仙台市の魅力を紹介するパンフレット『週末仙台』が4/19から都市部で無理配布されるそうですね。
(*´∀`*)


webでも配布申し込みがあります(抽選)。

https://pro.form-mailer.jp/fms/89d64c7e97075


私は地方だからコレに申し込みしてみよう!
(m'□'m)


政令地方都市の図書館にも寄贈されるそうです。

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羽生くんが仙台をナビゲートしてくれます。


■七北田公園
トレーニングや学校行事など、小さい頃の羽生さんがよく訪れていた公園。

「アスレチックの設備が面白くて、楽しいんですよ。今でもやりたいぐらい。『絶対に走って登ってやる』と、滑り台の登頂に成功したり(笑)。野外活動でザリガニも捕りましたね」

夏の「ふるさとまつり」では、七北田川の河川敷で約4500発の花火が夜空を彩る。


■LOVE ずんだもち
「ずんだもちはお店によってそれぞれの味があって、めっちゃ好きなところがあるんです。仙台に帰ったら、おやつによく食べてます」
ずんだもちに加え、笹かまぼこや牛たん焼きといった仙台名物も大好物。

「東京などに移動するときは、ほぼ牛たん弁当。これにもお気に入りの銘柄があって(笑)。あと仙台はやっぱり海の幸が豊富ですね」


■五色沼
仙台はスケート競技が盛ん。気候変動の影響で今は見られなくなったが、かつては冬になると池などが凍り、市内随所に天然の屋外スケート場ができていたとか。
「この五色沼は、国内のフィギュアスケート発祥の地と言われているそうです。自由研究で調べた時に初めて知りました。僕たちスケーターにとって、特別な場所なんです」


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〝羽生さんにとっての仙台〝を案内してもらったのは、2015-16年のシーズンに集中する直前のこと。

その後私たちは、NHK杯(’15年11月)、GPファイナル(同12月)と神々しいまでのパフォーマンスで、その都度、世界記録を大幅に更新するという彼の〝伝説〝を目撃するのだが、この仙台での一日では、とてもリラックスした表情を見せてくれた。

「仙台は〝帰る場所〝ですね。今、拠点にしているトロントは僕にとって、スケートの練習をするためにいるっていう位置づけですが、仙台に帰ってきたときは、もちろん練習もするしスケートから離れるわけじゃないんですが、ほっとする居場所があります。

家族が揃うから安心もできるし。家とリンクとの往復時に車から見る景色だったり、地元のお店、街中の緑に、『ああ、帰ってきたなぁ』とよく感じてます。

仙台って、都会の忙しさがあまり表に出てない街なんです。〝杜の都〝と言われるように、自然との融合も感じられるし。街でありながら〝こちゃこちゃ〝してなくて、おおらかで。ゆったりした、空間のある街だと思います」

音楽を聴いたり、ゲームをしたり、オフはもっぱらインドアで過ごすというが、家族でよく遊びに行った市北西部の定義如来(じょうぎにょらい)の参道や、夏の風物詩「仙台七夕まつり」、祖父母やいとこも一緒に大勢で訪れた秋保温泉など、子どもの頃からの仙台の思い出は彩りが豊かだ。
「8月の七夕まつりは、本当にきれいですよ。七夕飾りは同じようなシルエットに見えますが、ひとつひとつ、作った人たちの想いが詰まったものなので、ぜひ見てもらいたいですね。

最近はトロントでの練習などの時期と重なるので行けないんですけど、小さい頃は家族で絶対に行く夏休みのイベントでした。毎年、全然違った雰囲気なんです」
ケヤキ並木に遊歩道のある定禅寺通も、市内の見どころのひとつ。60万個のイルミネーションが幻想的な12月の「SENDAI 光のページェント」の時期は、特におすすめとも。

「仙台は『居心地が良くて、安心できる』っていう言葉に尽きます。故郷って、誰にとってもそういうものなんだと思います。自分が生まれ育った場所だから落ち着ける。僕にとってはそれが仙台。この街の空気感がいちばん心地よくて、いちばん落ち着けるんですよね」

