ショート、フリーの両方を過去のプログラムに戻す選択をした羽生選手。
その理由と戦略について詳しい記事にして下さった、そして、例の日経新聞記事への痛烈な批判とも読める、numberの田村明子さんの記事をご紹介します。
■結弦の不滅の名プログラム、
『SEIMEI』で再び五輪へ挑む理由。
posted2017/08/18 08:00
http://number.bunshun.jp/articles/-/828692

昨シーズンと比べても、一段とキレが増し、大人びた印象となった羽生。平昌五輪では1952年以来となる五輪連覇がかかる。
text by田村明子
8月8日、トロントのクリケットクラブで、今ではすっかり毎年恒例となった羽生結弦の公開練習と記者会見が行われた。
いよいよ迎えた平昌五輪シーズンとあって、今年は日本から来た報道関係者がテレビ局の映像メディアと新聞、雑誌などのプリントメディアを合わせて総勢80名ほども集まった。
このトレーニングリンクがあるクリケットクラブは由緒ある名門スポーツクラブで、会員はスケートだけでなく、テニス、クリケット、水泳など多くのスポーツを楽しむために集まってくる。それらの一般の会員の邪魔にならないよう、報道関係者は2階の大広間に集められ、リンクでの撮影も時間を分けて人数を制限するなど、羽生側のリンク関係者に対する気配りが感じられる公開練習だった。
「SEIMEI」再び。
今シーズンのSPを2シーズン前のショパン『バラード1番』にすることは、すでに発表されていたが、トロントではフリーをやはり2015-2016年シーズンに滑った、『SEIMEI』で五輪に挑むことが公表された。
その理由について、羽生はこのように語った。
「『SEIMEI』を2015-2016年シーズンにやって、いい演技ができた時からすでに、このプログラムをもう1回オリンピックシーズンに使いたいなと思っていたので、ほとんど迷うことなく決めました」
連覇を狙うトップ選手が、古いプログラムを勝負に持ってくるのは、手垢のついた印象にならないだろうか?
「その心配は全くしていません」と、コーチのブライアン・オーサーは太鼓判を押す。
「特に『SEIMEI 』は多くの人々から愛された、成功したプログラム。ああ、この作品がまた見れる、とファンは喜ぶはずです。」
周知のように、このプログラムは羽生を2度の世界歴代最高スコア更新へと導き、彼を一歩突き抜けた存在へと導いたきっかけともなった。
映画『陰陽師』を見てイメージを膨らませたというシェイリーン・ボーンによる振付は、和のテイストを取り込んだ作品に仕上がっており、羽生の涼やかな風貌ともピッタリはまった。
羽生結弦の代表プログラムを1つ選べと言われたら、この作品を上げるファンも多いのではないだろうか。

同じプログラムで完成度の高さを目指す。
トップ選手が五輪用に制作したプログラムがしっくり来ずに、シーズン半ばで以前のプログラムに戻したということは珍しいことではない。
トリノ五輪女王の荒川静香も、五輪本番の直前、2年前に使って世界タイトルを手にした歌劇『トゥーランドット』の音楽『誰も寝てはならぬ』を使用し、振付を再アレンジしたフリープログラムで金メダルを手にした。
だが最初から、SP、フリー両方とも以前に使用した作品で五輪に挑むというのは、近年ではあまり前例のないことではある。
羽生本人は、その理由をきわめて明確に、そして率直にこう説明した。
「新しい曲を選んで、これやって、あれやって、とやるのは、結構難しいものがあるんです。毎年毎年。特にこのシーズンだからこそ、そんなことをやっている時間はない。それよりも演技そのものに集中したいんです」
「スタートラインを変えよう、と」
昨シーズンは羽生はSP、フリーともに新プログラムに挑んだだけでなく、SP、フリーともに4ループを加えるという大きなチャレンジを自分に課した。
最終的にはGPファイナルのタイトルを守り、世界選手権でも3年ぶりに優勝という結果を残したが、完成作品に仕上げるまでに時間も要し、苦戦したことは事実である。
その昨シーズンの経験があったからこそ、迷うことなく自分に最も合っていたと感じる過去のプログラムで五輪の勝負に挑むことを決めたのだろう。
「シーズン初戦とか最初のほうって、まだ新しいな、初々しいなという感覚ってあると思う。プログラム見たときに。これから滑り込んでいくんだろうな、という。今シーズンは、そんな状況ではいけないと思う。
(そこで)まずスタートラインを変えよう、と。
スタートラインがプラスの状態からはじまっているので、しっかりそれをマイナスにしないように、そこから積み上げるものを、もっともっとたくさん積み上げていけたらと思っています」
今シーズンのエネルギーは、新プログラムを作り、振り付けを覚え、こなしていくことには使わない。その代わり完成度の高い、レベルの高い演技を見せる。
潔いばかりの、勝つための戦略である。

