田中刑事選手のインタビューです。
羽生くんや、龍樹くんの同期話も出て来ますカナヘイうさぎ


田中刑事「五輪に出れば人生が変わる」
スケーターとして見据える“その先”
スポーツナビ2017年5月17日(水) 11:30
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201705150006-spnavi

世界選手権で感じたトップとの差

――16−17シーズンは飛躍の1年になりました。

 本当に自分としても頑張らないといけないシーズンでしたし、五輪まで今季を含めて2シーズンしかなかったので、逆算して「この試合には出ておきたい」「成績を残したい」と考えていました。なんとか目標としていた試合には出場できたと思います。

――今季の良かった点と、悪かった点を教えてください。

 良かった点はNHK杯、全日本選手権、ユニバーシアード(2位)とそれなりに納得のいく演技ができたことですね。ただその良い演技をシーズンの前半と、後半の四大陸と世界選手権で出せなかったのが悔しかったです。

――四大陸と世界選手権で良い演技をできなかった原因は?

 四大陸に関してはユニバーシアードからの連戦だったので、少し思い描いていたコンディションとは違っていました。気持ちは上がっていたんですけど、調子が追いつかなかったので、自分の中でも大変な時期でしたね。でも、こういう連戦を経験できて良かったと思います。世界選手権については、ショートプログラム(SP)で失敗したのは緊張感が原因でした。本番までは良い雰囲気で臨めたんですけど、いざ曲が始まってみると思った以上に緊張してしまい……。それでもフリースケーティング(FS)ではジャンプの失敗がありながら、それ以外の部分は落ち着いてできたと思うので、良い面も悪い面もたくさん経験できたなと思います。


写真【坂本清】

――グランプリシリーズや世界選手権を戦う中で、世界との差を一番感じた部分はどこでしょうか?

 選手それぞれの色というのを感じましたね。ジャンプの戦いになりつつありますけど、その選手の特長がしっかり見られたし、何かを訴えかけるような演技をたくさん見ることができたので、そういう部分を自分でも出していけたらと思います。

――どの選手の演技が一番印象に残りましたか?

 ジェイソン・ブラウン選手(米国)や、僕が見ていて「こんな選手になれたらいいな」と思ったのが、ミーシャ・ジー選手(ウズベキスタン)ですね。引退するという情報を聞いていたので、最後の演技だと思って見ていました。全部出し切って終わったというのもあるし、表現面で見ると、あんなに演技で何かを訴えかける選手になれたらいいなとすごく感じました。


『椿姫』を超える演技を目指す

――4回転を武器にする選手よりも、ジェイソン・ブラウン選手やミーシャ・ジー選手のような表現で訴えかける選手の方が、田中選手の理想には近いのですか?

 もちろん両方で戦いたいとは思っています。ジャンプで争うスポーツ的な戦いにも加わっていきたいですし、表現面についても、せっかくフィギュアスケートに芸術的な要素があるので、それを魅せていきたいです。

――表現面については、どういうこだわりを持っていますか?

 そんなにこだわりはないです。僕は初めて聴いた曲を「これでいこうか」という感じで進めていくんですね。曲の最初の印象が「すごく良い」というのはないんですけど、振り付けを始めて、プログラムが完成に近づくにつれて「これは面白いな」と思うことがよくあります。少しずつプログラムの完成度が上がっていく過程を楽しんでいるんだと思います。

――ご自身で曲を選んだことはないのですか?

 ないですね。エキシビションの曲は自分で選ぶこともあるんですけど、競技で滑る曲は1年間通してやらないといけないし、僕は2シーズン続けて滑ることが多いので、飽きない曲選びも難しいんですね。最初から好きな曲でいくと、シーズン半ばくらいで飽きちゃうかなと思って(笑)。いただいた曲が難しければ難しいほど、考える時間も多くなりますし、振り付けをしていく上で楽しいなと思える部分もたくさん出てくる。伸びしろがある曲を滑りたいので、そこは自分で選ぶよりも振り付けの先生に選んでもらったほうがいいのかなと思っています。



【写真:ロイター/アフロ】

――最初はそうでもなかったけど、最終的にすごく好きになったプログラムはありますか?

