神奈川区制90周年記念として行われる、
「かめ太郎 真夏の氷上カーニバル」
8/16 (水) 第一部 14:00~16:00
羽生結弦 スケートエキシビション
子どもスケート教室

参加対象は、神奈川区在住・在学の子どもと保護者、合計300人。
なので、残念ながら全く関係な~い(´~`)
この神奈川スケートリンクは、羽生くんが震災当時避難してきてスケートの練習を続けていた場所です。
その当時の新聞を、@michaelide2010さんがTwitterに載せて下さいました。
当時の震災のショックもまだ覚めやらない羽生くんが、余震にも怯えながら、またスケートを続けて行く事にも悩む姿が記されています。


この新聞の元記事を探しましたが、Web上の記事は既に存在していませんでした。
検索してみると、ネット上に発見しましたので文章をありがたくお借りして、こちらに記載させて頂きます。
羽生選手「仲間」が声援
( 2014.2.1 )
「羽生選手は幼少期から光るものがあった」と語る都築さん(神奈川スケートリンクで)
7日開幕のソチ五輪のフィギュアスケートで金メダルの期待がかかる羽生(はにゅう)結弦(ゆづる)選手(19)(ANA)に、横浜の「チームメート」が大きな声援を送っている。仙台生まれの羽生選手が、東日本大震災で被災した後の一時期、練習場としていた神奈川スケートリンク(横浜市神奈川区)のコーチや練習生たちだ。「苦しい思いをした分、ソチで輝いて」と活躍を願っている。(佐藤雄一)
「そちらで練習させてもらえませんか」。同リンク専属インストラクター都築章一郎さん(76)に、羽生選手の家族から電話があったのは、震災から間もない頃だった。
都築さんは世界選手権のメダリスト佐野稔さん(58)らを育てたベテラン指導者。仙台市内でコーチをしていた頃、小学2年生だった羽生選手と出会った。
自宅が被災した羽生選手は一時、小学校の体育館で家族と避難生活を送った。ホームリンクも設備の損壊で使用不能に。都築さんは神奈川スケートリンク場長の山崎善也さん(78)とともに、羽生選手を迎える環境を大急ぎで整えた。
氷の上ではせめて練習に集中させてあげたいと、ほかの利用者がサインや写真撮影を求めた時には、やめるようにお願いした。だが、羽生選手は「僕が出来るのはこれくらいですから」と、嫌な顔一つ見せずに応じた。「つらいはずなのに、リンクの中でも外でも、振る舞いは素晴らしかった」と、山崎さんは振り返る。
羽生選手は約半年間、横浜を拠点にしながら、週末には各地の復興支援のアイスショーなどに参加していた。ホテルを転々とするなど厳しい環境に違いなかったが、それでも、都築さんは「あの苦境の中で練習したことで精神的に強くなり、成長した」とも思う。
都築さんらは今、フィギュアスケートの五輪選手輩出を目指し、ジュニア世代の育成に力を入れている。
先月31日。まだ暗い午前4時45分から練習が始まり、小中学生が氷上を滑る音がリンクに響いた。
青木祐奈さん(12)は、練習中の羽生選手の姿を鮮明に覚えている。「ジャンプの高さがすごくて驚いた」。アドバイスを求めると、「体の軸をもっと真っすぐにした方がいいよ」と丁寧に教えてくれたという。川畑和愛さん(12)は、鬼ごっこをして遊んでもらった。「私たちの憧れの先輩。感動する演技が見たい」と目を輝かせる。
「横浜での思い出も、きっと彼の心に残っているはず。ソチの舞台で、大輪の花を咲かせてほしい」と都築さん。羽生選手が出場するフィギュアスケート男子は13、14日(日本時間は14、15日のいずれも午前0時~)に行われる。
☆☆☆☆☆☆
「横浜での思い出も、きっと彼の心に残っているはず」
ソチオリンピックの直前の記事ですね。
きっと今でも、苦しかったあの頃を忘れていないでしょう。
新しくファンになった方にも、震災当時の羽生くんの気持ちに触れて頂きたいと思いましたので、ご紹介させて頂きました。
こういった記事は、3年も経つとWebからは消えてしまうのですね~
保存しとかないとって思いました。
この夏のイベントに参加依頼を受けたのもきっと当時お世話になった人や、場所への恩返しの心があっての事でしょう。
そして、フィギュアスケートの発展を願って。
ここで子どもたちが、羽生くんから指導を受ける事で、また未来のフィギュアスケーターを目指す子が出てくるかも知れません
@michaelide2010さんは、2つ記事を載せて下さったので、もう1つの記事もアップしますね。
◆お写真はお借りしました。ありがとうございます。
「かめ太郎 真夏の氷上カーニバル」
8/16 (水) 第一部 14:00~16:00
羽生結弦 スケートエキシビション
子どもスケート教室