4回転を5度組み入れ、究極の難易度を目指す!!
プログラムこそ以前に使用したものだが、予定しているジャンプ構成はリサイクルではない。2年前から比べて、1レベルも2レベルも進化したものだ。
冒頭に4ループを入れることはもちろん、合計5度の4回転のうち3本をプログラムの後半に持ってくるという、究極の難易度である。
公開練習で見せた彼のアップグレード版『SEIMEI』は、圧倒されるような迫力があった。
なるほど、振付は気持ちが良いほどすっかりこなれているだけに、ステップ、スピン、などどこをとっても2年前の羽生より格段にパワーアップされていることが明白に見て取れる。
そして4ループ、4サルコウ+3トウループ、4トウループ+1ループ+3サルコウなど、驚くほど軽々ときれいに決まっていった。今からこんなに調子が良くて、逆に大丈夫なのだろうかと思いたくなるほど、ジャンプのきれが良い。
振付の内容自体にはほとんど手をつけていないというが、このジャンプ構成を最後までスピードを保って演じきったなら、前回とは別次元の新『SEIMEI』になるだろう。
このプログラムを完璧に滑った2年前の羽生を、多くのライターが「神がかった演技」と表現したが、今シーズンはさらにそれをパワーアップさせた、凄まじいものが見られそうである。
来週が試合でも、ほぼ大丈夫とオーサーコーチ。
「ユヅはすごく良く調整が出来ている。たとえ来週が本番だとしても、ほとんど準備が出来ていると言っても過言ではないくらい、全ての調子が良いです」と、ブライアン・オーサーコーチは満足そうに語る。
オーサーと共同で羽生を指導してきたトレイシー・ウィルソンも、新シーズンに向けての展望をこう口にした。
「とても楽観的に考えています。ユヅは身体的にも、精神的にもとても強くなった。日々一生懸命練習しているだけでなく、その過程を楽しんでいる。彼は自分が世界最高スコアを持っていようとも、決して同じ場に留まろうとしない。以前とまったく同じハングリー精神を保っている。そのことが、本当に素晴らしいことだと思うの」
この4年間、すごいスピードで進化していった男子のフィギュアスケート。
それを牽引してきた羽生結弦の新たな挑戦が、また始まろうとしている。
初戦は9月にモントリオールで開催されるオータム・クラシックになる予定だ。

