ずっと、気になっていた言葉がありました。

ソチオリンピックのエキシビションの翌日の新聞。

羽生くんは自分の転機に、安部コーチとの出会いを挙げていました。

「そう言っていいのか分からないけれど」と少しはばかるように。



今は、羽生くんの恩師と言えば、都築コーチが紹介されます。

安部コーチは、ニースの後、羽生くんと師弟関係を解消した以降は表だって羽生くんについては語る事もなくなってしまいました。




以下は地元紙の記事と、全文の書き起こしです。


(地元紙 2014/2/24)

羽生 恩人に感謝込め

 フィギュアスケートで日本初の金メダルに輝いた仙台出身羽生は、エキシビションでチャイコフスキーの名曲「白鳥の湖」で滑るプログラムを情感豊かに舞った。東日本大震災で被災した後、リンクに始めて立った時に滑った思い入れのある曲だった。
 
シニアデビューの2010~2011年シーズンにこの演目の振り付けを担当した人が阿部奈々美さん。恩人として感謝する前コーチの安部さんとの出会いを、スケート人生の転機に挙げた。ただし「そう言っていいのか分からないけれど」と少しはばかるように。ジュニアより下のノービス時代から5年以上師事してトップ選手の仲間入りを果たしたが、2年前に突然の別れを告げたからだ。
 
12年4月、新コーチとして、金妍児(韓国)を前回のバンクーバー冬季五輪女王に導いたカナダ人のブライアン・オーサー氏の就任が発表された。阿部さんとともに初出場で銅メダルを獲得した世界選手権から、わずか1ヵ月後のコーチ変更だった。阿部さんはショックを受け、オーサー氏も「前のコーチといい関係だったし、オファーに驚いた」と振り返る。
 
羽生は言葉も生活環境も違うカナダに身を置くことで「レベルアップしたい。変わりたい」と思った。仙台では満足な練習時間を確保できず、ライバルも身近にいなかった。被災した故郷を離れ、恩人から巣立つことはつらかった。

座右の銘は「初心忘るべからず」。初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳べた時に阿部さんから掛けられた言葉だった。武器の4回転ジャンプも土台を築き、羽生は「本当に感謝しなければいけない」という。阿部さんの夫、吉田年伸さんは「ゆづ(羽生)は彼女にとってまな弟子の一人。テレビで(金メダルを獲得した演技を)見て、涙を流して喜んでいた」と話した。

(2014/2/22 共同=井上将志)




   ☆☆☆☆☆☆


「そう言っていいのか分からないけれど」

が、どういう意味なのか・・。ずっと胸に引っ掛かっていました。


羽生くんがカナダに渡る経緯の中には何かしら明かされていないものがあると感じながら、2012年から月日が経つにつれ、もうそれを知る事はないのだろうと思っていました。


ところが、今年の9月に出た『フィギュアスケートマガジン2016-2017プレシーズン(ベースボールマガジン社)』に掲載された、研磨師・吉田年伸さんの記事の中で当時と、そして現在の関係についてかなりの部分が語られたのです。


ニースの後、羽生くんがカナダに行くという事は、吉田さんと妻の安部コーチはインターネットのニュースで知った事が書かれています。


記者は「羽生結弦というスケーターはこの時すでに、自分の意志だけで自分の進む道を決める事ができない、それほどまでにスケートの世界で大きな存在になっていた、ということではなかったか」と書いています。

安部コーチ、吉田さん、羽生くんはそれぞれに心を痛めながら一旦は別々の道に別れてしまったかのようでした。

しかし、数ヵ月たって羽生くんから「靴を研いで欲しい」との依頼があった時、吉田さんの予想に反して奈々美さんの口から出たのは「私と結弦がこういう状態になったからと言って、あなたが彼の要求を蹴るのは道理ではないと思う」という言葉だった。


以後、数週間おきに航空便を通じて靴のやりとりをする日々がはじまった。



選手の鍛えられない部分、エッジ。
アクロバティックな姿勢も、エッジに溝が彫られているからこそ可能になる。



「僕も奈々美も、結弦の事が可愛いし、愛しています。その気持ちは、彼が仙台にいたころと今とで、まったく変わらない」


羽生選手が繰り出す、ジャンプもスピンもステップも、エッジの溝がなければ生み出されることはない。そこに3人の思いが、全て詰まっていると、記事は結ばれています。


カナダに渡った経緯は、その全てがつまびらかになることはないだろうと記者は書いています。


そのプロセスがどうあれ、3人の心は変わらず結ばれている。その事が分かり、私はやっとほっとしたのです。




「アスリートの魂」にも仙台に帰って来た羽生選手が吉田さんの店を訪ねるシーンが出てきます。

「こんにちはー」

と羽生くんが入って行き、吉田さんが迎える、本当に普通の場面が、その記事を見たあとでは意味が違って見えました。


2012年に、カナダに渡る前に、吉田さんの店で羽生くんは号泣していたという話も、単に仙台から離れたくないというだけではなかったのでしょう。どうして、吉田さんの店だったのか、どうしてそれほど泣いていたのか、その意味が以前よりも分かった気がします。


今年も、沢山の感動的な記事がありましたが、私が一番心に残り、またこの事について話して下さったことに感謝したのが、この記事でした。



◆その他の記事

羽生涙の真実本当は仙台にいたかった
(日刊スポーツ2014/2/16)
こちらから
http://www.nikkansports.com/m/sochi2014/figureskate/news/p-sochi-tp0-20140216-1258302.html





さて、もうすぐ全日本選手権ですね


全日本選手権 「開会式・滑走順抽選」

12/22(木) 18:30から このサイトで無料ライヴ配信

こちらから
http://www.fujitv.co.jp/sports/skate/japan/




今夜は「ユアタイム」録画しなくちゃです。





新聞以外のお写真はお借りしました。ありがとうございます。