参加対象は、神奈川区在住・在学の子どもと保護者、合計300人。
なので、残念ながら全く関係な~い(´~`)
この神奈川スケートリンクは、羽生くんが震災当時避難してきてスケートの練習を続けていた場所です。
その当時の新聞を、@michaelide2010さんがTwitterに載せて下さいました。
当時の震災のショックもまだ覚めやらない羽生くんが、余震にも怯えながら、またスケートを続けて行く事にも悩む姿が記されています。


この新聞の元記事を探しましたが、Web上の記事は既に存在していませんでした。
検索してみると、ネット上に発見しましたので文章をありがたくお借りして、こちらに記載させて頂きます。
羽生選手「仲間」が声援
( 2014.2.1 )
「羽生選手は幼少期から光るものがあった」と語る都築さん(神奈川スケートリンクで)
7日開幕のソチ五輪のフィギュアスケートで金メダルの期待がかかる羽生(はにゅう)結弦(ゆづる)選手(19)(ANA)に、横浜の「チームメート」が大きな声援を送っている。仙台生まれの羽生選手が、東日本大震災で被災した後の一時期、練習場としていた神奈川スケートリンク(横浜市神奈川区)のコーチや練習生たちだ。「苦しい思いをした分、ソチで輝いて」と活躍を願っている。(佐藤雄一)
「そちらで練習させてもらえませんか」。同リンク専属インストラクター都築章一郎さん(76)に、羽生選手の家族から電話があったのは、震災から間もない頃だった。
都築さんは世界選手権のメダリスト佐野稔さん(58)らを育てたベテラン指導者。仙台市内でコーチをしていた頃、小学2年生だった羽生選手と出会った。
自宅が被災した羽生選手は一時、小学校の体育館で家族と避難生活を送った。ホームリンクも設備の損壊で使用不能に。都築さんは神奈川スケートリンク場長の山崎善也さん(78)とともに、羽生選手を迎える環境を大急ぎで整えた。
氷の上ではせめて練習に集中させてあげたいと、ほかの利用者がサインや写真撮影を求めた時には、やめるようにお願いした。だが、羽生選手は「僕が出来るのはこれくらいですから」と、嫌な顔一つ見せずに応じた。「つらいはずなのに、リンクの中でも外でも、振る舞いは素晴らしかった」と、山崎さんは振り返る。
羽生選手は約半年間、横浜を拠点にしながら、週末には各地の復興支援のアイスショーなどに参加していた。ホテルを転々とするなど厳しい環境に違いなかったが、それでも、都築さんは「あの苦境の中で練習したことで精神的に強くなり、成長した」とも思う。
都築さんらは今、フィギュアスケートの五輪選手輩出を目指し、ジュニア世代の育成に力を入れている。
先月31日。まだ暗い午前4時45分から練習が始まり、小中学生が氷上を滑る音がリンクに響いた。
青木祐奈さん(12)は、練習中の羽生選手の姿を鮮明に覚えている。「ジャンプの高さがすごくて驚いた」。アドバイスを求めると、「体の軸をもっと真っすぐにした方がいいよ」と丁寧に教えてくれたという。川畑和愛さん(12)は、鬼ごっこをして遊んでもらった。「私たちの憧れの先輩。感動する演技が見たい」と目を輝かせる。
「横浜での思い出も、きっと彼の心に残っているはず。ソチの舞台で、大輪の花を咲かせてほしい」と都築さん。羽生選手が出場するフィギュアスケート男子は13、14日(日本時間は14、15日のいずれも午前0時~)に行われる。
☆☆☆☆☆☆
「横浜での思い出も、きっと彼の心に残っているはず」
ソチオリンピックの直前の記事ですね。
きっと今でも、苦しかったあの頃を忘れていないでしょう。
新しくファンになった方にも、震災当時の羽生くんの気持ちに触れて頂きたいと思いましたので、ご紹介させて頂きました。
こういった記事は、3年も経つとWebからは消えてしまうのですね~

保存しとかないとって思いました。
この夏のイベントに参加依頼を受けたのもきっと当時お世話になった人や、場所への恩返しの心があっての事でしょう。
そして、フィギュアスケートの発展を願って。
ここで子どもたちが、羽生くんから指導を受ける事で、また未来のフィギュアスケーターを目指す子が出てくるかも知れません

@michaelide2010さんは、2つ記事を載せて下さったので、もう1つの記事もアップしますね。
◆お写真はお借りしました。ありがとうございます。