ベースボール・マガジン社webの山口真一さんによるコラムをご紹介します
羽生選手の研磨師・吉田年伸さんと、その妻であり羽生選手のコーチであった阿部奈々美先生との絆を教えてくれた、去年9月のコラムも大きな反響がありましたね。


吉田さんの店で研磨を待つ羽生くん
羽生結弦のエッジ研磨技術者、
吉田年伸さんに会ってきた
山口真一
2017/7/22
http://www.bbm-japan.com/_ct/17102349

フリーブレイズの練習の合間、昼食をとる吉田さん。アイスホッケーのチームには30人近くが在籍するだけに早朝5時から夜の10~11時まで仕事に追われているが、ご覧のように元気でした
2016-2017シーズンに『フィギュアスケート・マガジン』は5冊を発行したが、読者の皆さんからいただいたご意見・感想でもっとも反響が大きかったのが、9月下旬発売の「プレシーズン号」に掲載した吉田年伸さんの記事だった。

吉田さんは羽生結弦のスケート靴のエッジ部分(金属の刃)を研磨している技術者で、ジャンプ、スピンなど羽生の高度な技術を、表に見えないところで支えている人だ。
私はフィギュアスケートの他にも『アイスホッケー・マガジン』(8月下旬発売)を担当していて、7月中旬、青森・八戸で活動しているトップチーム「東北フリーブレイズ」の取材に行った際、同チームのエキップメント・マネジャーを務める吉田さんに「もし時間があるようでしたら情報交換をする時間はありませんか」、単刀直入にいうと「1杯やりませんか」と連絡をし、吉田さんも「ぜひ!」ということで情報交換会という名の飲み会が実現した。
吉田さんとは主にアイスホッケーの現場で顔を合わせるが、こうしてじっくりと話をするのは1年ぶり。1年前には八戸で有名なお蕎麦屋さんで2時間ほど話を聞き、それがやがてプレシーズン号の『尽きせぬ思い』という記事につながっていった。「あれからもう1年経ったんですね」と吉田さん。「ブログにちょこっと書くかもしれませんが、今日はレコーダーもカメラもノートも持ってきていません。取材抜きで楽しみましょう」と私。まずはビールで乾杯、そこからは吉田さんも私も元アイスホッケー選手ということで、チームのこと、リーグのこと、防具のことと話が尽きなかった。
ただ不思議なことに、アイスホッケーの話をしていても、なぜか話題は羽生結弦のことになっていた。2時間半の酒席のうち、おそらく1時間42分くらいは羽生の話をしていた気がする。吉田さんは単にエッジ研磨を担当しているだけでなく、羽生の相談相手でもある。しかも奥さんは仙台時代の羽生を指導していた阿部奈々美先生。話がとてもリアルで、かつ興味深いものばかりだった。
「羽生が僕に研磨のリクエストをしてくるメールが可愛いんですよね」と吉田さん。文面からは、彼が本当に信頼を寄せていることが伝わってくる。もちろん、話は奈々美先生のことにも及んだ。羽生が奈々美先生に会うと「僕、今、こんなことやってるんですよ」と子供のように話しかけてくること。それを聞いて、国別対抗のエキシビション前に4回転ルッツを跳んでいたのは、奈々美先生に見せるためだったのかな――という気もした。吉田さんはスケートの技術者になる前はバンドマンだっただけに音楽への造詣も深いが、奈々美先生とともに『ヴァーティゴ』の振り付けを考えた時の話も面白かった。「あの腰の振りは僕がアイデアを出したんですが、最初はものすごく評判悪くてですね!」。思わず大根サラダを口から吹き出しそうになった。

それ以外にも、笑える話、「羽生にもそんな一面があるのか」という話、ちょっと重い話と、あっという間に時間が過ぎた。取材抜きという席だったので、そこでの話を紹介するのははばかられるが、羽生結弦は、男である私たちの目から見ても、知れば知るほどより興味をかき立てられるスケーターだということをあらためて感じた。さらにいえば、奈々美先生にも同様のことがいえる。「そうだ、次は奈々美と3人で飲みましょう」と吉田さん。吉田年伸という技術者、阿部奈々美という指導者、そして羽生結弦というアスリート。3人に対する尊敬が深まった、忘れられない夜になった



