
ナレーション
1994年。仙台に生まれ4歳でスケートを始めた。

早くも2007年には全日本ジュニア選手権で3位。


中学1年でその表彰台に立った男子は羽生が初めてだった。
当時思い描いていた夢。

羽「オリンピックに出て優勝する事です」
根っからの負けず嫌い。


夢中で練習に打ち込んだ。


遊び盛りをリンクと学校の往復だけに費やした日々。


既にこの頃から羽生はストイックな少年だった。
夢を手に入れた今。

一体何が彼を突き動かしているのだろう。

それは自分の限界を拡げようとする、並々ならぬ向上心かも知れない。
羽生が得意とするトリプルアクセル。

2010年と2014年を比べると、ジャンプの出来映えを評価する得点が伸びている。
(2.2点→3.0点へ)
・2010年の3A

(助走が長い)
2010年のトリプルアクセルでは失敗を避けるために、しっかりと助走し勢いをつけて宙に舞い上がっている。


・2014年の3A
だが4年後には…


ジャンプ直前に『チェンジエッジ』と呼ばれる技で、重心を右から左に移していた。

さらにこの体勢から振り向き様にジャンプ。

(右足がずっと浮いたまま跳び上がるのが凄いです)
『バックアウトカウンター』というテクニックを入れてほとんど助走無しに跳んでいる。


直後に両足を伸ばし、左右に拡げるのは『スプレッドイーグル』。
同じトリプルアクセルでもリスク覚悟で前後に3つの技を加え、磨きをかけていた。


プログラムの細部に渡る工夫が、世界を驚嘆させる高得点に繋がっている。



羽「もちろん技術っていうものも進化し続けなくてはいけない所だとは思いますが、ただそれはバランスのとれた進化であり。
その精神面であったり体力面であったり技術面であったり、全てにおいて進化しなければそれは進化とは言えない」
Q.一番大事な事は何だと思いますか?
羽「とにかく僕が進化し続けること。
いやあまだまだ進化できるぞ、と」

(3月)
練習の拠点としているカナダ・トロント。

世界選手権を目前にした3月。
羽生はホームリンクで最後の調整に励んでいた。


羽「おはようございまーす。お願いしまーす」

だが私たちは密かに聞かされていた。
その左足に激しい痛みがある事を。


リンクに入る前に一礼。

激痛の気配などおくびにも出さない。

コーチのブライアン・オーサーとトレイシー・ウィルソンが見守る中、練習が始まった。



一昨年、世界選手権の覇者となった。
だが去年その座をハビエル・フェルナンデスに奪われた。
左足の不調ごときで奪還を諦める訳にはいかない。



羽「くっそー」

オーサー
「本番ならここまで疲れていられないよ。練習だからいいけど」

トレイシー
「疲れている時こそ膝をちゃんと使いなさい。
疲れている時は爪先に体重がかかるから前屈みになるのよ。
だからバランスが余計必要になってくるのよ。
疲れている時こそとにかく膝を使いなさい」

羽「そこ そこ!」

羽「オリンピックメダリストとあと、ワールドメダリスト…ワールドチャンピオンかな、ていうのが書いてあって。
毎年その年のが書いてあって」

羽「ユヅル・ハニュー2014の後にハビエル・フェルナンデス2015が書いてあるから、めっちゃ悔しくて、めっちゃ悔しくて、ちくしょー何だこれは!ってやってます。ふふふ(笑)」

羽「しんどい時に、もっとしんどい時によくあれ見て『なめんなよ。俺ぜってぇやってやるからな』ってやってます。へへへ(笑)」
☆☆☆☆☆☆
ケガをして痛みがある状態でも、それを感じさせないって凄いなと。
アスリートっていつも万全の体調で試合に臨める訳じゃないです。
体調が悪くても試合の日は来てしまうし、むしろ絶好調で試合を迎える事の方が少ないのかも。
シーズン初めから違和感が出始めて不安だったでしょうね。
GPファイナルでの涙は、もしかしたらそのケガの不安もあっての事だったかも知れませんね。
全日本の不調も何かおかしかったですし。
やっぱり羽生くんの調子が悪い時って、ケガしてる可能性が高いですよね。
シーズンを最後まで闘えたのは、あの中国杯を乗り越えた経験が活かされてるのかな、と思います。
どんなに辛い事からもそこから学んで前に進む力に変えるですよね。
羽生くんを見ていて学ぶこと、気づかされる事が本当に多いです。
あと1回続きます。
(*^_^*)