前記事と繋がってるガチンスキー選手の話題、続きます
ガチンスキーの記事①
◆動画②
ちよさんによると、2011年のロシア杯初優勝後、震災後羽生くんの心を奮い立たせたガチンスキーとのライバル関係を取り上げたいくつもの番組の1つだそうです。
■ちよ@chiyochiyoyoさんのツイートより動画をお借りしました。
https://mobile.twitter.com/i/web/status/840931078470680576



そして去年、世界ジュニア選手権で同世代の頂点に上り詰めた。
仙台から世界へ、すぐそこに待っていたはずの眩しい未来。

だが、栄光からちょうど1年後の3月11日。東日本大震災。

練習中に被災した羽生は、スケート靴を履いたままリンクの外へ。大切なスケートリンクは変わり果てた。

数日間、家族と避難所で過ごした。


滑る場所を求めていた。

だが、同時に沸き上がる苦悩があった。

羽生 それよりも、なんか生活をしっかり一人の人間としてしなきゃなというか。

羽生 一つの家族としてしっかり生活していかなきゃなっていう思いの方がまだ強かったですね。うん。
家族と生活を送る事で精一杯。
もはやスケートどころではなかった。

そんな時だった。テレビで見ていた世界選手権。地元ロシアで活躍する1人の選手に目を奪われた。

それは、ジュニア時代からのライバル、ロシアのガチンスキー。
ライバルを押さえて優勝した世界ジュニアからわずか1年。いつしか立場は逆転していた。
負けず嫌いの少年の心に火がついた。

羽生 それを見た時に、本当になんかスケートに対する思いというか、そういう思いが凄い強くなりましたし。

羽生 自分何やってんだかみたいな。

羽生 「いや、こんなんじゃダメだろ」って改めて気付かせてくれたのが、そのガチンスキー選手の銅メダルという結果で。
☆☆☆☆☆☆
まず、ジュニア世界選手権の日付が、2010年3月11日なのが因縁めいて衝撃ですね
震災のあと、スケートをやっている時じゃないんじゃないか、自分だけ好きな事をしていていいのかと悩んでいた羽生くん。
その心に、アスリートの魂を甦らせたのがガチンスキー選手でした。
ガチンスキー選手の銅メダルを見て、来年は自分も世界選手権に出るんだと思ったでしょう。
3人しか出られない世界選手権に出場するためには、少なくとも全日本選手権で3位以内に入る必要があります。
そのためには、当時3強と言われていた高橋・織田・小塚のうちの一人は破らなければならない。
そんな意気込みで挑んだ全日本選手権、なんという巡り合わせか、織田くんが膝のケガのため欠場していたのです。
こう書くと織田くんが休んでてラッキーみたいであれですが、織田くんが出場しててもどうだったかは分かりませんよ。たら・れば言っても仕方ありません。
とにかく結果、羽生くんは全日本で3位に。
そして、あの伝説のニースへ!という流れなのです。
と言うわけで、ガチンスキー選手の功績は大きくて、羽生ファンとしては羽生くんの魂に火をつけてくれたその存在に大いに感謝しているのです。

2012年。雑誌でトゥクタミシェワと3人で対談

2013年フィンランディア杯
この表彰式は、羽生姫と従者みたいでした♡

先日の「今夜くらべてみました」で、村上佳菜子ちゃんの“ガチで恋したイケメン選手”はガチンスキー選手の事でした
生中継でガチンスキー選手と繋がって、びっくりして照れってれになっちゃうかなちゃん♡可愛かったー。
でも、そっかー。
ガチンスキーかあ。
ゆづかなお似合いだと思ってたけど・・