羽生くんと吉田さんや、奈々美コーチの絆の話をまた聞く事が出来て嬉しい。
記者も言うように、知れば知るほど興味を掻き立てられるスケーターが羽生くんです。
そして、あの「ヴァーティゴ」の振り付けのアイデアを出したのは吉田さんだったという話は驚きました!
そして、なんか納得出来たのです。
前から、あの可愛いあどけない羽生くんに、奈々美コーチはあの腰を回す振り付けをやったのは何で?凄いよね~~って感想を持った方は多かったと思います。
セクシーで、ちょっといたいけで見ちゃいけないものみたいだった初期のヴァーティゴ。
阿部コーチはどういう考えで振り付けてたのかずっと知りたかったんです。
そ・れ・が、振り付けたのは男!
あ~~、そっかー。なんか納得出来た
ヴァーティゴの初演はいつなのでしょう。
日付からすると、2010年4月のダイアモンドアイスが初披露の場だったのかな?
4月3日の名古屋フェスティバルが先みたいですね。

バンクーバーのあとのアイスショー。

ダイアモンドアイス2010 パンフレット
動画がありました。
リンクを貼ると見れなくなっちゃう・・。
検索してみてください。
ダイアモンドアイス2010
羽生結弦 VERTIGO


羽生くん、このエキシプログラムについては「今までにないような、セクシーな感じで頑張りたい。へへへ」というように言ってたんですよね。
翌年2月の4大陸(台湾)でのエキシは解説者に「ほぉわあー」とか言われていました( *´艸)

2011年9月 ネーベルホルン杯EX
有名な黒タンクのヴァーティゴ
2月の4大陸から半年。衣装が違って大人びて見えますね。

2015年FaOI 幕張。
グッと大人になったヴァーティゴに会場は大興奮




当ブログ記事
2014年2月の貴重な新聞記事の書き起こしと、「フィギュアスケートマガジン2016-2017プレシーズン」の記事です。
羽生くんが、ここでしか語っていない言葉があります。是非どうぞ。
こちら➡羽生結弦 恩人に感謝込め

当ブログ記事
上の記事を踏まえて読むと、吉田さんとの何気ないやり取りに
こちら➡アスリートの魂⑦仙台

◆お写真はお借りしたものと、自宅テレビの画面撮りです。

羽生選手の研磨師・吉田年伸さんと、その妻であり羽生選手のコーチであった阿部奈々美先生との絆を教えてくれた、去年9月のコラムも大きな反響がありましたね。


吉田さんの店で研磨を待つ羽生くん
羽生結弦のエッジ研磨技術者、
吉田年伸さんに会ってきた
山口真一
2017/7/22
http://www.bbm-japan.com/_ct/17102349

フリーブレイズの練習の合間、昼食をとる吉田さん。アイスホッケーのチームには30人近くが在籍するだけに早朝5時から夜の10~11時まで仕事に追われているが、ご覧のように元気でした
2016-2017シーズンに『フィギュアスケート・マガジン』は5冊を発行したが、読者の皆さんからいただいたご意見・感想でもっとも反響が大きかったのが、9月下旬発売の「プレシーズン号」に掲載した吉田年伸さんの記事だった。

