2017年24時間テレビ「告白~勇気を出して伝えよう」の続きです。
帰国した羽生選手が、宙くんと一緒にスケートを練習する場面。
あこがれの羽生選手からの夢のような指導を受け、嬉しそうな宙くん。
そして、羽生選手自身励まされたスピードスケートの清水選手から貰った言葉を紹介してくれました。
【2017/8/26放送 24時間テレビ】より

そして1ヶ月後、羽生が帰国。

羽生「早く見たいな~って思ってます」
リンク内では宙くんが練習中。

水卜「あっ、来ました。羽生結弦選手です」

羽生「こんにちは」
宙くん「こんにちは」
水卜「とうとう二人が出会えました」

羽生「こんにちは~。初めまして」
宙くん「初めまして」
羽生「よろしくお願いします」
宙くん「お願いします」
羽生「何を練習したい?」

宙くん(クイッという風に動作)
羽生「ハイドロブレーディング?」
宙くん「はい」

羽生「ちょっと1回やってみるから見てて」


水卜「宙くんは、ジャンプを特訓中のはずなんですが、リクエストしたのは羽生選手の得意技ハイドロブレーディング。さすが、羽生選手の技をよく知ってますね~」

羽生「手を前に」

羽生「そうそうそう」

水卜「緊張する間もなくすぐ練習に入ったから、心が通じ合えてる感じがする」

羽生「OK。じゃあ、トウループやってみようか」
水卜「おお、ダブルトウループの練習をしたいって言ってたのを羽生選手覚えてくれていたみたいです」


羽生「もうちょいスピード出そうか」

羽生「そう!その感覚で一生懸命キュってしたら」

羽生「そしたら跳べる」



羽生「お~!跳べたじゃない」

羽生「やったね!上手」

羽生「跳べる。大丈夫」

羽生「やったね!」
水卜「夢のような時間ですよね」

水卜「お疲れ様でした」

水卜「羽生選手のスケート教室はいかがでしたか?」
宙くん「楽しかったです」
水卜「楽しかった?」
羽生「厳しかったけどね」
水卜「あっ、けっこう厳しかったんだ」

羽生「けっこう厳しめだったね?」
宙くん(コクッとうなずく)

羽生「スケートって怖いものじゃないし、滑っていて楽しいでしょ?」
羽生「だから、楽しい気持ちを絶対に忘れないで。大丈夫!出来るから」

羽生が優しく指導するのは、自分も少年の時、あるスポーツ選手に励まされた過去があるから。

羽生「あのー、清水選手。スピードスケートの清水選手。あのー、喘息を持って、その中でもオリンピック金メダルという。本当に最後まで戦い抜いていらっしゃって、その姿に励まされていました」
長野オリンピック、金メダリスト清水宏保さん。
実は、彼もまた小児喘息だった。

清水「みんなと同じ練習をこなさなければいけないんだけども、とにかく肺が苦しいっていう記憶がありましたね」
引退後の2010年。スポーツイベントで宮城県仙台市のアイスリンクを訪れていた清水さん。

イベント終了後、一人の少年がスポーツバッグにサインを求めて来た。
そして、少年はこう話したという。

清水「「僕も金メダル取りたいんです」「ただ喘息だから・・」という言葉を言ってたんですよね」
その少年こそが、当時15歳の羽生結弦。


サインを渡しながら清水さんはこう返した。

清水「大丈夫!と。まあ、肺が弱い分ハードな練習をしなければいけないけれども、それを乗り越えれば世界を相手に戦えるようになるよ、と。そしたら凄く嬉しそうに「はい!」と」
羽生は、このメッセージを胸に人一倍練習に励み・・





金メダリストになった。
だから、子供たちに今度は自分がエールを送りたい。

羽生「僕を通じて何かそういう気持ちとか強くなれる、勇気を出せるきっかけになればいいなと思ってます」
水卜「ありがとうございます」
☆☆☆☆☆☆
羽生くんも、かつては喘息がスポーツの障害になると考えていたんですね。
でも、清水さんから「大丈夫!」って言われて、
そして、人一倍また練習に打ち込んだ。
実際に喘息持ちの清水さんが達成したオリンピック金メダルは、
羽生くんにとって、やれば出来るという象徴になった事でしょう。
清水さんが仰った「肺が弱い分、ハードな練習をしなければいけない」というのは簡単ではなかったと想像できます。
でも「それを乗り越えたら世界と闘える」。
クリアーな目標が生まれて、
その言葉を信じて、ひたすら励み、そして乗り越えて、
清水さんと同じように金メダルを手にした羽生くん。
今、その言葉を越えて、世界から目標とされています。
持病があって競技で世界一になることは
難しい事だけれど、
不可能ではないと証明した二人のアスリート。
それを間近に見た少年の心に、
この日の思いが消える事はないと思います。
◆写真は自宅テレビの画面撮りです。
帰国した羽生選手が、宙くんと一緒にスケートを練習する場面。
あこがれの羽生選手からの夢のような指導を受け、嬉しそうな宙くん。
そして、羽生選手自身励まされたスピードスケートの清水選手から貰った言葉を紹介してくれました。
【2017/8/26放送 24時間テレビ】より

