にとっても、ここをきっかけに目覚めた人は多いと思います。
私も震災の時に見た日本人の姿と、その1年後に知った羽生結弦という人をきっかけに、日本が抱えるモノについて知る事になりました。
未だに気付いていない人を見ると、その度に
「あなたが見ている絵は上下が逆さまだよ」と言いたくなりました。
逆さまの絵から主題を語っても、永遠に真実には辿り着けませんが、
それもまた1つの役割なのかもと思い、注視しています。
「未来は・・オリンピックで金メダルを取りたい」
そう言った羽生選手は、その言葉通りオリンピック金メダリストとなりました。
それは、運命だったと思います。
傷ついた東北を金色の光で癒した人。
その人とこうして出会い応援していることを嬉しく思います。
羽生選手が思い描く次なる未来、
2度目のオリンピックへ。66年振りの連覇へ!
その道を進む羽生選手と思いを1つにして行きましょう



「東北未来人」⑭番組エンディングに続きます。
◆写真は動画からスクショしました。ありがとうございました。

シニアデビュー戦のNHK杯が終わりました。
本田さんと3人でNHK杯の4回転や、将来についてトークする部分です。
「東北未来人」①~➡テーマ テレビ番組
http://www.dailymotion.com/video/x3w4w6x
(元動画)

加藤「4回転ジャンプに成功して見事4位です。おめでとうございます」

羽生「ありがとうございます」
本田「あの4回転は本当綺麗でしたねー」
加藤「うん」

本田「初めて成功したジャンプ。試合で成功した4回転、すごい綺麗で、やっぱり凄い楽しんでるなーって感じもあったし、繋ぎの部分も色々入れなきゃいけない、体力もどうだろう・・心配の中でも最後まで諦めないで滑ってたのは凄い良かったなと思いますね」
加藤「うんうん」

本田「こう、降りた瞬間の気持ちは?」

羽生「最初、歓声聞こえなくて」
本田「へえー」

羽生「降りた時に音消えたまま、シーンってなってて、「3回転だったかな・・?」とかって思っちゃったりもしたんですけど」
加藤「あ~」

羽生「でも、凄い歓声起きて自分の中でもびっくりしてましたし」
本田「ふーん」
羽生「でもそれと同時に、体力大丈夫かな~って思ってましたね」
加藤「あ~」
本田「やっぱり後半はキツイもんね」

羽生「しんどかったですねー。やっぱり4回転が入る事によって、その、気持ちは高まってますけど、それについて来れなかったですねー。足とかが」
本田「うん」
羽生「その、本当に体力面っていうものは改めて痛感したんで、そこは何とかね、今シーズン何とか付けて行きたいなって思ってるんですけど」

本田「やっぱり一般の人たちと一緒に練習してる。で、その中でジャンプを跳ばなきゃいけない。この練習がちゃんと出来てるのか、練習時間とかもそうだし、やっぱ曲かけてプログラム通す事によって、どこで息を吸わなきゃいけないか、どこで力を抜くか、そういうのも分かってくるから」
羽生「そうですね」
本田「やっぱり曲かけ、通しが大切」

羽生「曲かけ。それこそ抜かないで、絶対に本番通りにちゃんとスピンも全部やって全力で最後まで滑り切るような演技をしないと、やっぱり体力はついて来ないと思いますね」

加藤「本田さんの場合はどうだったんですか?」
本田「僕も、ここの、ここのリンクで練習してたんですよ」
加藤「はい」

本田「それでまあ、高校3年生くらいですかね、ちょっと海外で練習しようかなっていう気持ちにも、海外に出たいっていう気持ちもあったので」

加藤「なるほどね。この、こう、仙台でやるっていう気持ちとか、こう・・それは何かあるんですか?」

羽生「やっぱり本田さんもね、荒川さんもここから出て行ってオリンピックで活躍されてる訳で。僕もずっとここでやって行きたいなと思ってますし、」

羽生「本田さんとかに続いて行けるようにしたいなって思ってますね」

加藤「そうなんですね。何かこう、この街に生まれて良かったなとか思う事ありますか?」

羽生「それはありますね!やっぱりここのリンクに出会えて良かったな~って思いますし」
加藤・本田「うん」
羽生「ここまで自分を育ててくれたんだと思うし、そういうのも運命だと思うので本当に良かったなあって思います」

加藤「あの「東北未来人」皆さんにお聞きしていますが、羽生結弦さんの思い描く未来は何でしょうか?」

羽生「未来は…そうですね、」

羽生「やっぱりオリンピックで金メダル取りたいなって思ってますね。やっぱりそこが、最終目標であり、やっぱりちっちゃい頃から描いていた夢なので、それは絶対達成したいなって思ってますね」

☆☆☆☆☆☆
色々と思うところのある会話が続きました。
まずは、羽生くんが「この街でずっとやって行きたい」「このリンクに出会えて良かった。ここまで自分を育ててくれたと思うし、そういうのも運命だと思う」と話す部分です。
ここを書いていて、思わず涙ぐんでしまいました。
この撮影からおよそ4ヶ月後、運命の3月11日がやって来ます。
羽生くんが親しんだ、そのリンクの真ん中で
激しい揺れに襲われ全てが破壊されて行きました。
そんな未来を羽生くんも、誰も夢にも思わず・・と思うと胸が詰まりました。
16歳の羽生くんが初めて“死”というものを、
自分の身にも取り巻く回りにも実感した時だと思います。
そして同時に“生”というものが、それまでとまるで違う視点に立って見られるようになったでしょう。
この震災を境にして、羽生結弦という人には明らかに変わり目が訪れます。
羽生選手だけではなく、多くの日本人にとっても、ここをきっかけに目覚めた人は多いと思います。
私も震災の時に見た日本人の姿と、その1年後に知った羽生結弦という人をきっかけに、日本が抱えるモノについて知る事になりました。
未だに気付いていない人を見ると、その度に
「あなたが見ている絵は上下が逆さまだよ」と言いたくなりました。
逆さまの絵から主題を語っても、永遠に真実には辿り着けませんが、
それもまた1つの役割なのかもと思い、注視しています。
「未来は・・オリンピックで金メダルを取りたい」
そう言った羽生選手は、その言葉通りオリンピック金メダリストとなりました。
それは、運命だったと思います。
傷ついた東北を金色の光で癒した人。
その人とこうして出会い応援していることを嬉しく思います。
羽生選手が思い描く次なる未来、
2度目のオリンピックへ。66年振りの連覇へ!
その道を進む羽生選手と思いを1つにして行きましょう




「東北未来人」⑭番組エンディングに続きます。
◆写真は動画からスクショしました。ありがとうございました。