吉田さんは羽生結弦のスケート靴のエッジ部分(金属の刃)を研磨している技術者で、ジャンプ、スピンなど羽生の高度な技術を、表に見えないところで支えている人だ。
私はフィギュアスケートの他にも『アイスホッケー・マガジン』(8月下旬発売)を担当していて、7月中旬、青森・八戸で活動しているトップチーム「東北フリーブレイズ」の取材に行った際、同チームのエキップメント・マネジャーを務める吉田さんに「もし時間があるようでしたら情報交換をする時間はありませんか」、単刀直入にいうと「1杯やりませんか」と連絡をし、吉田さんも「ぜひ!」ということで情報交換会という名の飲み会が実現した。
吉田さんとは主にアイスホッケーの現場で顔を合わせるが、こうしてじっくりと話をするのは1年ぶり。1年前には八戸で有名なお蕎麦屋さんで2時間ほど話を聞き、それがやがてプレシーズン号の『尽きせぬ思い』という記事につながっていった。「あれからもう1年経ったんですね」と吉田さん。「ブログにちょこっと書くかもしれませんが、今日はレコーダーもカメラもノートも持ってきていません。取材抜きで楽しみましょう」と私。まずはビールで乾杯、そこからは吉田さんも私も元アイスホッケー選手ということで、チームのこと、リーグのこと、防具のことと話が尽きなかった。
ただ不思議なことに、アイスホッケーの話をしていても、なぜか話題は羽生結弦のことになっていた。2時間半の酒席のうち、おそらく1時間42分くらいは羽生の話をしていた気がする。吉田さんは単にエッジ研磨を担当しているだけでなく、羽生の相談相手でもある。しかも奥さんは仙台時代の羽生を指導していた阿部奈々美先生。話がとてもリアルで、かつ興味深いものばかりだった。
「羽生が僕に研磨のリクエストをしてくるメールが可愛いんですよね」と吉田さん。文面からは、彼が本当に信頼を寄せていることが伝わってくる。もちろん、話は奈々美先生のことにも及んだ。羽生が奈々美先生に会うと「僕、今、こんなことやってるんですよ」と子供のように話しかけてくること。それを聞いて、国別対抗のエキシビション前に4回転ルッツを跳んでいたのは、奈々美先生に見せるためだったのかな――という気もした。吉田さんはスケートの技術者になる前はバンドマンだっただけに音楽への造詣も深いが、奈々美先生とともに『ヴァーティゴ』の振り付けを考えた時の話も面白かった。「あの腰の振りは僕がアイデアを出したんですが、最初はものすごく評判悪くてですね!」。思わず大根サラダを口から吹き出しそうになった。

それ以外にも、笑える話、「羽生にもそんな一面があるのか」という話、ちょっと重い話と、あっという間に時間が過ぎた。取材抜きという席だったので、そこでの話を紹介するのははばかられるが、羽生結弦は、男である私たちの目から見ても、知れば知るほどより興味をかき立てられるスケーターだということをあらためて感じた。さらにいえば、奈々美先生にも同様のことがいえる。「そうだ、次は奈々美と3人で飲みましょう」と吉田さん。吉田年伸という技術者、阿部奈々美という指導者、そして羽生結弦というアスリート。3人に対する尊敬が深まった、忘れられない夜になった



羽生くんと吉田さんや、奈々美コーチの絆の話をまた聞く事が出来て嬉しい。
記者も言うように、知れば知るほど興味を掻き立てられるスケーターが羽生くんです。
そして、あの「ヴァーティゴ」の振り付けのアイデアを出したのは吉田さんだったという話は驚きました!
そして、なんか納得出来たのです。
前から、あの可愛いあどけない羽生くんに、奈々美コーチはあの腰を回す振り付けをやったのは何で?凄いよね~~って感想を持った方は多かったと思います。
セクシーで、ちょっといたいけで見ちゃいけないものみたいだった初期のヴァーティゴ。
阿部コーチはどういう考えで振り付けてたのかずっと知りたかったんです。
そ・れ・が、振り付けたのは男!
あ~~、そっかー。なんか納得出来た

ヴァーティゴの初演はいつなのでしょう。
日付からすると、2010年4月のダイアモンドアイスが初披露の場だったのかな?
4月3日の名古屋フェスティバルが先みたいですね。

バンクーバーのあとのアイスショー。

ダイアモンドアイス2010 パンフレット

リンクを貼ると見れなくなっちゃう・・。
検索してみてください。
ダイアモンドアイス2010
羽生結弦 VERTIGO


羽生くん、このエキシプログラムについては「今までにないような、セクシーな感じで頑張りたい。へへへ」というように言ってたんですよね。
翌年2月の4大陸(台湾)でのエキシは解説者に「ほぉわあー」とか言われていました( *´艸)

2011年9月 ネーベルホルン杯EX
有名な黒タンクのヴァーティゴ

2月の4大陸から半年。衣装が違って大人びて見えますね。

2015年FaOI 幕張。
グッと大人になったヴァーティゴに会場は大興奮






2014年2月の貴重な新聞記事の書き起こしと、「フィギュアスケートマガジン2016-2017プレシーズン」の記事です。
羽生くんが、ここでしか語っていない言葉があります。是非どうぞ。
こちら➡羽生結弦 恩人に感謝込め


上の記事を踏まえて読むと、吉田さんとの何気ないやり取りに

こちら➡アスリートの魂⑦仙台

◆お写真はお借りしたものと、自宅テレビの画面撮りです。