
羽「足上げた方がいい?」




安部「体の動きがもうちょっと欲しいなと思ったのね。あそこ」

安部「すごく曲がうわっと変わるとこだから」



安部「そうそうそうそう」

羽「じゃあイナバウアー」


華やかな技は、未来に立ち上がる力強さ。












羽「ちょっと早い?」
安部「“花は咲く”くらいで」

羽「分かった」

指田「どう?いい感じ?」

羽「まだ頭がついていかない」


指田「うそ


スタッフ
「一度、音出しますね」

羽生さんは曲のイメージを、全身で感じ取ろうとしていました。



羽「未来に向かって行く歌詞っていうのは本当に少ないですけど」

羽「ただ、すごく強いので」


羽「過去だけじゃないんだと言うか」

羽「過去があって、今があって未来に行けるんだって言うことを」

「ちょっとでも感じて貰えたらなと思ってます」


(2014年4月 仙台 凱旋パレード)
観客「ゆ~づ~


被災地を勇気づけた金メダル。


多くの人に支えられ、羽生さんが掴んだ夢でした。


(10歳当時)
羽「撮んの?」
4歳から始めたフィギュアスケート。

(2004年 全国大会優勝)
小学4年生で全国優勝。

(2010年 世界ジュニア選手権優勝)
羽生さんは、瞬く間に世界が注目する選手に成長しました。


(2011年)
順調だったスケート人生が一変し、続けられるかどうかの危機に追い込まれたのが、東日本大震災でした。


(2011年)
羽「スケーターとしての気持ちじゃないんですよね、やっぱり」

羽「もうとにかく、地震から逃れて生活することが第一」

羽「その辛さを知っているからこそ、本当に自分が滑っていいのかなと」

羽「それより、本当にボランティアに行った方がいいんじゃないかとか、そういう方な頭になっていましたね」

その頃の羽生さんを記録し続けたカメラマンがいます。
能登 直さんです。
羽生さんがスケートを続けるきっかけになった瞬間を撮影していました。

震災から1ヶ月後。
初めて観客の前に立った時の写真です。

☆☆☆☆☆☆
神戸の復興演技会の時は、まだ私は羽生くんを知りませんでした。
この時もたくさんのお客さんがいて、その中の羽生くんのファンの方は無事に演技をする姿をご覧になってどんなに嬉しかった事でしょう。
羽生くんも、この時の声援を受けて演技をしていいんだ、続けて行こうと言う気持ちになった。
声援って羽生くんにとってとても大切なものだと思います。
ニースの時も、中国杯の時もそうでした。
ソチのあと、自分でも気付かない内に燃え尽きていた、と言っていましたが、私はどちらかと言えば“不完全燃焼”だったんじゃないかと思います。
自分でも納得が行ってなかったから。
でも被災地の小学校や、中学校に行ってみんなが喜んでくれた声によって、羽生くんもまた達成感と次へのモチベーションを得た。
羽生くんがどんなに強く見えても、やっぱり背中を押す声援は必要です。
だから今日も、これからも応援の気持ちを送ります。
羽生くん、がんばれー

(●´∀`●)/