聖天山の次は東照宮です。

徳川氏発祥の地???
でも、ここ、群馬県の太田市ですよ!?
で、調べてみましたが。
徳川の祖と言えば、松平氏と思いがちですが。
実は、その松平氏、新田氏の分家から派生したと言う。。。
詳しくは、世良田東照宮のHPより引用。
徳川家康公の先祖は、新田氏の始祖である義重から新田荘の内、当地「世良田」 他5カ郷を
譲り受けた子の義季である。義季は5カ郷内にある利根川沿いの押切を徳川と改称し、
徳川義季と称した。
承久3年(1221)世良田郷を開発した義季は臨済宗長楽寺を開基し、世良田の義季とも称された。
寛元4年(1246)頃、亡くなり同寺境内に葬られた。
その後、頼氏・教氏・家時・満義と後継。
次の政義・親季・有親は、南北朝時代に南朝方として活躍したが、9代目の親氏に至り北朝の
猛勢により徳川郷を追われ同志 や一族の居所を頼りに出国。
諸国を流浪の後、松平郷に身をよせ郷主在原信重に入婿し、松平親氏と称した。
それから7代を経て家康公は誕生した。
家康公は三河一国を統一した25歳の時、松平姓から 徳川・世良田を開発した徳川義季に
あやかり、徳川に復姓した。
また松平家二代泰親は世良田三河守、同三代信光は世良田二郎三郎、同七代清康は
また松平家二代泰親は世良田三河守、同三代信光は世良田二郎三郎、同七代清康は
世良田次郎三郎、家康公第四子忠吉は世良田下野守、尾張家三代綱誠は元服時に世良田、
徳川七代将軍家継は幼名時に世良田鍋松君と先祖の姓である世良田を称していた。
ですって。
まぁ、発祥の地の話は置いておいて。


聖天山に続き、ここも縁結び?

この手のものは、ついつい顔を出したくなりますが。
こちらは下に台があったので、多分子供用と思われ。。。
さらに蜘蛛の巣まで張ってたので断念。
オット曰く、「どうせブログで顔隠すでしょ」
ごもっともです(笑)






東照宮と言えば、朱色ですが、こちらも完全に朱色です。
ちなみに、東照宮、全国津々浦々たくさんありますが。
やはり三大東照宮と言う呼び方もあるようで。
それがこの世良田とも言われているそうです。
が。
ここは他にも説があるそうで。
みんみん的には、地元・仙波を推したいとこですが。
仙波は喜多院の一角にある小さな東照宮なんですよね。
まぁ、ご遺体が一度でもいた場所ではあるので、三大に入ってもよさそうですが。
一番“ナイ”のが世良田なのではないかと。。。
なにせ、徳川家康のかなり遠い祖先の地と言うだけなので。
数ある東照宮のなかで三大に入るからには、もっと家康公との縁が深くなきゃね。
世良田東照宮
〒370-0426
群馬県太田市世良田町3119-1
TEL : 0276-52-2045



