佳菜子ちゃんにとって、羽生くんはやっぱただのきのこか。残念
過去記事。去年の3月の。
「ゆづvsガチンスキー」
http://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12142258757.html
2012年3月放送のすぽると!の記事です。
ガチンスキーの解説はすみません省いてますが、
荒川さんの解説が良かったです。
◆お写真はお借りしました。ありがとうございます。
ガチンスキーの記事①
◆動画②
ちよさんによると、2011年のロシア杯初優勝後、震災後羽生くんの心を奮い立たせたガチンスキーとのライバル関係を取り上げたいくつもの番組の1つだそうです。
■ちよ@chiyochiyoyoさんのツイートより動画をお借りしました。
https://mobile.twitter.com/i/web/status/840931078470680576



そして去年、世界ジュニア選手権で同世代の頂点に上り詰めた。
仙台から世界へ、すぐそこに待っていたはずの眩しい未来。

だが、栄光からちょうど1年後の3月11日。東日本大震災。

練習中に被災した羽生は、スケート靴を履いたままリンクの外へ。大切なスケートリンクは変わり果てた。

数日間、家族と避難所で過ごした。


滑る場所を求めていた。

だが、同時に沸き上がる苦悩があった。

羽生 それよりも、なんか生活をしっかり一人の人間としてしなきゃなというか。

羽生 一つの家族としてしっかり生活していかなきゃなっていう思いの方がまだ強かったですね。うん。
家族と生活を送る事で精一杯。
もはやスケートどころではなかった。

そんな時だった。テレビで見ていた世界選手権。地元ロシアで活躍する1人の選手に目を奪われた。

それは、ジュニア時代からのライバル、ロシアのガチンスキー。
ライバルを押さえて優勝した世界ジュニアからわずか1年。いつしか立場は逆転していた。
負けず嫌いの少年の心に火がついた。

羽生 それを見た時に、本当になんかスケートに対する思いというか、そういう思いが凄い強くなりましたし。

羽生 自分何やってんだかみたいな。

羽生 「いや、こんなんじゃダメだろ」って改めて気付かせてくれたのが、そのガチンスキー選手の銅メダルという結果で。
☆☆☆☆☆☆
まず、ジュニア世界選手権の日付が、2010年3月11日なのが因縁めいて衝撃ですね
震災のあと、スケートをやっている時じゃないんじゃないか、自分だけ好きな事をしていていいのかと悩んでいた羽生くん。
その心に、アスリートの魂を甦らせたのがガチンスキー選手でした。
ガチンスキー選手の銅メダルを見て、来年は自分も世界選手権に出るんだと思ったでしょう。
3人しか出られない世界選手権に出場するためには、少なくとも全日本選手権で3位以内に入る必要があります。
そのためには、当時3強と言われていた高橋・織田・小塚のうちの一人は破らなければならない。
そんな意気込みで挑んだ全日本選手権、なんという巡り合わせか、織田くんが膝のケガのため欠場していたのです。
こう書くと織田くんが休んでてラッキーみたいであれですが、織田くんが出場しててもどうだったかは分かりませんよ。たら・れば言っても仕方ありません。
とにかく結果、羽生くんは全日本で3位に。
そして、あの伝説のニースへ!という流れなのです。
と言うわけで、ガチンスキー選手の功績は大きくて、羽生ファンとしては羽生くんの魂に火をつけてくれたその存在に大いに感謝しているのです。

2012年。雑誌でトゥクタミシェワと3人で対談

2013年フィンランディア杯
この表彰式は、羽生姫と従者みたいでした♡

先日の「今夜くらべてみました」で、村上佳菜子ちゃんの“ガチで恋したイケメン選手”はガチンスキー選手の事でした
生中継でガチンスキー選手と繋がって、びっくりして照れってれになっちゃうかなちゃん♡可愛かったー。
でも、そっかー。
ガチンスキーかあ。
ゆづかなお似合いだと思ってたけど・・

佳菜子ちゃんにとって、羽生くんはやっぱただのきのこか。残念
「ゆづvsガチンスキー」
http://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12142258757.html
2012年3月放送のすぽると!の記事です。
ガチンスキーの解説はすみません省いてますが、
荒川さんの解説が良かったです。
◆お写真はお借りしました。ありがとうございます。