昨日のeveryに羽生くんが出ると聞いて楽しみにしていましたが、うちは地域格差の壁に阻まれました。
つД`)・゚・。・゚゚・*:。ウゥ
なのでアップして頂いている動画から、羽生くんの言葉を書き起こして記録しておきます。
他の番組にもある部分は一部省略します。
http://www.dailymotion.com/video/x3wavgr
写真はyuzupinoさんの動画 2016 0307“被災地訪問”続けるワケ 21歳の覚悟よりお借りしました。
【2016/3/7放送 news every】より
ナレーション
今年1月。羽生結弦選手はあの場所へと向かいました。
宮城県仙台市の学校。東日本大震災の夜、羽生選手が家族と避難した場所です。

羽「親とかお姉ちゃんが、その、ポリタンクとか持って。ここにずーっと並んで。みんなでうわーって並ぶんですよ。」
五年前、この学校には多くの人が避難していました。当時の記憶がよみがえります。

羽「星はきれいでした。震災の日。3月11日の星空って」

羽「真っ暗だったから、ほんっとに星きれいで。うーん・・星きれいだったな・・」

羽「昔の人って、こういう星を見ていたんだろうなって」

(震災の日の星空)
震災直後、仙台市で撮影された写真です。満点の星空。停電で町の灯りは消えていました。
羽「なんかすごい巡ってきますね。いろんな思い」
(体育館に移動。避難所が再現されている)
家族と寝泊まりした体育館。

(援助物資を見て)
羽「バナナねえ…そうかそうか。カイロあったね」
(体育館にいた時の話、ワカメごはんの話など、「教科書で学べない災害」と同じ部分省略します)

羽「僕が生まれてきて、僕の記憶の中では、僕の経験の中ではこれが一番苦しいものだったし」
(震災の日の映像)
ナレーション
よみがえる五年前の思い。あの日、羽生選手は仙台市のスケートリンクで被災。自宅は全壊と判定されました。
これは震災10か月後(2012年1月)、避難先(体育館)を訪れた時の映像です。

(当時17歳)
羽「ここで寝て、ずーっと天井見ながら日本どうなるんだろう、だとか。本当にまた同じようにみんな住めるのかなって事を考えていたっていうのありますね。不安でした。本当不安でした」
羽「スケートのこと…考えていたと思いますね。やっぱりスケートやりたいなって思いはありましたし。
だけど、それを口から出せるか、自分の口から出せるかって言ったら絶対出せなかったし。自分だけそんな好きな事ばっかりやっちゃだめだと思ったし」
しかし羽生選手は将来を期待されていたため、震災の2週間後には練習を再開。その幸運に苦しみました。
羽「被災地にまだいる人たちに対して、本当に申し訳ないなって思いました。自分のスケートのために自分だけが逃れてて。
逃れてて本当にいいのかなっていうような感じでした」

震災から3年後、ソチオリンピックで金メダルを獲得。
栄光の陰で心に痛みを抱えていました。
羽「僕ひとりが頑張ったって、復興に直接手助けになるわけではないので。すごい、すごい無力感っていうか、何も出来ていないんだなあって感じもちょっとします」
メダリストになっても感じる無力感。

2014年6月。ソチオリンピックの4か月後。
その思いを抱いたまま宮城県石巻市を訪れました。地元の中学校を尋ねると…。
生徒たち「きゃー!」
(≧▼≦)
同じ東北出身で震災を経験した、羽生選手の金メダルは、地元の多くの人々に笑顔をもたらしました。
羽「こんなにも自分の演技で、自分の結果で元気になってくれる方がいるっていうのを。自分のスケートが、こんなにも人のためになっているんだなっていうのを改めて気づけたので。
またいい結果を持ってこられるようにしたいなって思いました」
その一方で津波の恐ろしさも知りました。

(出会ったお年寄りに、家や家族が津波に流された話を聞く。この部分は24時間テレビにあった部分。省略します)

(2015年6月。福島県の避難所訪問。この部分も24時間テレビで放送。省略します)

2016年1月仙台空港周辺を訪れました。近くに設置された津波の慰霊塔は高さ8メートル。この辺りを襲った津波と同じ高さです。
羽「これってこの高さであっちからくるんですよね。で、秒速何十メートルって速さで来るんですよね」

(鐘をならし、祈る羽生選手)

(仙台空港近くに震災遺構として残された民家を訪ねる羽生くん。「教科書」と同じ部分省略します)
ナレーション
震災から5年。
積み重ねてきた思い、震災直後に感じた恐怖、金メダルとともに抱いた無力感。
ふるさと東北のために、自分には何ができるのか。
21歳、羽生選手の今の思い。
羽「直接被災地に足を運んだりとか、被災した方々の声を聞けたりとか。そこで絶対言われることは、どんな方であっても「力になったよ」という言葉と、「前を向けるよ」という言葉と」
羽「自分のためにスケートをして、それを見て皆さんが何か思ってくれるとか、元気になってくれるとか、これほど幸せなことってないなって思います」
羽「毎日の練習大切にして、その練習のために毎日の生活を大切にして、ひとつひとつやって行ったら、僕はそれが結果として、被災地の、または被災した方々のためになれると思っているので、また、心を入れ替えて一生懸命頑張らなきゃなって思ってます」