 今の体制になって、マッシモ・スカリ先生に最初に振り付けてもらったのが『椿姫』(14−15、15−16シーズンのFS)でした。「こんな感じの曲なんだ」と思いながら作り始めたんですけど、2シーズン続けて使うと評価も変わってきたし、すごく良い味が出てきたなと感じることができたんですね。良い評価をたくさんもらえるようになったのも『椿姫』だったので、最近はあれを超える演技を目指しています。


――SPの『ブエノスアイレスの春』は2シーズン続けて滑りました。FSは今季からでしたが、来季はどうされるのでしょうか?

 来季も続けて滑る予定です。SPは6月に振り付けをする予定で、曲も決まっていないので、先生にお任せしています。何が来ても「はい」と言います(笑)。


同年代の選手とは引退の話も


【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

――この4月から大学院に進学されました。セカンドキャリアという意味ではこの先に生きてきそうですね。

 今の段階ではコーチをやりたいと思っていて、大学を卒業して変わったことは特にないんですけど、いろいろな分野のことを勉強していけるので、コーチになったときの知識としては持っておきたいと思いますね。

――コーチになるのはあと何年後くらいとか考えていますか?

 全く考えていないです。いつ引退するかというのも考えていないですし、自分がやり切った、燃え尽きたと思えるくらいまでやりたいので、まだ決めていません。


――引退については同年代の選手たちとも話をするのですか?

 けっこう話をしますね。僕の世代で言うと(羽生)結弦や日野(龍樹)くんがいて、引退の話になると「いつしようか」みたいな感じになります。具体的な時期は決めていないですけど、引退したら「どこか旅行や遊びに行きたいね」という話なんかはしますね(笑)。



「結弦は今もあの頃のまま」


ノービス時代から同級生の羽生(左)や日野(右)とは切磋琢磨してきた。昨年11月のNHK杯は3人同時の出場がついに実現
【写真:アフロスポーツ】


――2人は田中選手にとってどういう存在ですか?

 初めて会ったのは野辺山合宿で、知り合ってからずっと一緒にここまでやってきました。ノービスの頃から争うこともできて、お互いの状況を知ることで、例えば結弦が新しいトリプルのジャンプを跳んだという話を聞くと「やばいな」という気持ちになり、自分も頑張ろうと思える存在でした。自分の中で良い危機感を持って、ノービスやジュニアの頃を過ごすことができたので、向上心を持つことにもつながる存在です。

――初めて会ったとき印象は?

 日野くんはかなり大人しい性格でしたね。結弦は当時から今みたいな感じです(笑)。(野辺山合宿で)最初に話しかけられたのも結弦だったんですよ。並び順で結弦が前にいたので、自己紹介をされました。「羽生結弦です」と。今もあの頃のまんまです。全く変わっていないですね(笑)。

――2人の存在は田中選手の成長に欠かせなかったと思います。その過程で「自分ももっと頑張らないと」と思った出来事はありましたか?

 全日本ジュニアで結弦が優勝したときですね。差を感じることもできたし、結弦はそのあとすぐにシニアに上がって、シニアでもそれほど負けることなくどんどん突き進んでいきました。すごくなっていく姿を間近で感じていました。

――やはり悔しい気持ちもありましたか?

 もちろん悔しさは大きかったです。ただ、悔しいと思うだけではダメだし、小さいころから見ていたので、彼がすごいというのは素直に受け止めることはできていました。自分はすぐに成長できないとは感じていたので、「俺たちは少しずつこつこつ上っていこう」と日野くんとも話していました。昨年のNHK杯ではやっと同じ舞台に立てて良かったです。


まだスケート人生は長い

――来季は平昌五輪があります。

 自分のレベルが、五輪を目指す状態にまで達していないと世界選手権で感じました。もう1年もないんですけど、今年の過ごし方でどちらにも転がると思います。まずはやるべき課題をこなさないといけないですし、五輪を見据えてその先のものもしっかり作っていく必要があります。毎年そうですけど、今年もさらに大事なシーズンになってくると思うので、どれだけ自分を追い込んで成長できるか。1つ1つの課題をクリアして、五輪の代表に選んでもらえるように、成長していくことが大事だと思っています。




平昌五輪だけではなく、その先の未来も見据える。田中のスケート人生はまだ長く続く【スポーツナビ】


――田中選手にとって、五輪はどういう舞台ですか?

