震災関連の記事をもう1つ。
櫻井翔さんとのインタビューです
ソチオリンピックで櫻井さんとのインタビューがあったのですが、これはその時の未放送分の震災関連の質問ですね。
【2014/3/10放送 news zero】より

櫻井「宮城県仙台市出身のフィギュアスケーター羽生結弦選手。ソチオリンピックで金メダルを手にしましたが、震災が起きてから葛藤を続けていたと言います。羽生選手に被災地への思いを聞きました」

ソチオリンピック金メダリスト羽生結弦選手。男子のフィギュアスケートでは、日本初の金。

その演技は世界を魅了し、遠い被災地を元気づけました。
その羽生選手に先月ソチで話を伺った時、意外な言葉が返って来ました。

櫻井「被災地の皆さんも元気付けられたかと思うんですけれども、改めていかがですか?」

羽「やはり金メダルだからこそ逆に自分の、あの、無力感というものを凄く感じました」

櫻井「うーん」

羽「やはり自分の目指していたもの、自分の夢だったもの、または自分がこれを取ればここからまた未来が変わるんじゃないか、そういう風に思ってずっと目指していたものだっただけに、」


羽「結局は何も変わってないじゃないかと。日本は何も変わっていないし、被災地も何も変わってない」

羽「結局は僕がただ頑張っただけで、やはりそれっていうのは、結局は自分のためでしかなかったのかなって・・ちょっと、あの、葛藤じゃないですけれども」

櫻井「うん」
演技に込めた思いは被災地に届いていたのか、震災後の3年間は葛藤と共にありました。



櫻井「日本、ひいては被災地に対する強い思いって言うのは、この4年間の間にカナダに、まあ海外に行く事でより強くなりましたか?」

羽「まあカナダに渡ってからも震災の話とか聞いてたんで。あのー、その話を聞く度に僕は逃げてたんじゃないかと」
櫻井「うん」

羽「やはり仙台からカナダに移って、そこから逃げて練習してるんじゃないかなって凄いつらい思いもあったんですけれども」

櫻井「それは自分が思い込んでしまった?」


羽「思い込んでたのかも知れないし、誰かが思ってたのかも知れないし、それはまあ分かんないです」

櫻井「うーん」

羽「ただ、僕の中では凄く苦しい部分でもあったので」
自分の活躍が少しでも被災地を思い出すきっかけになって欲しい。羽生選手は練習に打ち込みました。





そして、迎えたソチオリンピック。


被災地では、祈るように見つめる人たちがいました。


復興への願いを込めた、羽生選手の全力の滑りでした。






(歓声)

「いやあ、金で嬉しいです。最高だよね」

「本当に良かったです」

「良いことが無かったんですよ。楽しいものが無かったんですよ」

「これは本当に一番の喜び。本当にね嬉しいです。全部忘れます」

「ばんざーい!」
羽生選手の勇姿は被災地にも届いていました。



帰国直後、羽生選手は地元仙台を訪れます。


「羽生選手おめでとうございまーす」

羽「ありがとうー」

多くの暖かい声援を聞いた羽生選手は・・

羽「本当に改めてこうやって県民の方々、市民の方々がこうやって応援して下さってるのだなあという事を実感しましたし、」
羽「またはそういう思いがここまで僕を突き動かしてくれたのかなという風に思っています」



そして、羽生選手が口にしたのは被災地への今の思いでした。

羽「これをきっかけに、何か僕を知って頂いて、または僕を知って頂くとともに何か震災復興への、被災地復興へのきっかけとなって頂ければ」
羽「自分が滑る事によって何かそういうものを感じて頂けたらという風に思ってました」
応援してくれる人への感謝と、復興への願い。





