コンゴ川は、アマゾン川に次いで世界第二の水量を誇る川である。

川は最初は南半球から一度北上して北半球に入り、そこから大きく時計と反対周りに弧を描いてキンシャサに向けて南下し、そのまま大西洋に向けて西に向かう。南半球―北半球―南半球と流れるために、南半球が乾季のときは北半球が雨季、北半球が乾季のときは南半球が雨季となり、季節による水の量の変化が少ない、一年中一定の水量を湛えた川である。

1970年代、当時の大統領モブツが自分の気に入らない人間を殺害した後に、死体を大きな石と一緒に麻袋に入れて流した(沈めた?)といわれているのはこの川である。
また、1997年5月、モブツを追討するためにローラン・デジレ・カビラ(今の大統領の父親)が東部から下ってきたのも、この川である。
そして、2006年3月のカビラ大統領警護隊とベンバ元副大統領の私兵の間で銃撃戦が発生したとき、数百の死体が投げ込まれたといわれるのもこの川である。

キンシャサから見たブラザビル

たまに日本人バックパッカーがコンゴ川上流の都市キサンガニからキンシャサまでの約1700km・3~4週間の航路を、旅の一つのクライマックスと位置付けてやってくる。その筋の人には知られた川下りである。

この船のことはNHKでも特集されたことがあり、私と妻も日本にいるときに見た。
見た直後に、”コンゴにだけは行きたくない”と妻が思わず漏らしたことは、今となっては忘れられない思い出だ(これぞ、逆?言霊。)。

ブラザビルから見たキンシャサ

しかし、川下り経験者の話を聞くと、この船の乗客のコンゴ人は相互扶助の精神に溢れており、「あんたは日本人のくせに汚い服を着ているな」といっておばさんが石鹸でごしごし服を洗濯してくれたり、持っているバナナなどの食べ物を分けてくれたりと、とっても親切なようだ。

でも、止まる港の先々で、外国人と見るや港湾警察や港湾職員がやってきてなんやかんやと理由をつけてお金を巻き上げようとするので、キンシャサに着く頃にはほとんど手持ちの現金がなくなってしまう。そして、川下りをしてきた人の多くは、終着の街キンシャサの物価がものすごく高いことに驚き、かつ、人々が金の亡者であることに失望するようだ。
中には気の毒なことに、船の中での夜の雑魚寝の最中にハマダラ蚊に刺されて、マラリアを発病する人もいる。

キンシャサの夕日

しかし、バックパッカーの方々にとっては、こうしたハプニングは勲章のようなもので、そのときは大変でも、後になれば「俺はこんな面白い経験をしたぜ、どうだ、参ったか。」・・・てな具合に格好の武勇伝、自慢の種になってしまったりする。

こういう武勇伝を読んだりすることはそれはそれで楽しいことだが、これだけでは、日本人にとってコンゴはいつまでたっても”冒険好きバックパッカーの楽園”の地位にとどまってしまう。旅行者や冒険者でなく、ここに住んでいる者の視点でコンゴを語ることも、この国のことを理解してもらうためには必要であろう。

ということで、このブログが単なる我々夫婦の暇つぶし以上のものになってくれたらいいな、最近そんな期待を抱き始めている。(M)