☆☆☆☆☆☆
最近、日経新聞に羽生選手の新プログラムを“リサイクル”と書いて掲載された記事がファンに物議を醸させました。
日経新聞 原真子記者の記事
(一部抜粋)
「連覇を狙う五輪プログラムの議論は紛糾した。ショートプログラム(SP)はショパン作曲《バラード第1番》、フリーは《SEIMEI(映画『陰陽師』より)》。ともに2季前に当時の世界最高得点(SPは現在も世界最高得点)を出したプログラムだ。過去に2つとも“リサイクル”したプログラムで五輪を戦った選手はいないとされる。羽生は『迷いはなかった。昨シーズン前から温めていた』が、オーサーはためらった。
ショパンは『不朽の名作』と同意したが、フリーの曲は個性が強く、フィギュア界でいう『王道の曲』ではない。羽生らしさは際立つものの、『(2つとも慣れた曲を滑るのは)トリッキーではあるよね』とオーサー。2人で話して納得したオーサーは今、こう話す。『このフリーは多くの人に評価され、彼にとってたくさんの意味のあるプログラム。やる以上、異次元のレベルに持っていかないといけない』」
「リサイクル」という言葉は、エコロジーの観点から見ればプラスな意味の言葉かも知れないけれど、ここで使えばどういう意味に捉えられるか考えなく使ったわけではないと思います。
記事の隅々まで読む人ばかりでもなく、さしてフィギュアスケートに興味がなければサラっと目を通して終わり。
その時頭に残るのはキャッチーな言葉である「リサイクル」という言葉だろう。
「また同じ」「使い回し」「新鮮味のない」
そういったネガティブな印象を残させるように書く事を、
「印象操作」「ミスリード」
という言葉で呼ぶけれど、近年それが目立って多く、捏造といえるものさえあり、そういったものは、
「フェイクニュース」
と呼ばれています。
日経新聞の記事から、遠くない日付でnumber記事が掲載された事を思えば、ここで田村記者が「リサイクルではない」と書く事は、間違いなく日経新聞の記者に対しての批判であると思う。
羽生選手が、同じ曲を選んだ理由と戦略について書いた田村記者は、逆に、パワーアップした凄まじいものが見られそうだと書いています。
羽生選手自身も、タイトルを変えたいくらいだと言っています。
同じ曲を使う事が、どういうことなのか、ここで以前私が書いたバラード1番の記事をリブログして音楽家の観点から書いて下さった、ONELOVE さんの文章をご紹介いたします。
ONELOVE さんのブログ
http://ameblo.jp/onelove815/entry-12300722131.html
(一部抜粋)
いよいよフリープログラムも発表され、結局五輪勝負プロはすべて前々回のプロと同じということがわかりましたね♪
私はここでも「またか」とは思わなかったですよ…っていうか、バラード1番を演奏する立場から言わせていただきますと、我々楽器演奏者は1回、2回コンサートで演奏したからと言ってそれでもう終わり、ということはありません。
また何年か寝かせておいて、再び同じ作品に向き合うという学びをずーっと繰り返します。
羽生選手がインタビューで言っているように、同じ作品でも以前演じた時とは自分自身のレベルが違う…そうです、自分が様々な体験を通して成長することによって同じ作品でも、以前は感じなかったような感じ方、とらえ方ができるようになるのです
そうやってピアニストたちは何度でも同じ作品と向き合います。
そういう意味で、フィギュアスケートの世界でも同じ作品と向き合い、更に円熟したものを見せようとする人が出てきたか・・とちょっと新鮮な喜びを感じている私です。
音楽やタイミングが身体に染みついているから、楽だから、、、もちろんそういう理由があってもいいのですが、それだけではなくて、ひとつの作品をまた別な角度からより深い理解のもと極める姿勢は、完全に芸術家と言えますね。
偉大な作品は何度でも見飽きない、聴き飽きないものです
是非とも羽生結弦選手がオリンピックという最高の舞台で、まるで試合であることを忘れさせてくれるほどの感動の滑りを披露し、フィギュアスケートの歴史に堂々とその名を刻んでほしいと願っています!
更に、同じ主題を使う事を音楽以外の分野で考えれば、
画家のゴッホが「ひまわり」の絵を何枚描いたかご存じですか?

花瓶に挿された構図が、7点。
それ以外の構図が5点の12枚(現存11)あります。
睡蓮の絵で有名なモネに至っては、
200点もの睡蓮の絵を描いています。

中には、日本に屏風というものがあると聞いて制作した
長さ90メートルの作品も。
同じ主題で、
手法を変え、構図を変え、画材を変え、
表現の深みを追求して行く事は、芸術の世界・・
いえ、ものが生み出される全ての場面でそうなのではないですか?
また、もう1つ思う事をここで書かせて頂きます。
羽生選手のファンになってから、海外の解説を聞いてその結果だけに拘らない視点の向け方に驚き、感動しました。
例えば、ジャンプに失敗したからと言っても
「素晴らしいジャンプ。ちょっとミスがあった」
「カウンターからそのまま跳ぶ。誰もできない」
など、そのジャンプの質の良さや、他の選手と比べてどう違うのか、
なぜそれが出来るのかなどを詳しく伝えてくれていました。
「あー、ジャンプで転倒ですねー」
で終わるような日本の実況しか知らなかった時に、
それは、もう全く違う「フィギュアスケート専門家の解説」でした。
最近、ブログなどで良い記事や解説の話題が取り上げられ、直接テレビ
局や、雑誌などに視聴者や読者の声が届けられるからか、徐々に日本で
も変化が感じられるように思います。
私たちが、強く反応するものは、必ずと言ってもいいほど
熱い愛情が感じられるような解説であったり、記事です。
そういった解説や記事は、人の胸に響きます。
最後に、昨日書き抜かってしまった、ピアニスト早川奈穂子さんのブログの最後にあった言葉をご紹介します。
◆お写真はお借りしました。ありがとうございます。
その理由と戦略について詳しい記事にして下さった、そして、例の日経新聞記事への痛烈な批判とも読める、numberの田村明子さんの記事をご紹介します。
■結弦の不滅の名プログラム、
『SEIMEI』で再び五輪へ挑む理由。
posted2017/08/18 08:00
http://number.bunshun.jp/articles/-/828692