これからも羽生選手はリンクに立ち続けます。

櫻井
「羽生選手は自分が活躍して、「仙台出身の羽生」と日本で、そして世界で報道される事で震災の事を思い出して欲しい、そして震災の事を忘れないで欲しいと話しているそうです。羽生選手が考える被災地復興へのきっかけの1つだと感じました」
「そうですね」
櫻井
「1歩1歩前へ歩み続ける羽生選手。これからもフィギュアスケートを通して多くの人を笑顔にしてくれると思います」
☆☆☆☆☆☆
ソチの時、先ずは嵐の櫻井くんと羽生くんが同じ所でしゃべっているっていう光景がちょっと不思議でした
羽生くん、バラエティとか出ないし凄い貴重なショットだなーと。
インタビューの中で、
「(逃げたと)自分が思い込んでしまった?」と尋ねられ、ちょっと分かりにくい答えを返すんですね。
「思い込んでたのかも知れないし、誰かが思ってたのかも知れないし、それはまあ分かんないです」
読解力が必要ね
震災直後、被災地を離れた事を“逃れて”と表現していた羽生くんは、カナダに行く事も“逃げた”と思ってしまった部分はあるかも知れない。
誰かが思っていたかもというのは、「言われているんじゃないかと思っていた」という事なのか?
実際にその言葉を聞いたか見たかしたのでしょうか?
誰かがそう言ってたという言葉を、咄嗟に明言を避けたらあのような言い方になったのでしょうか。
自分で自分を責めている事について、他人からの批判を受けたとしたらそれはとても辛い思いをしたでしょうね。
でもこれは3年前。今はもう、だいぶ気持ちが変化したと思います。
カナダに行って良かったと言っていますし、自分の演技で被災地やファンの人を元気付けられている事も分かっていると思います。
もう決して無力ではないと、そう思ってくれているなら、羽生選手を応援している側にいる人々の声も決して無力ではないと感じられる。
「良い事がなかったんですよ。楽しい事がなかったんですよ。これは本当に一番の喜び。本当にね嬉しいです。全部忘れます」という被災地の人の言葉。
羽生くんが取った金メダルがもたらしてくれたのは、ただならぬものです。
ソチオリンピックで日本が取った、ただ1つの金メダル。
羽生くんが掴み取ってくれたのは、栄光と喜びと、諸々の感動と
日本を勇気付けるナンバーワンの誇りでした
櫻井翔さんとのインタビューです

ソチオリンピックで櫻井さんとのインタビューがあったのですが、これはその時の未放送分の震災関連の質問ですね。
【2014/3/10放送 news zero】より

櫻井「宮城県仙台市出身のフィギュアスケーター羽生結弦選手。ソチオリンピックで金メダルを手にしましたが、震災が起きてから葛藤を続けていたと言います。羽生選手に被災地への思いを聞きました」

ソチオリンピック金メダリスト羽生結弦選手。男子のフィギュアスケートでは、日本初の金。

その演技は世界を魅了し、遠い被災地を元気づけました。
その羽生選手に先月ソチで話を伺った時、意外な言葉が返って来ました。

櫻井「被災地の皆さんも元気付けられたかと思うんですけれども、改めていかがですか?」

羽「やはり金メダルだからこそ逆に自分の、あの、無力感というものを凄く感じました」

櫻井「うーん」

羽「やはり自分の目指していたもの、自分の夢だったもの、または自分がこれを取ればここからまた未来が変わるんじゃないか、そういう風に思ってずっと目指していたものだっただけに、」


羽「結局は何も変わってないじゃないかと。日本は何も変わっていないし、被災地も何も変わってない」

羽「結局は僕がただ頑張っただけで、やはりそれっていうのは、結局は自分のためでしかなかったのかなって・・ちょっと、あの、葛藤じゃないですけれども」

櫻井「うん」
演技に込めた思いは被災地に届いていたのか、震災後の3年間は葛藤と共にありました。



櫻井「日本、ひいては被災地に対する強い思いって言うのは、この4年間の間にカナダに、まあ海外に行く事でより強くなりましたか?」

羽「まあカナダに渡ってからも震災の話とか聞いてたんで。あのー、その話を聞く度に僕は逃げてたんじゃないかと」
櫻井「うん」

羽「やはり仙台からカナダに移って、そこから逃げて練習してるんじゃないかなって凄いつらい思いもあったんですけれども」

櫻井「それは自分が思い込んでしまった?」


羽「思い込んでたのかも知れないし、誰かが思ってたのかも知れないし、それはまあ分かんないです」

櫻井「うーん」

羽「ただ、僕の中では凄く苦しい部分でもあったので」
自分の活躍が少しでも被災地を思い出すきっかけになって欲しい。羽生選手は練習に打ち込みました。





そして、迎えたソチオリンピック。


被災地では、祈るように見つめる人たちがいました。


復興への願いを込めた、羽生選手の全力の滑りでした。






(歓声)