故郷を大切に思う気持ちは、先の大震災の被災者と語らう中でより強く意識するようになったことだ。

「復興の応援で福島に行ったとき、仮設住宅で暮らす方々の思いをたくさん伺いました。そういう状況がある中で、自分がこうして仙台に帰ってくることができる。その時間を大切にしたいとすごく思います」

2014年のソチ五輪で金メダルを獲得した際など、羽生さんは折に触れ、復興のメッセージを発信し続けてきた。自身も練習中にリンクで被災し、避難所で過ごした経験を持つ。

「家族が離れ離れだったので、心配もありました。でも、そういうときだからこそ家族の絆をとても感じたし、地域や近所の方々、学校やスケートの先生方の協力や優しさを知るきっかけにもなりました。人間の温かさを、ひときわ感じました」

現在の仙台は、新しい地下鉄が開業するなど、活気溢れる街の新たな顔が生まれている。でもやはり、忘れてはいけないことも。

「思い出したくないという方もいらっしゃるし、デリケートなことだと思います。でも例えば、戦後70年が経って、実際に戦争を体験した語り部が減り、その話を映像に収めるってことがされていたりするじゃないですか。この震災も、年齢や環境の違う人たちが、それぞれの立場で経験したからこそ感じたことがあって、その個々の経験を大切にしなきゃいけないんじゃないかなと思うんです。僕も、せっかく人気のあるスポーツで、オリンピックの金メダルを獲ったことで注目を浴びるようになったんだから、少しでも語り継ぐことができれば。金メダリストとしてできることがあるんじゃないかなと思ってるんです」

その前人未到の活躍ぶりや芯の通った発言を見聞きしていると、つい年齢を忘れてしまうのだが、羽生さんは現在21歳。ジュニア時代から公に発言する立場にあったとはいえ、インタビュー時の真摯な姿勢には、ある種の覚悟すら感じられる。

「情報は洪水のように溢れてるけど、その中でも言葉ひとつひとつを大切にしていきたいんです。ネットや雑誌に掲載される記事も、何十年も残そうと思えば残せるものだし、受け継ごうと思えば受け継げるものだから。こうして言葉を発するときは、本当に大切に語らなきゃというふうに思っているんです」

ひとつひとつを大切に。その集積がどれほどのパワーを持って、人々の心に響くかは、羽生さんのパフォーマンスを見ればわかるだろう。そして、そのフィギュアスケートとの出会いをもたらしたのも、仙台。

「かつては冬になると、市内の至るところで氷が張って、屋外スケートが身近にできていたそうです。スピードスケートやショートトラックなどの競技も盛んでした。諸説ありますが、日本のフィギュアスケート発祥の地は仙台だと言われているんです。ただ今は、東北にはアイスリンクが仙台と、新しくできた盛岡と、2つしかなくて、スケート界としては大変な状況なんです。かつて荒川静香さんや宮城県の協力に僕が助けてもらったように、フィギュアスケートをやりたいという人がもっとリンクで滑れるようになる活動を、少しずつでもできればと思っています」

他者への思いやりに無邪気な笑顔、そして、リンクの上での気迫に満ちた情熱的な姿。それらはアスリートとして、また人として多くの人を惹きつける。またこの数年は、〝強さ〝をも増しているよう。

「毎年、違った意味での強さを手に入れていると思うんですが、去年は怪我をした期間が長かったですからね。どんなスポーツでも、勉強でも、家族の支えがないとできないことにスケートを通じて気付かされました。僕の家族は本当に仲が良いんですよ。『支え合うからできる。それが人間なんだ』ということも、フィギュアスケートの中で経験できたことです」

震災で電気を失った夜、七北田公園で家族と見上げた星空が、とてつもなく美しかったという逸話も教えてくれた。羽生さんを育んだ仙台。そこを訪れる人たちは、どんな自分の物語を見つけるのだろう。



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仙台がうらやましいです。

羽生くんの故郷というだけで特別輝いて見えます。

*お写真等は仙台市HPより