 スポーツ選手にとっては夢の舞台ですし、そこで最高の演技をすることができれば、スケートが好きな方だけではなく、いろいろな方に見てもらえます。出れば人生が変わるのかなと。前回のソチ五輪では結弦もそうだし、町田(樹)くんや高橋(大輔)選手もみんな輝いて見えたので、五輪でしっかり自分の演技を出し切れたときの達成感はすごいんだなと思いますね。

――自身のキャリアにとって五輪出場というのはどういう位置付けになりますか?

 あの舞台で自分が思い描いた100パーセントの演技をできたら、今までの試合とは違う達成感があると思います。自分のスケート人生においては一番の目標にしたいですが、それだけではダメだと思うので、どの試合にも五輪と同じくらいの気持ちで挑んで、少しでも多く達成感を得る演技を残していきたいです。その最高の達成感が五輪にはあると思います。五輪はこれからの競技生活における1つの道しるべとなると思うし、僕はその先も見たいので、まだまだスケート人生は長いなと感じています。


(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)





    ☆☆☆☆☆☆


刑事くんのスケート好きなんです。

エレガントな男性らしさがあって、色気もあって

魅せるスケーターだと思います。

あとは、4回転の精度を上げて上位の二人に点数で付いていって

欲しいです。出来れば羽生くんと一緒にオリンピック出場が

叶う事を願っています。


羽生くんと3人の様子が微笑ましくて。

何を言っても受け入れてくれる器の大きい刑事くんの

穏やかな態度が好ましい照れ

“女房役”としてこれから先も羽生くんと仲良くしてね!




昨日、一旦上げた記事の内容に気になる部分があったので
ある方の助言でその部分を削除しました。

私のブログで見て頂くだけなら大丈夫かな、と思いましたが
連盟に許可を受けた商品か分からない以上、やはり取り上げない方が
良いと判断しました。

巡り巡って、もしも羽生くんに迷惑がかかるといけないと思いました。




私は羽生くんの良いファンでいたいと思いますニコニコ


小学校の卒業文集で「観客への感謝」を学んだと書いた羽生くん。
その後、神戸の震災復興演技会でまさに観客の声援が
羽生くんの復活のきっかけになりました。

ニースの時も、観客の声援に後押しされたと言っていましたし、
あの中国杯の時がなんと言っても大きかったと思います。

キスクラで羽生くんが、観客が自分の順位を喜ぶ姿を見て流した涙。
言わば他人であるファンが、ここまで自分の事を、幸せを願い、
喜んでくれる姿が彼の魂を打った瞬間でした。

Let's go crazy で観客とコネクトしたいと言い、
Hope & Legacy は自分のスケート人生、そこに皆さんも入って欲しい
と言った。

羽生くんのスケート人生の中には、ジャンプやプログラムだけじゃ
なく、既にファンという存在も含めてあるのだと思います。


私が、羽生くんと直接会うなんて機会はないだろうし、
羽生くんが一ファンとしての私を認識する事もないと思う。

でも、羽生くんがスケート人生を振り返る時、
羽生くんの記憶の中の良いファンの思い出の、
そのひとりではありたいと思います。


羽生くんを追いかけたり、至近距離でスマホを向けたり
そんな人もいると聞きます。
けれど、そのスマホに羽生くんの姿が残っても、
同時に羽生くんの記憶には自分のどういう姿が残るかを考えて欲しいと思います。




良いファンっていうのは
真面目に堅苦しくやれというものでもありません。

「ルッツが散歩してるとか言われてますけどー」って
羽生くん言ってたように、

プリンスの衣装がルマンドに似てると言われてるのすぐに知ってた
ように、羽生くんは、結構ファンのジョークを面白がってます。

あれこれ言って、盛り上がって、きゃっきゃ言うのは昔から。
ファンってそういうものですよね。


羽生くんの困る顔は見たくない。
自分がその原因を作っちゃいけないとそう改めて思いました。

Sさん、ありがとうございました。





⭐羽生くんの小学校卒業作文はこちら⭐
http://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12129722761.html?frm=theme





◆お写真はお借りしました。ありがとうございます。