「いやあ、金で嬉しいです。最高だよね」

「本当に良かったです」

「良いことが無かったんですよ。楽しいものが無かったんですよ」

「これは本当に一番の喜び。本当にね嬉しいです。全部忘れます」

「ばんざーい!」
羽生選手の勇姿は被災地にも届いていました。



帰国直後、羽生選手は地元仙台を訪れます。


「羽生選手おめでとうございまーす」

羽「ありがとうー」

多くの暖かい声援を聞いた羽生選手は・・

羽「本当に改めてこうやって県民の方々、市民の方々がこうやって応援して下さってるのだなあという事を実感しましたし、」
羽「またはそういう思いがここまで僕を突き動かしてくれたのかなという風に思っています」



そして、羽生選手が口にしたのは被災地への今の思いでした。

羽「これをきっかけに、何か僕を知って頂いて、または僕を知って頂くとともに何か震災復興への、被災地復興へのきっかけとなって頂ければ」
羽「自分が滑る事によって何かそういうものを感じて頂けたらという風に思ってました」
応援してくれる人への感謝と、復興への願い。





これからも羽生選手はリンクに立ち続けます。

櫻井
「羽生選手は自分が活躍して、「仙台出身の羽生」と日本で、そして世界で報道される事で震災の事を思い出して欲しい、そして震災の事を忘れないで欲しいと話しているそうです。羽生選手が考える被災地復興へのきっかけの1つだと感じました」
「そうですね」
櫻井
「1歩1歩前へ歩み続ける羽生選手。これからもフィギュアスケートを通して多くの人を笑顔にしてくれると思います」
☆☆☆☆☆☆
ソチの時、先ずは嵐の櫻井くんと羽生くんが同じ所でしゃべっているっていう光景がちょっと不思議でした

羽生くん、バラエティとか出ないし凄い貴重なショットだなーと。
インタビューの中で、
「(逃げたと)自分が思い込んでしまった?」と尋ねられ、ちょっと分かりにくい答えを返すんですね。
「思い込んでたのかも知れないし、誰かが思ってたのかも知れないし、それはまあ分かんないです」
読解力が必要ね

震災直後、被災地を離れた事を“逃れて”と表現していた羽生くんは、カナダに行く事も“逃げた”と思ってしまった部分はあるかも知れない。
誰かが思っていたかもというのは、「言われているんじゃないかと思っていた」という事なのか?
実際にその言葉を聞いたか見たかしたのでしょうか?
誰かがそう言ってたという言葉を、咄嗟に明言を避けたらあのような言い方になったのでしょうか。
自分で自分を責めている事について、他人からの批判を受けたとしたらそれはとても辛い思いをしたでしょうね。
でもこれは3年前。今はもう、だいぶ気持ちが変化したと思います。
カナダに行って良かったと言っていますし、自分の演技で被災地やファンの人を元気付けられている事も分かっていると思います。
もう決して無力ではないと、そう思ってくれているなら、羽生選手を応援している側にいる人々の声も決して無力ではないと感じられる。
「良い事がなかったんですよ。楽しい事がなかったんですよ。これは本当に一番の喜び。本当にね嬉しいです。全部忘れます」という被災地の人の言葉。
羽生くんが取った金メダルがもたらしてくれたのは、ただならぬものです。
ソチオリンピックで日本が取った、ただ1つの金メダル。
羽生くんが掴み取ってくれたのは、栄光と喜びと、諸々の感動と
日本を勇気付けるナンバーワンの誇りでした