羽「僕たちは生きている人間だからこそ、命全うして、その、亡くなった方々、またはもっと今つらい思いをしている方々に対して、胸張って生きれるような生き方をしなきゃいけないなって強く思っています」
☆☆☆☆☆☆
地域格差つらいわ~(´Д⊂ヽウェェェン
どうして、日本の宝の言葉を全国津々浦々に流して貰えないのでしょうか。
エブリィ様は羽生くんのとても良い番組を作って下さるので、あとそこだけ、今後改善して欲しいです(;∀;)
つД`)・゚・。・゚゚・*:。ウゥ
なのでアップして頂いている動画から、羽生くんの言葉を書き起こして記録しておきます。
他の番組にもある部分は一部省略します。
http://www.dailymotion.com/video/x3wavgr
写真はyuzupinoさんの動画 2016 0307“被災地訪問”続けるワケ 21歳の覚悟よりお借りしました。
【2016/3/7放送 news every】より
ナレーション
今年1月。羽生結弦選手はあの場所へと向かいました。
宮城県仙台市の学校。東日本大震災の夜、羽生選手が家族と避難した場所です。

羽「親とかお姉ちゃんが、その、ポリタンクとか持って。ここにずーっと並んで。みんなでうわーって並ぶんですよ。」
五年前、この学校には多くの人が避難していました。当時の記憶がよみがえります。

羽「星はきれいでした。震災の日。3月11日の星空って」

羽「真っ暗だったから、ほんっとに星きれいで。うーん・・星きれいだったな・・」

羽「昔の人って、こういう星を見ていたんだろうなって」

(震災の日の星空)
震災直後、仙台市で撮影された写真です。満点の星空。停電で町の灯りは消えていました。
羽「なんかすごい巡ってきますね。いろんな思い」
(体育館に移動。避難所が再現されている)
家族と寝泊まりした体育館。

(援助物資を見て)
羽「バナナねえ…そうかそうか。カイロあったね」
(体育館にいた時の話、ワカメごはんの話など、「教科書で学べない災害」と同じ部分省略します)

羽「僕が生まれてきて、僕の記憶の中では、僕の経験の中ではこれが一番苦しいものだったし」
(震災の日の映像)
ナレーション
よみがえる五年前の思い。あの日、羽生選手は仙台市のスケートリンクで被災。自宅は全壊と判定されました。
これは震災10か月後(2012年1月)、避難先(体育館)を訪れた時の映像です。

(当時17歳)
羽「ここで寝て、ずーっと天井見ながら日本どうなるんだろう、だとか。本当にまた同じようにみんな住めるのかなって事を考えていたっていうのありますね。不安でした。本当不安でした」
羽「スケートのこと…考えていたと思いますね。やっぱりスケートやりたいなって思いはありましたし。
だけど、それを口から出せるか、自分の口から出せるかって言ったら絶対出せなかったし。自分だけそんな好きな事ばっかりやっちゃだめだと思ったし」
しかし羽生選手は将来を期待されていたため、震災の2週間後には練習を再開。その幸運に苦しみました。
羽「被災地にまだいる人たちに対して、本当に申し訳ないなって思いました。自分のスケートのために自分だけが逃れてて。
逃れてて本当にいいのかなっていうような感じでした」

震災から3年後、ソチオリンピックで金メダルを獲得。
栄光の陰で心に痛みを抱えていました。
羽「僕ひとりが頑張ったって、復興に直接手助けになるわけではないので。すごい、すごい無力感っていうか、何も出来ていないんだなあって感じもちょっとします」
メダリストになっても感じる無力感。

2014年6月。ソチオリンピックの4か月後。
その思いを抱いたまま宮城県石巻市を訪れました。地元の中学校を尋ねると…。
生徒たち「きゃー!」
(≧▼≦)
同じ東北出身で震災を経験した、羽生選手の金メダルは、地元の多くの人々に笑顔をもたらしました。
羽「こんなにも自分の演技で、自分の結果で元気になってくれる方がいるっていうのを。自分のスケートが、こんなにも人のためになっているんだなっていうのを改めて気づけたので。
またいい結果を持ってこられるようにしたいなって思いました」
その一方で津波の恐ろしさも知りました。

(出会ったお年寄りに、家や家族が津波に流された話を聞く。この部分は24時間テレビにあった部分。省略します)

(2015年6月。福島県の避難所訪問。この部分も24時間テレビで放送。省略します)

2016年1月仙台空港周辺を訪れました。近くに設置された津波の慰霊塔は高さ8メートル。この辺りを襲った津波と同じ高さです。
羽「これってこの高さであっちからくるんですよね。で、秒速何十メートルって速さで来るんですよね」

(鐘をならし、祈る羽生選手)

(仙台空港近くに震災遺構として残された民家を訪ねる羽生くん。「教科書」と同じ部分省略します)
ナレーション
震災から5年。
積み重ねてきた思い、震災直後に感じた恐怖、金メダルとともに抱いた無力感。
ふるさと東北のために、自分には何ができるのか。
21歳、羽生選手の今の思い。
羽「直接被災地に足を運んだりとか、被災した方々の声を聞けたりとか。そこで絶対言われることは、どんな方であっても「力になったよ」という言葉と、「前を向けるよ」という言葉と」
羽「自分のためにスケートをして、それを見て皆さんが何か思ってくれるとか、元気になってくれるとか、これほど幸せなことってないなって思います」
羽「毎日の練習大切にして、その練習のために毎日の生活を大切にして、ひとつひとつやって行ったら、僕はそれが結果として、被災地の、または被災した方々のためになれると思っているので、また、心を入れ替えて一生懸命頑張らなきゃなって思ってます」

羽「僕たちは生きている人間だからこそ、命全うして、その、亡くなった方々、またはもっと今つらい思いをしている方々に対して、胸張って生きれるような生き方をしなきゃいけないなって強く思っています」
☆☆☆☆☆☆
地域格差つらいわ~(´Д⊂ヽウェェェン
どうして、日本の宝の言葉を全国津々浦々に流して貰えないのでしょうか。
エブリィ様は羽生くんのとても良い番組を作って下さるので、あとそこだけ、今後改善して欲しいです(;∀;)