昨シーズンと比べても、一段とキレが増し、大人びた印象となった羽生。平昌五輪では1952年以来となる五輪連覇がかかる。
text by田村明子
8月8日、トロントのクリケットクラブで、今ではすっかり毎年恒例となった羽生結弦の公開練習と記者会見が行われた。
いよいよ迎えた平昌五輪シーズンとあって、今年は日本から来た報道関係者がテレビ局の映像メディアと新聞、雑誌などのプリントメディアを合わせて総勢80名ほども集まった。
このトレーニングリンクがあるクリケットクラブは由緒ある名門スポーツクラブで、会員はスケートだけでなく、テニス、クリケット、水泳など多くのスポーツを楽しむために集まってくる。それらの一般の会員の邪魔にならないよう、報道関係者は2階の大広間に集められ、リンクでの撮影も時間を分けて人数を制限するなど、羽生側のリンク関係者に対する気配りが感じられる公開練習だった。
「SEIMEI」再び。
今シーズンのSPを2シーズン前のショパン『バラード1番』にすることは、すでに発表されていたが、トロントではフリーをやはり2015-2016年シーズンに滑った、『SEIMEI』で五輪に挑むことが公表された。
その理由について、羽生はこのように語った。
「『SEIMEI』を2015-2016年シーズンにやって、いい演技ができた時からすでに、このプログラムをもう1回オリンピックシーズンに使いたいなと思っていたので、ほとんど迷うことなく決めました」
連覇を狙うトップ選手が、古いプログラムを勝負に持ってくるのは、手垢のついた印象にならないだろうか?
「その心配は全くしていません」と、コーチのブライアン・オーサーは太鼓判を押す。
「特に『SEIMEI 』は多くの人々から愛された、成功したプログラム。ああ、この作品がまた見れる、とファンは喜ぶはずです。」
周知のように、このプログラムは羽生を2度の世界歴代最高スコア更新へと導き、彼を一歩突き抜けた存在へと導いたきっかけともなった。
映画『陰陽師』を見てイメージを膨らませたというシェイリーン・ボーンによる振付は、和のテイストを取り込んだ作品に仕上がっており、羽生の涼やかな風貌ともピッタリはまった。
羽生結弦の代表プログラムを1つ選べと言われたら、この作品を上げるファンも多いのではないだろうか。

同じプログラムで完成度の高さを目指す。
トップ選手が五輪用に制作したプログラムがしっくり来ずに、シーズン半ばで以前のプログラムに戻したということは珍しいことではない。
トリノ五輪女王の荒川静香も、五輪本番の直前、2年前に使って世界タイトルを手にした歌劇『トゥーランドット』の音楽『誰も寝てはならぬ』を使用し、振付を再アレンジしたフリープログラムで金メダルを手にした。
だが最初から、SP、フリー両方とも以前に使用した作品で五輪に挑むというのは、近年ではあまり前例のないことではある。
羽生本人は、その理由をきわめて明確に、そして率直にこう説明した。
「新しい曲を選んで、これやって、あれやって、とやるのは、結構難しいものがあるんです。毎年毎年。特にこのシーズンだからこそ、そんなことをやっている時間はない。それよりも演技そのものに集中したいんです」
「スタートラインを変えよう、と」
昨シーズンは羽生はSP、フリーともに新プログラムに挑んだだけでなく、SP、フリーともに4ループを加えるという大きなチャレンジを自分に課した。
最終的にはGPファイナルのタイトルを守り、世界選手権でも3年ぶりに優勝という結果を残したが、完成作品に仕上げるまでに時間も要し、苦戦したことは事実である。
その昨シーズンの経験があったからこそ、迷うことなく自分に最も合っていたと感じる過去のプログラムで五輪の勝負に挑むことを決めたのだろう。
「シーズン初戦とか最初のほうって、まだ新しいな、初々しいなという感覚ってあると思う。プログラム見たときに。これから滑り込んでいくんだろうな、という。今シーズンは、そんな状況ではいけないと思う。
(そこで)まずスタートラインを変えよう、と。
スタートラインがプラスの状態からはじまっているので、しっかりそれをマイナスにしないように、そこから積み上げるものを、もっともっとたくさん積み上げていけたらと思っています」
今シーズンのエネルギーは、新プログラムを作り、振り付けを覚え、こなしていくことには使わない。その代わり完成度の高い、レベルの高い演技を見せる。
潔いばかりの、勝つための戦略である。

