ボテンベ氏によれば、キンシャサの街の起源は、キンシャサの東部、ンジリ国際空港より更に東にいったンセレという地区にあるキンポコという村らしい。

1867年というからちょうど明治維新の頃、コンゴ・ブラザビル側から渡ってきた男によって興された。キンポコという名前も、白鷺(ここの言葉で、一羽ではマンポといい、複数になるとキンポという。)のようにコンゴ・ブラザビルの方からやってきたその男にちなんで付けられたということだ。

ちなみに、今でも白鷺がブラザビルとキンシャサの間にあるコンゴ川の上を往来するのを見ることができる。


現在、その男(名前を教えてもらったが失念した。)が住んだ家の跡地には椰子の木が立っている。モブツ時代に建てられたパイナップルジュース工場(今は廃屋)のすぐ奥だ。


一本高いのがその椰子の木


その男は、椰子の木のすぐ近くにある大きなバオバブの木のある場所に埋葬された。

その昔コンゴ人は、重要な人物が亡くなると彼(又は彼女)を土葬し、その上に植樹をする習慣があったそうだ。

立派なバオバブの木。この下にキンシャサのルーツが眠る


ちょうど時期なのか咲いていたバオバブの花。直径30cmくらいありそう



さらにその近くのもう一本のバオバブは、ベルギーの植民地政策に抵抗し、ベルギー人入植者に鞭で打たれて死んだ男を埋葬し、その上に植樹されたもの。



これらはコンゴの歴史を語る上で非常に重要な史跡といえるが、そこには碑文すら置かれていない。

現在その辺りは、90年代の内戦の際に戦火を逃れてきた避難民が移り住んだ地区になっており、掘建て小屋が並んでいるだけだ。


椰子の木から見たコンゴ川の景色




そこから程近いところにある、キンポコ村の中心にいるという長老を訪ねた。


村の中心にあるキンポコ村の小学校の教室


横にある低学年生用の教室。中に入ると案外明るくて涼しい

村の広場の大きな木の下で待っていると、長老が現れた。
この女性こそ、このキンポコの村を興した男の末裔なのだそうだ。彼女は、いまでもこうして村長(むらおさ)としてその土地の人々に敬われ、大切にされている。


村長のしるしは赤い服と蠅追いの羽ぼうき

村の諸問題はすべて、この木の下で、村長を囲んで話し合われるそうだ。
アフリカの社会は、日本人が忘れようとしている大切なものを今でも大事にしているようなところがあると思う。(M)