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『F+α荒川静香×羽生結弦④』

で、荒川さんが言ってた、小学生の羽生くんが「僕、イナバウアーできます!」て言ったスケート教室。


録画を見ていて、その場面が入った番組を見つけましたのでご紹介します。
(*´∀`*)


【2013/12/30放送 日本テレビ開局60年特別番組 世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史】より


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ナレーション
羽生結弦19歳。
武器は2種類の4回転ジャンプ。超高難度の構成で今年12月のグランプリファイナルで優勝。

更に全日本選手権でも優勝。ソチオリンピックの金メダル候補に踊り出た。


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そんな羽生は子供のころ、スケートをやめるかもしれない状況に追い込まれていた。


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(2004年 当時9歳)
羽生は全日本選手権の9歳から11歳の部門で優勝。

仙台の天才少年の将来に期待が集まった。

その僅か1ヶ月後。衝撃的な出来事が。


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練習していたリンクが財政難で閉鎖されたのだ。

その知らせを聞いて号泣。リンクは羽生にとってかけがえのない場所。


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(19歳)
羽「スケートをやめなきゃいけないのかなって」


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羽「ものすごく辛かったですし」


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羽「このあと、どうしたらいいんだろうって言う思いが凄くありました」


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しかし奇跡が起きる。

2006年のトリノオリンピック。
イナバウアーで世界を魅了した荒川静香。日本人初の金メダルに輝いた。

直後の会見。荒川は世界のメディアの前でこんな言葉を口にした。

「私が基礎を作り上げてきたリンクは閉鎖されてしまいまして、小さい子たちが練習場所を探すのに非常に困っている状況…」

実は荒川は羽生と同じ仙台育ち。羽生と同じあのスケートリンクで練習していた。

金メダリストの訴えは一気に事態を動かした。
宮城県と仙台市は合わせて1億円の支援に乗りだし、2007年に再開された。


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その1ヶ月後、再開されたリンクで、金メダリスト荒川が、スケート教室を開いた。

なんとそこには、当時12歳の羽生の姿が…。


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(羽生結弦 当時12歳)

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(オリンピック出る気まんまんになった羽生くん)

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羽生は荒川の前で得意技を披露して見せた。


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それはあの技。

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背中を大きく反らしたイナバウアー。


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2012年、当時17歳の羽生は世界選手権で銅メダルを獲得。
実はその時もイナバウアー

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男子のトップ選手で、このイナバウアーをやるのは羽生以外にはいない。


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来年2月ソチオリンピックでも、あのイナバウアーをやる予定だ。


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荒川への恩返しは一つ。


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羽「東北には今、通年のリンクが1つしかなくて」


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羽「なんとか、金メダルだとか、良い成績をおさめて」

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羽「支援が出来るようになりたいなって本当に思ってます」



   ☆☆☆☆☆☆



荒川さんが話していた場面もちゃんと動画で残っていましたね。


羽生くんの小さい頃からの様々な大事な場面が、映像で残されているのはファンにとっても嬉しいですね。
(*´∀`*)


特に高校生になって以降の映像が、こんなに残されている人も珍しいのじゃないでしょうか。


ほぼ自分のみの雑誌も大量にあって、羽生くんの人生の中でも宝物になるでしょうね。
(*^^*)