4回転を5度組み入れ、究極の難易度を目指す!!
プログラムこそ以前に使用したものだが、予定しているジャンプ構成はリサイクルではない。2年前から比べて、1レベルも2レベルも進化したものだ。
冒頭に4ループを入れることはもちろん、合計5度の4回転のうち3本をプログラムの後半に持ってくるという、究極の難易度である。
公開練習で見せた彼のアップグレード版『SEIMEI』は、圧倒されるような迫力があった。
なるほど、振付は気持ちが良いほどすっかりこなれているだけに、ステップ、スピン、などどこをとっても2年前の羽生より格段にパワーアップされていることが明白に見て取れる。
そして4ループ、4サルコウ+3トウループ、4トウループ+1ループ+3サルコウなど、驚くほど軽々ときれいに決まっていった。今からこんなに調子が良くて、逆に大丈夫なのだろうかと思いたくなるほど、ジャンプのきれが良い。
振付の内容自体にはほとんど手をつけていないというが、このジャンプ構成を最後までスピードを保って演じきったなら、前回とは別次元の新『SEIMEI』になるだろう。
このプログラムを完璧に滑った2年前の羽生を、多くのライターが「神がかった演技」と表現したが、今シーズンはさらにそれをパワーアップさせた、凄まじいものが見られそうである。
来週が試合でも、ほぼ大丈夫とオーサーコーチ。
「ユヅはすごく良く調整が出来ている。たとえ来週が本番だとしても、ほとんど準備が出来ていると言っても過言ではないくらい、全ての調子が良いです」と、ブライアン・オーサーコーチは満足そうに語る。
オーサーと共同で羽生を指導してきたトレイシー・ウィルソンも、新シーズンに向けての展望をこう口にした。
「とても楽観的に考えています。ユヅは身体的にも、精神的にもとても強くなった。日々一生懸命練習しているだけでなく、その過程を楽しんでいる。彼は自分が世界最高スコアを持っていようとも、決して同じ場に留まろうとしない。以前とまったく同じハングリー精神を保っている。そのことが、本当に素晴らしいことだと思うの」
この4年間、すごいスピードで進化していった男子のフィギュアスケート。
それを牽引してきた羽生結弦の新たな挑戦が、また始まろうとしている。
初戦は9月にモントリオールで開催されるオータム・クラシックになる予定だ。