そして1ヶ月後、羽生が帰国。

羽生「早く見たいな~って思ってます」
リンク内では宙くんが練習中。

水卜「あっ、来ました。羽生結弦選手です」

羽生「こんにちは」
宙くん「こんにちは」
水卜「とうとう二人が出会えました」

羽生「こんにちは~。初めまして」
宙くん「初めまして」
羽生「よろしくお願いします」
宙くん「お願いします」
羽生「何を練習したい?」

宙くん(クイッという風に動作)
羽生「ハイドロブレーディング?」
宙くん「はい」

羽生「ちょっと1回やってみるから見てて」


水卜「宙くんは、ジャンプを特訓中のはずなんですが、リクエストしたのは羽生選手の得意技ハイドロブレーディング。さすが、羽生選手の技をよく知ってますね~」

羽生「手を前に」

羽生「そうそうそう」

水卜「緊張する間もなくすぐ練習に入ったから、心が通じ合えてる感じがする」

羽生「OK。じゃあ、トウループやってみようか」
水卜「おお、ダブルトウループの練習をしたいって言ってたのを羽生選手覚えてくれていたみたいです」


羽生「もうちょいスピード出そうか」

羽生「そう!その感覚で一生懸命キュってしたら」

羽生「そしたら跳べる」



羽生「お~!跳べたじゃない」

羽生「やったね!上手」

羽生「跳べる。大丈夫」

羽生「やったね!」
水卜「夢のような時間ですよね」

水卜「お疲れ様でした」

水卜「羽生選手のスケート教室はいかがでしたか?」
宙くん「楽しかったです」
水卜「楽しかった?」
羽生「厳しかったけどね」
水卜「あっ、けっこう厳しかったんだ」

羽生「けっこう厳しめだったね?」
宙くん(コクッとうなずく)

羽生「スケートって怖いものじゃないし、滑っていて楽しいでしょ?」
羽生「だから、楽しい気持ちを絶対に忘れないで。大丈夫!出来るから」

羽生が優しく指導するのは、自分も少年の時、あるスポーツ選手に励まされた過去があるから。

羽生「あのー、清水選手。スピードスケートの清水選手。あのー、喘息を持って、その中でもオリンピック金メダルという。本当に最後まで戦い抜いていらっしゃって、その姿に励まされていました」
長野オリンピック、金メダリスト清水宏保さん。
実は、彼もまた小児喘息だった。

清水「みんなと同じ練習をこなさなければいけないんだけども、とにかく肺が苦しいっていう記憶がありましたね」
引退後の2010年。スポーツイベントで宮城県仙台市のアイスリンクを訪れていた清水さん。

イベント終了後、一人の少年がスポーツバッグにサインを求めて来た。
そして、少年はこう話したという。

清水「「僕も金メダル取りたいんです」「ただ喘息だから・・」という言葉を言ってたんですよね」
その少年こそが、当時15歳の羽生結弦。


サインを渡しながら清水さんはこう返した。

清水「大丈夫!と。まあ、肺が弱い分ハードな練習をしなければいけないけれども、それを乗り越えれば世界を相手に戦えるようになるよ、と。そしたら凄く嬉しそうに「はい!」と」
羽生は、このメッセージを胸に人一倍練習に励み・・





金メダリストになった。
だから、子供たちに今度は自分がエールを送りたい。

羽生「僕を通じて何かそういう気持ちとか強くなれる、勇気を出せるきっかけになればいいなと思ってます」
水卜「ありがとうございます」
☆☆☆☆☆☆
羽生くんも、かつては喘息がスポーツの障害になると考えていたんですね。
でも、清水さんから「大丈夫!」って言われて、
そして、人一倍また練習に打ち込んだ。
実際に喘息持ちの清水さんが達成したオリンピック金メダルは、
羽生くんにとって、やれば出来るという象徴になった事でしょう。
清水さんが仰った「肺が弱い分、ハードな練習をしなければいけない」というのは簡単ではなかったと想像できます。
でも「それを乗り越えたら世界と闘える」。
クリアーな目標が生まれて、
その言葉を信じて、ひたすら励み、そして乗り越えて、
清水さんと同じように金メダルを手にした羽生くん。
今、その言葉を越えて、世界から目標とされています。
持病があって競技で世界一になることは
難しい事だけれど、
不可能ではないと証明した二人のアスリート。
それを間近に見た少年の心に、
この日の思いが消える事はないと思います。
◆写真は自宅テレビの画面撮りです。