羽生選手のファンになったのは、2012年の世界選手権からです。


2016032108430000.jpg


羽生くんのフリーを見て衝撃を受け、以来何度も何度も繰り返し、数百回も見続けてもまだ見飽きずに見ると言う日々が続きました。


そうするうちに、この映像の何がそうさせるのか、何が他の試合と違うのかが気になり始めました。



ここが好きここが良かったと思うけれど、そうではなくて、何か要素のようなもの、感動する条件のようなものが存在するのでは、と思ったのです。


羽生くんが、「理論的な話になるけどジャンプは『スピード×カーブ×遠心力』で跳べるかどうかが決まる」と言っていました。


また、試合前のメンタルコントロールの技術として、自分がこうなったらこうする、という対処法を備えているとも言っています。



そんな風に、感動というものもこういう条件が揃うとこう感じる、というようなものがあるのではないかと思って、「ニースのロミオ」について考えてみました。

あくまでも私がどう感じたかの自己分析ですから、誰もには当てはまらないものですけれども。




・4つの要素

①カメラワーク
ニースのロミオが他と違う要素の1つはカメラワークの優秀さです。

途中、羽生くんが崩れるように転倒しますが、そこでさえまるで、そこで転ぶのが分かっていたかのように正面から捉えられています。

全ての場面を的確な角度と距離から撮している、だからこそ観ている人がそれを見ることが可能だと言うこと。

映像においてのフィギュアスケートにとって、カメラワークの悪さは致命的です。
その点でニースはこれ以上ない程優れていて、映像スタッフの技術と感性が素晴らしい、ここがまず1つ目と思います。



②羽生くんの姿
人間の脳は美を肯定する、という一文を読んだ時、ああ成る程と思いました。

あの日の羽生くんは、神秘的な感じがするほど美しくて、その美を脳は肯定する=魅了されるということです。

この②の要素が分かっているようで分かっていない所として、最後までもやもやとしていた部分でした。



③ギャップ
羽生くんは、まだ幼く見えました。
その少年が途中何でもないところでバーンっと倒れる訳です。
思わず大丈夫っ?という気持ちと、守りたい励ましたいという保護欲のようなものが生まれました。

その、次の瞬間、その少年が見事な宙を切り裂くような3回転アクセル+3トゥーループのコンビネーションジャンプを決めて心をわしづかみにされました。

この思いもよらない展開によるギャップ、その驚きからくる感動が3つ目。



④プログラムとの融合
17歳の羽生くんはこの「ロミオとジュリエット」の演目にぴったりで、特にこの時の儚く、同時に激しい演技はプログラムが進むにつれ羽生くんがロミオそのものに見えて行く。

フィギュアスケートを超えて、舞台劇を観ているようなドラマ性と芸術性は観ている人を魅了しました。
これが4つ目。



この4つがニースの要素になっている気がします。




その後、羽生くんはロミオとジュリエットをエキシビションで再演した時「あれは僕にとっても伝説です。再現しようとしたけど、出来なかった」と言っています。


私は、今考えて要素が違っているように思います。だから違う感じになるのだろうと思います。


では「ニースのロミオ式の感動」は再現出来ないのかと言うと、私は2014年の中国杯がかなり近かったと思っています。


あの衝突事故で、眠れないほど心配しましたが、でも見たあと、これってニースのロミオに感じが似ている…会場の観客の雰囲気も…と思いました。



そこで中国杯の要素も考えてみました。


①カメラワーク
衝突事故の瞬間もカメラがずっと羽生くんを追っている最中に起こり、他の部分も的確に捉えていてかなり良かったと言えます。



②羽生くんの姿
血を流し、バンデージを巻いた姿は異様ではあったけれど、目が離せないほど美しかったのです。

このような場合に、そう思う事に戸惑った程でした。



③ギャップ
衝突事故の、あのような満身創痍の状態から、フリーに出て、5度も転倒しながらも完遂するという凄さ。
その心の強さには、前からそれを知るファンとしてもまた改めて凄い人だと思いました。



④プログラムとの融合
羽生くんが演じた「オペラ座の怪人」で、最もオペラ座の世界感を表現していたと言うと、中国杯だったと思うのです。

仮面を外すシーンで羽生くんが微笑った時の、ゾッとするような美しさ。
オペラ座の地下宮殿に誘う、羽生くんバージョンの背徳的な美を持つファントムに、いつしか事故による転倒すら気にならないほど魅了されました。



カメラワーク×羽生くん×ギャップ×曲との融合。



17歳の羽生くん×ロミオ、19歳の羽生くん×ファントムで起こる感動。



要素が似ているから2つの映像を見た時の心の反応が似ていたと思うのです。


そして他の試合の時は、この要素のうちどれかが違っていて、その場合は別の答えが導き出されます。


例えば、2015年のNHK杯のように、完全試合×20歳の晴明で陰陽師の魔術的な感動が場を制したように。



ニースは転倒以外に、フリーの前に棄権を考えるほどの右足首の怪我を負っていてそこを隠しての出場でした。


共に、怪我というリスクからの挑戦、達成という要素が入っているため、何度もあって良い事ではありません。


その稀な、感動の演技を、余すことなく映像に撮してフィギュアスケート史に残してくれた事を本当に感謝したいと思います。




そして、私が最後までもやもやとしていた羽生くんの姿から受ける感動の部分。


それは容姿の美しさからくるものだけではない、と思いました。


それは半分だけで、あとは表情だとか仕草だとか、性格、知性、信念、経験、心情と言った内側から来るものが影響しています。


ニースの世界選手権は、震災の1年後です。


その1年の間に羽生くんは、ものすごく内面的に成長します。


スケートを続けていいのか考えた事、スケートが自分のやるべき事と気付いた事、それでも被災地を背負う事に戸惑った日々、被災者を勇気付けようと思っていて逆に支えられていたと気付いた時。


そして初めての世界選手権で台乗り出来なくても、入賞してエキシビションに出て「僕たちはもう前を向いている」と世界に伝えたいと言う考えがあったこと。

そのような内面の思いが羽生くんの表に溢れ出ていて、だからこそあんなにもひたむきな表情が胸に迫って美しく、何度も何度も繰り返し観ても人を魅了するのでしょう。




17歳のロミオの衝撃を、私は忘れないし、羽生選手と同じ時代を生きているって、それだけで凄い幸せだなあ、と思っています。
(*´∀`*)



大変長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。

ニースのロミオを語ればなんか違う事になる、とは痛感しています。
(;´Д`)ノ


2016032108470001.jpg

(羽生くんの思いが溢れるこの目にやられました!)