☆☆☆☆☆☆
最近、日経新聞に羽生選手の新プログラムを“リサイクル”と書いて掲載された記事がファンに物議を醸させました。
日経新聞 原真子記者の記事
(一部抜粋)
「連覇を狙う五輪プログラムの議論は紛糾した。ショートプログラム(SP)はショパン作曲《バラード第1番》、フリーは《SEIMEI(映画『陰陽師』より)》。ともに2季前に当時の世界最高得点(SPは現在も世界最高得点)を出したプログラムだ。過去に2つとも“リサイクル”したプログラムで五輪を戦った選手はいないとされる。羽生は『迷いはなかった。昨シーズン前から温めていた』が、オーサーはためらった。
ショパンは『不朽の名作』と同意したが、フリーの曲は個性が強く、フィギュア界でいう『王道の曲』ではない。羽生らしさは際立つものの、『(2つとも慣れた曲を滑るのは)トリッキーではあるよね』とオーサー。2人で話して納得したオーサーは今、こう話す。『このフリーは多くの人に評価され、彼にとってたくさんの意味のあるプログラム。やる以上、異次元のレベルに持っていかないといけない』」
「リサイクル」という言葉は、エコロジーの観点から見ればプラスな意味の言葉かも知れないけれど、ここで使えばどういう意味に捉えられるか考えなく使ったわけではないと思います。
記事の隅々まで読む人ばかりでもなく、さしてフィギュアスケートに興味がなければサラっと目を通して終わり。
その時頭に残るのはキャッチーな言葉である「リサイクル」という言葉だろう。
「また同じ」「使い回し」「新鮮味のない」
そういったネガティブな印象を残させるように書く事を、
「印象操作」「ミスリード」
という言葉で呼ぶけれど、近年それが目立って多く、捏造といえるものさえあり、そういったものは、
「フェイクニュース」
と呼ばれています。
日経新聞の記事から、遠くない日付でnumber記事が掲載された事を思えば、ここで田村記者が「リサイクルではない」と書く事は、間違いなく日経新聞の記者に対しての批判であると思う。
羽生選手が、同じ曲を選んだ理由と戦略について書いた田村記者は、逆に、パワーアップした凄まじいものが見られそうだと書いています。
羽生選手自身も、タイトルを変えたいくらいだと言っています。
同じ曲を使う事が、どういうことなのか、ここで以前私が書いたバラード1番の記事をリブログして音楽家の観点から書いて下さった、ONELOVE さんの文章をご紹介いたします。
ONELOVE さんのブログ
http://ameblo.jp/onelove815/entry-12300722131.html
(一部抜粋)
いよいよフリープログラムも発表され、結局五輪勝負プロはすべて前々回のプロと同じということがわかりましたね♪
私はここでも「またか」とは思わなかったですよ…っていうか、バラード1番を演奏する立場から言わせていただきますと、我々楽器演奏者は1回、2回コンサートで演奏したからと言ってそれでもう終わり、ということはありません。
また何年か寝かせておいて、再び同じ作品に向き合うという学びをずーっと繰り返します。
羽生選手がインタビューで言っているように、同じ作品でも以前演じた時とは自分自身のレベルが違う…そうです、自分が様々な体験を通して成長することによって同じ作品でも、以前は感じなかったような感じ方、とらえ方ができるようになるのです
そうやってピアニストたちは何度でも同じ作品と向き合います。
そういう意味で、フィギュアスケートの世界でも同じ作品と向き合い、更に円熟したものを見せようとする人が出てきたか・・とちょっと新鮮な喜びを感じている私です。
音楽やタイミングが身体に染みついているから、楽だから、、、もちろんそういう理由があってもいいのですが、それだけではなくて、ひとつの作品をまた別な角度からより深い理解のもと極める姿勢は、完全に芸術家と言えますね。
偉大な作品は何度でも見飽きない、聴き飽きないものです
是非とも羽生結弦選手がオリンピックという最高の舞台で、まるで試合であることを忘れさせてくれるほどの感動の滑りを披露し、フィギュアスケートの歴史に堂々とその名を刻んでほしいと願っています!
更に、同じ主題を使う事を音楽以外の分野で考えれば、
画家のゴッホが「ひまわり」の絵を何枚描いたかご存じですか?

花瓶に挿された構図が、7点。
それ以外の構図が5点の12枚(現存11)あります。
睡蓮の絵で有名なモネに至っては、
200点もの睡蓮の絵を描いています。

中には、日本に屏風というものがあると聞いて制作した
長さ90メートルの作品も。
同じ主題で、
手法を変え、構図を変え、画材を変え、
表現の深みを追求して行く事は、芸術の世界・・
いえ、ものが生み出される全ての場面でそうなのではないですか?
また、もう1つ思う事をここで書かせて頂きます。
羽生選手のファンになってから、海外の解説を聞いてその結果だけに拘らない視点の向け方に驚き、感動しました。
例えば、ジャンプに失敗したからと言っても
「素晴らしいジャンプ。ちょっとミスがあった」
「カウンターからそのまま跳ぶ。誰もできない」
など、そのジャンプの質の良さや、他の選手と比べてどう違うのか、
なぜそれが出来るのかなどを詳しく伝えてくれていました。
「あー、ジャンプで転倒ですねー」
で終わるような日本の実況しか知らなかった時に、
それは、もう全く違う「フィギュアスケート専門家の解説」でした。
最近、ブログなどで良い記事や解説の話題が取り上げられ、直接テレビ
局や、雑誌などに視聴者や読者の声が届けられるからか、徐々に日本で
も変化が感じられるように思います。
私たちが、強く反応するものは、必ずと言ってもいいほど
熱い愛情が感じられるような解説であったり、記事です。
そういった解説や記事は、人の胸に響きます。
最後に、昨日書き抜かってしまった、ピアニスト早川奈穂子さんのブログの最後にあった言葉をご紹介します。
あなたが他人にしてあげられる
最も偉大なことは、
富を分け与えることではなく、
その人の中にある素晴らしさを
示してあげること
なのです。
べンジャミン・ディズレーリ
(元イギリス首相)
◆お写真はお借りしました。ありがとうございます。