昨日、水泳の北島康介選手が引退を表明しました。
彼のこれまでを紹介する番組を見ていて、羽生くんとの共通点に気が付きました。

共に17歳で世間から注目され、その分野での突出した才能を持ち、タレント性カリスマ性に溢れ、勝利にこだわり、強気な気持ちを隠さない。
その共通項の多さに、ふと北島康介選手のアスリート人生に興味を抱きました。
彼が最後の試合に臨み何を思い、何を語ったのかご紹介します。
【2016/4/8放送 ZERO】より
ナレーション
33歳でオリンピックに出場した日本人競泳選手はいない。
正に限界に挑んでいた。

リオ五輪予選に挑む心境
北島「簡単に言ったら自分の水泳人生の覚悟だよね。
今は紙ペラ1枚でも積み重ねていくものを、きちんと今は作って行くことが大事だと思うし。
やっぱりやるからには昔の自分は越えたいなと言う気持ちはね、やっぱりどっかにあると思うし」
言葉とは裏腹に体は悲鳴を上げていた。
足首には違和感が。
それでも北島は自分を追い込み続けた。
33歳と言う年齢を感じながら自分の泳ぎを追求する。
それがオリンピックへの唯一の道だと信じていた。

2004年アテネオリンピック金メダル。
2008年。続く北京オリンピックでも金メダル。
日本競泳界初の偉業を成し遂げた。
いつしか北島康介には、金メダルが宿命付けられ、北島自身も勝つ事をモチベーションに闘うようになった。
そして29歳で迎えた2012年ロンドンオリンピック。
北島は勝つ為だけに泳いだ。
ところが個人種目ではメダル無し。周囲の期待は大きな失望に変わった。
更に2014・2015年はタイムが伸びず、あの北島が日本代表に入る事すら出来なかった。
限界をささやく声が出始めた。
それでも北島は諦めていなかった。
33歳を迎え、気持ちの中にある変化が芽生えていた。
そしてそれこそが北島の原点だった。

北島「ただまあ本当に、水泳愛が自分をこうさせてくれていると思ってるので。
昔に戻って。
昔オリンピックを夢見た気持ちに戻って。
もう1回オリンピックに行きたいんだ、今そういう気持ちではいますけどね」
夢見たオリンピックを掴んだあの時の思いで闘いたい。
それは16年前、初めて挑んだシドニーオリンピック選考会。
176センチ65㎏の身体で、がむしゃらに泳ぐ17歳の北島。

日本記録で優勝し、夢のオリンピックの切符を初めて掴んだ。
(17歳のインタビュー)
北島「まだ実感わかないけど、オリンピック行けるんだなってちょっと嬉しいです」
当時17歳。
夢見る挑戦者だった頃の心を、33歳の北島は取り戻そうとしているのだ。
そして今、練習を懸命に続ける北島の身体にも変化が。
中学生から指導する平井コーチも驚きを隠せない。

コーチ
「すごいよ。すごいです。筋量とかパワーとかは、今までで多分一番ある」
もう一度あの舞台へ。
Q.オリンピックとは
北島「人生で一番喜びを味わえる瞬間をもらえたし。
自分が一番興奮できる場所。
人生をかけてもいいと思えるようなそんな場所だとオリンピックは思ってるので」
そして今日。
リオオリンピックをかけた北島最後のレース。
結果は5位。
オリンピックへは届かなかった。
最後に一礼し、プールを去る北島。

北島「オリンピックに行きたいっていう気持ちをこうやってもう一度持ってやれたと言うのは、
僕の中でも頑張り切れたっていう思いがあるから
悔しいけど晴れ晴れしいと言うかね、やりきった感が今はいっぱいです」
平井コーチからの言葉は?
北島「「最後よし行って来い」という言葉。
本当にいつもと変わらず送り出してくれるコーチがいたから頑張れたんだと思います(最後は涙声で)
弱くなった自分を見て、もう一回自信と強さを取り戻そうとしてくれた平井コーチには感謝の気持ちでいっぱいです」
Q.その涙、自分は我慢しようと思われたと思いますが。
北島「いやあ…まあ、インタビュアーの人(指さして)泣いてんだもん、ずるいでしょ」
北島「僕の中での真剣勝負は終わり。
自信を持って次のステージに行きたいなと思います」
☆☆☆☆☆☆
羽生くん成分ゼロな記事ですみません
(^^;
羽生くんがこれからどのようなスケート人生の完結を迎えるかは分かりません。
それはまだまだ先であって欲しいです。
私が羽生くんに望むのは、息の長い選手であって欲しいという事です。
前に羽生くんは十分な力を残してプロに行きたいと言っていて平昌で引退と報じられましたが、後でそれは本人によって否定されました。
その後の会見で、平昌の次の五輪に触れるコメントを言っていたので、私は平昌では引退しないのではないかという記事を以前書きました。
十分な力を残して、勝って終わるのはとても美しい。
けれど、十分やれる力を残して辞めるのはファンとしてはあまりに惜しく残念です。
浅田真央選手は結局アイスショーに満足せず、競技の世界に帰ってきました。
羽生くんにもやりきったと思うところまで、出来ればやって欲しい。
アスリートの魂を燃やし尽くして、次のステージへと進んで欲しい。
そのためにもやりたい気持ちはあっても、身体がダメだという事のないよう、健康とケガに気をつけて頑張って欲しいです。
最後に、北島康介選手、長い間お疲れ様でした。
(*^_^*)
彼のこれまでを紹介する番組を見ていて、羽生くんとの共通点に気が付きました。

