コメント欄で、バラード1番の理解にとても役立った記事があると
Hさんが教えてくださいました。
ありがとうございました。




ピアニスト 早川奈穂子さんのブログから「バラード1番~一番孤独な風景」という記事をご紹介させて頂きます。

ほとんど全文を載せさせていただきますが、コメント欄などが見当たらず、許可を頂いておりませんので、どうか一度下のURLを踏んでからお読みくださいね。


⬇こちらを一度押してください。
http://naopiano.blog28.fc2.com/blog-entry-2304.html





バラード1番 ~ 一番孤独な風景
2017 06 13 Tue


来月、7月30日に急遽入りました合唱のコンサートで、

ショパンのバラード1番を演奏させて頂くことにいたしました。

この合唱団さんは来年1月のミュージカルの上演に向けてお稽古を開始されていますが、そのテーマが東北からの避難」です。
依然残り続け、出続けている放射線、住むことができない土地、
自宅の目の前に山積みにされる黒いフレコンバッグ(除染で集めた土)
そこで最愛の子ども達を育てることはできないと
西日本へ移住されている方々がたくさんいらっしゃいます。


ショパンのバラード1番は、故郷のワルシャワ(ポーランド)を旅立ち、パリに着いた少し後から作曲されました。
その作曲年から、20代の頃は「パリの頃の作品」と思っていましたが、
数年前、私がドイツを訪れた時、フランクフルトからスイスへ下るゆるやかで長い道中、途中からアルプスの山々が見えてきました。
ショパンも、ワルシャワ~ウィーン~パリまでの道中シュトゥットガルトを経由していまして、
そこから見えた、きっと当時と同じであろう風景です。



とても遠い視界の先に高くそびえる、岩のゴツゴツした、雪の光る山々、思わず歓声があがるようなその美しい景色は、
ショパンにとっては一番不安で、一番孤独であった時の風景だったのだと気づきました。

その風景の周波数は、バラード1番の前奏の音の周波数と、
私の中でぴったりと重なったのでした。





ショパンは、今にも革命が起こりそうなワルシャワを離れる時、もうワルシャワには戻れないことは解っていました。
占領された国を復活させるためにワルシャワで闘う準備をする友人達を見放すようでもあり、逃げるようでもあり、また自分は死ぬために旅立つのではないかとも思い、故郷を離れることはとても辛い決断でした。
でも、自分にできることは音楽しかなかったのです。

結果的に、その亡命のおかげで、ショパンは今でも世界的に知られています。
決断が大きくなるほど、たくさんの傷も伴い、周りの人の理解も、
大きな展望を持つ人にしか伝わらないのは世の常なもの。
でも、ショパンの家族や友人・先生は、皆ショパンの才能を理解し、ポーランドの夢を託し、まだまだ若い、本当に花開くか解らない20歳の青年を送り出したのでした。




バラード1番は、
迷いや悲しみ、涙、怒り、平らで広い故郷の風景、
勇敢な仲間達、頭の中の力強く繁栄しているポーランド、
旋風のように巻き返す国力と美しい大地、
そしてまた、現実の孤独と慟哭・絶望、
それらがそのまま音になっています。

(私にとって、心も風景も経験も音楽も、全て周波数であり、
これは私が個人的に受け取る音からの感覚です。)

時代も国も状況も違うけれど、避難者の方々だけでなく、
同じような経験をされた方は今も大勢いらっしゃる。
孤独を持たれたことのある方皆さまに、ショパンをお届けしたいと思っています。

スケートの羽生結弦くんや浅田真央さんもよく滑っていた楽曲。
映画「戦場のピアニスト」でも奏でられていました。
普段クラシックに遠い方も、きっとお耳にされたことがあられると思います。








    ☆☆☆☆☆☆


早川さんが、先月演奏会を行った合唱団の来年のテーマは
「東北からの避難」だという。


そして、ショパンもまた、バラード1番を書いたのは戦火を避けて避難した先の地でした。

ショパンが移動中に通ったスイスのアルプス山を望む風景。実際、その風景を見た早川さんには、その風景から感じる周波数は、バラード1番の前奏の周波数にぴったり合っているというのです。

そして、故郷を離れる不安なショパンの思い。

ワルシャワに残って戦いの準備をする友人を見放すようであり、逃げるようであり・・。


それは、震災に遭った故郷を離れなくてはいけなかった羽生くんが感じていた「罪悪感」を思い出させます。


「でも自分にできることは音楽しかない」/「でも自分にできることはスケートしかない」。


結果的に、その亡命で(避難)で世界的に知られて行く。


この文章全体が二重になっているように、羽生選手の姿が、思いが、重なって見える気がする。



そして、表現者が必要とする“孤独”。




(当ブログ 情熱大陸①より)
http://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12149445759.html?frm=theme


「そうですねー。孤独ですよ本当に」



「言ってみれば周りの環境っていうのが、ある程度その…何だろ、

…自分の精神状態だったり肉体だったりそういうものに凄く左右して来るんですけど。でもそれを遮断しないと自分が思ってるパフォーマンスが出来ないんですよね」



「だからある意味で孤独にさせてもらいたい。むしろ」





以前、リブログさせて頂いた「五嶋龍」さんの記事には、

羽生選手はスポーツ選手と言うより、「音楽家によくいるタイプ」だという言葉があって印象的でした。


早川さんの文章の中に見た類似性にもまた同じく、

羽生選手が強く帯びる音楽性を感じました。






◆情熱大陸以外のお写真はお借りしました。ありがとうございました。