羽生くんの小学校時代の話や、高校時代の練習時間の話などが入った番組をご紹介します。
(*´∀`*)
何事にも一生懸命な羽生くんの姿が分かります。
【2013/12/11放送 グッド!モーニング】より

ナレーション
一躍ソチオリンピックの金メダル候補に踊り出ました羽生選手の、知られざる一面に迫りました。

GPファイナル初優勝を果たした、羽生結弦19歳。
完成度の高い演技は、どこから来るのか原点を訪ねました。
彼が4歳から去年まで利用していたリンク。
支配人は羽生のひたむきな姿が、鮮明に印象に残っていると言います。

(アイスリンク仙台・支配人 在家さん)
在「早ければ6時台と言う時間帯から、深夜ですとやっぱり大体12時から1時前後、深夜」


在「かなり時間的には、厳しい時間での練習はなさってました」

学校に行く前の早朝、そして深夜に練習を重ねていたと言います。
そこにはスケートリンクの、こんな事情があったと言うことなんですね。


在「通常のいい時間帯(9時~23時)って言うのはやっぱり、あの、地元の団体さんの方が年間でご予約を頂いてますので…」

在「個人的に貸し切りを取るとなると、早朝もしくは深夜と言う形になってしまいますんで」

在「いい時間帯を提供できなくてごめんねって話をして」

在「いえ、全然問題ないですって言う会話は交わしてましたけども」

(アイスリンク仙台2010年・当時15歳)
ナレーション
こちらは3年前の映像。GPシリーズ直前にジャンプの調整を念入りに行っていました。
(♪曲はホワイト・レジェンドが掛かっています)




そして、ひたむきな姿は学校でも目撃されていました

(小学校5・6年の担任、角張先生)
角「やっぱり、練習のために、あの、みんなよりも早く帰んなくちゃいけないってのことがあって。
どうしても掃除ができないって事があったんです」

角「みんなには申し訳ないって言って…」

角「でも、その、掃除ができる時には、その分を取り返そうと言う事で、人よりも一生懸命やってたんですね」

(2013年12月GPファイナル優勝後・19歳)
羽「どんな状況でも全力を出すって言うのは、僕の、スポーツとして、スケート…スケーターとしての流儀だなって思ってます」

羽「なんだろ…出来ることを出し惜しみしていてやってたら、つまんないじゃないですか」

羽「それをやったら僕ではないんですよ」

羽「それは多分‘一生懸命’ではないんですよ」

ナレーション
スケートだけではなく、幼い時からの、一生懸命の積み重ねが、今の羽生結弦を作り上げていたんです。

羽「一生懸命、一生懸命やってきて」

羽「で、どんどんどんどん」

羽「成績をちゃんと積み上げて行けば、最終的にはオリンピックに行ける」

羽「それを叶えるために、じゃあ今何をすべきなのかって言うのを、いつも忘れずに」

羽「オリンピックまであと少しになってきてるんで、1分1秒を大切にして行きたいなって思ってます」
☆☆☆☆☆☆
明日は3月11日です。
でも今日、3月10日も羽生くんが震災を知らず、スケートだけを考えていた最後の日として大事だなって思います。
5年前の今日、今日までのスケート人生を羽生くんが半端に生きなかったから、その後もスケートを続けて行けたのだし、スケートが彼を支える存在意義になったのですよね。
どんな事も一生懸命に、例え直ぐに結果が出なくても諦めずに続けて行く事の大切さ。
羽生結弦選手のファンになって4年、たくさんの事をそんな彼の姿から学びました。
日頃、ちょっとしたことで落ち込んでしまう私だけど、そんな時は、彼がなかなか結果に結びつかない4サルコウを2年間飛び続けた姿を思ったりして、頑張るお手本にしています。
o(^-^)o
(*´∀`*)
何事にも一生懸命な羽生くんの姿が分かります。
【2013/12/11放送 グッド!モーニング】より

ナレーション
一躍ソチオリンピックの金メダル候補に踊り出ました羽生選手の、知られざる一面に迫りました。

GPファイナル初優勝を果たした、羽生結弦19歳。
完成度の高い演技は、どこから来るのか原点を訪ねました。
彼が4歳から去年まで利用していたリンク。
支配人は羽生のひたむきな姿が、鮮明に印象に残っていると言います。

(アイスリンク仙台・支配人 在家さん)
在「早ければ6時台と言う時間帯から、深夜ですとやっぱり大体12時から1時前後、深夜」


在「かなり時間的には、厳しい時間での練習はなさってました」

学校に行く前の早朝、そして深夜に練習を重ねていたと言います。
そこにはスケートリンクの、こんな事情があったと言うことなんですね。


在「通常のいい時間帯(9時~23時)って言うのはやっぱり、あの、地元の団体さんの方が年間でご予約を頂いてますので…」

在「個人的に貸し切りを取るとなると、早朝もしくは深夜と言う形になってしまいますんで」

在「いい時間帯を提供できなくてごめんねって話をして」

在「いえ、全然問題ないですって言う会話は交わしてましたけども」

(アイスリンク仙台2010年・当時15歳)
ナレーション
こちらは3年前の映像。GPシリーズ直前にジャンプの調整を念入りに行っていました。
(♪曲はホワイト・レジェンドが掛かっています)




そして、ひたむきな姿は学校でも目撃されていました

(小学校5・6年の担任、角張先生)
角「やっぱり、練習のために、あの、みんなよりも早く帰んなくちゃいけないってのことがあって。
どうしても掃除ができないって事があったんです」

角「みんなには申し訳ないって言って…」

角「でも、その、掃除ができる時には、その分を取り返そうと言う事で、人よりも一生懸命やってたんですね」

(2013年12月GPファイナル優勝後・19歳)
羽「どんな状況でも全力を出すって言うのは、僕の、スポーツとして、スケート…スケーターとしての流儀だなって思ってます」

羽「なんだろ…出来ることを出し惜しみしていてやってたら、つまんないじゃないですか」

羽「それをやったら僕ではないんですよ」

羽「それは多分‘一生懸命’ではないんですよ」

ナレーション
スケートだけではなく、幼い時からの、一生懸命の積み重ねが、今の羽生結弦を作り上げていたんです。

羽「一生懸命、一生懸命やってきて」

羽「で、どんどんどんどん」

羽「成績をちゃんと積み上げて行けば、最終的にはオリンピックに行ける」

羽「それを叶えるために、じゃあ今何をすべきなのかって言うのを、いつも忘れずに」

羽「オリンピックまであと少しになってきてるんで、1分1秒を大切にして行きたいなって思ってます」
☆☆☆☆☆☆
明日は3月11日です。
でも今日、3月10日も羽生くんが震災を知らず、スケートだけを考えていた最後の日として大事だなって思います。
5年前の今日、今日までのスケート人生を羽生くんが半端に生きなかったから、その後もスケートを続けて行けたのだし、スケートが彼を支える存在意義になったのですよね。
どんな事も一生懸命に、例え直ぐに結果が出なくても諦めずに続けて行く事の大切さ。
羽生結弦選手のファンになって4年、たくさんの事をそんな彼の姿から学びました。
日頃、ちょっとしたことで落ち込んでしまう私だけど、そんな時は、彼がなかなか結果に結びつかない4サルコウを2年間飛び続けた姿を思ったりして、頑張るお手本にしています。
o(^-^)o