共に17歳で世間から注目され、その分野での突出した才能を持ち、タレント性カリスマ性に溢れ、勝利にこだわり、強気な気持ちを隠さない。
その共通項の多さに、ふと北島康介選手のアスリート人生に興味を抱きました。
彼が最後の試合に臨み何を思い、何を語ったのかご紹介します。
【2016/4/8放送 ZERO】より
ナレーション
33歳でオリンピックに出場した日本人競泳選手はいない。
正に限界に挑んでいた。

リオ五輪予選に挑む心境
北島「簡単に言ったら自分の水泳人生の覚悟だよね。
今は紙ペラ1枚でも積み重ねていくものを、きちんと今は作って行くことが大事だと思うし。
やっぱりやるからには昔の自分は越えたいなと言う気持ちはね、やっぱりどっかにあると思うし」
言葉とは裏腹に体は悲鳴を上げていた。
足首には違和感が。
それでも北島は自分を追い込み続けた。
33歳と言う年齢を感じながら自分の泳ぎを追求する。
それがオリンピックへの唯一の道だと信じていた。

2004年アテネオリンピック金メダル。
2008年。続く北京オリンピックでも金メダル。
日本競泳界初の偉業を成し遂げた。
いつしか北島康介には、金メダルが宿命付けられ、北島自身も勝つ事をモチベーションに闘うようになった。
そして29歳で迎えた2012年ロンドンオリンピック。
北島は勝つ為だけに泳いだ。
ところが個人種目ではメダル無し。周囲の期待は大きな失望に変わった。
更に2014・2015年はタイムが伸びず、あの北島が日本代表に入る事すら出来なかった。
限界をささやく声が出始めた。
それでも北島は諦めていなかった。
33歳を迎え、気持ちの中にある変化が芽生えていた。
そしてそれこそが北島の原点だった。

北島「ただまあ本当に、水泳愛が自分をこうさせてくれていると思ってるので。
昔に戻って。
昔オリンピックを夢見た気持ちに戻って。
もう1回オリンピックに行きたいんだ、今そういう気持ちではいますけどね」
夢見たオリンピックを掴んだあの時の思いで闘いたい。
それは16年前、初めて挑んだシドニーオリンピック選考会。
176センチ65㎏の身体で、がむしゃらに泳ぐ17歳の北島。

日本記録で優勝し、夢のオリンピックの切符を初めて掴んだ。
(17歳のインタビュー)
北島「まだ実感わかないけど、オリンピック行けるんだなってちょっと嬉しいです」
当時17歳。
夢見る挑戦者だった頃の心を、33歳の北島は取り戻そうとしているのだ。
そして今、練習を懸命に続ける北島の身体にも変化が。
中学生から指導する平井コーチも驚きを隠せない。

コーチ
「すごいよ。すごいです。筋量とかパワーとかは、今までで多分一番ある」
もう一度あの舞台へ。
Q.オリンピックとは
北島「人生で一番喜びを味わえる瞬間をもらえたし。
自分が一番興奮できる場所。
人生をかけてもいいと思えるようなそんな場所だとオリンピックは思ってるので」
そして今日。
リオオリンピックをかけた北島最後のレース。
結果は5位。
オリンピックへは届かなかった。
最後に一礼し、プールを去る北島。

北島「オリンピックに行きたいっていう気持ちをこうやってもう一度持ってやれたと言うのは、
僕の中でも頑張り切れたっていう思いがあるから
悔しいけど晴れ晴れしいと言うかね、やりきった感が今はいっぱいです」
平井コーチからの言葉は?
北島「「最後よし行って来い」という言葉。
本当にいつもと変わらず送り出してくれるコーチがいたから頑張れたんだと思います(最後は涙声で)
弱くなった自分を見て、もう一回自信と強さを取り戻そうとしてくれた平井コーチには感謝の気持ちでいっぱいです」
Q.その涙、自分は我慢しようと思われたと思いますが。
北島「いやあ…まあ、インタビュアーの人(指さして)泣いてんだもん、ずるいでしょ」
北島「僕の中での真剣勝負は終わり。
自信を持って次のステージに行きたいなと思います」
☆☆☆☆☆☆
羽生くん成分ゼロな記事ですみません
(^^;
羽生くんがこれからどのようなスケート人生の完結を迎えるかは分かりません。
それはまだまだ先であって欲しいです。
私が羽生くんに望むのは、息の長い選手であって欲しいという事です。
前に羽生くんは十分な力を残してプロに行きたいと言っていて平昌で引退と報じられましたが、後でそれは本人によって否定されました。
その後の会見で、平昌の次の五輪に触れるコメントを言っていたので、私は平昌では引退しないのではないかという記事を以前書きました。
十分な力を残して、勝って終わるのはとても美しい。
けれど、十分やれる力を残して辞めるのはファンとしてはあまりに惜しく残念です。
浅田真央選手は結局アイスショーに満足せず、競技の世界に帰ってきました。
羽生くんにもやりきったと思うところまで、出来ればやって欲しい。
アスリートの魂を燃やし尽くして、次のステージへと進んで欲しい。
そのためにもやりたい気持ちはあっても、身体がダメだという事のないよう、健康とケガに気をつけて頑張って欲しいです。
最後に、北島康介選手、長い間お疲れ様でした。
(*^_^*)