行くぜ、東北。金鶏山千手堂&高館義経堂 | みんみんの徒然日記
 
 
 
  
観自在王院の次は、すぐ近くの金鶏山へ向かいます。
 
 
 
金鶏山と言えば。。。
 
 
 
 
三代の栄耀(えよう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。
秀衡(ひでひら)が跡は田野に成て、金鶏山 のみ形を残す。
 
 
 
『奥の細道』のこの部分ですね。
 
 
 
こちらが登山道の入り口です。
 
 
 
 
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もちろん、登りません(笑)
 
 
 
だって、お目当てはこちらですから。
 
 
 
 
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千手堂です。
 
 
 
手堂内に安置している諸仏は、、御本尊先手観音、辨財天尊(十六童子)、藤原三将軍の御位牌、
 
 
 
藤原秀衡公木像、愛染明王像、不動明王像、道祖神です。
 
 
 
見れなかったけど。
 
 
 
そして、金鶏山の入り口のところには、源義経妻子のお墓があります。
 
 
 
 
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源義経の妻妾と言えば、静御前が有名ですが、正室は河越重頼の娘です。
 
 
 
以前、河越氏の館跡のところでも書きましたが、この女性、義経が奥州に逃れる時に、
 
 
 
父の反対を押し切って、小さな子供とともに、着いて行っちゃうんです。
 
 
 
義経の最期は有名ですが、義経はいよいよダメか~となった時に、この妻子を殺してしまうんですね。
 
 
 
今で言う、無理心中です。
 
 
 
川越に供養塔がありましたが、墓所は遠く離れた岩手だったんですね。。。
 
 
 
 
金鶏山を後にして向かったのは、高館義経堂です。
 
 
 
 
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またもや、石段。
 
 
 
 
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そして、また石段(笑)
 
 
 
 
ここは衣川館と言って、奥州で藤原氏から義経の館として提供されていた場所です。
 
 
 
 
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そして、『奥の細道』のこの部分です。
 
 
 
先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。
衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。
泰衡(やすひら)らが旧跡は、衣が関を隔てて、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。
偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、巧妙一時の叢となる。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
 
 
 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
 
 
 
こちらが句碑です。
 
 
 
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そして、こちらが 北上川南部より流るるゝ大河 です。 (多分)
 
 
 
 
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こちらが経堂です。
 
 
 
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経堂を出た後は、今回の旅行のメイン、中尊寺へ。
 
 
 
いつもだったら、車移動ですが、多分混んでるだろうと思って、経堂から歩いて向かいました。
 
 
 
中尊寺の近くはやっぱり激混み。
 
 
 
歩いてきて良かった~。
 
 
 
中尊寺の手前には、武蔵坊弁慶の墓所があります。
 
 
 
 
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弁慶と言えば、言わずもがな、超有名人ですが、歌舞伎の「勧進帳」なんてのもありますね。
 
 
 
その他にもいろいろ逸話のある人物ですが、どこまで史実なのかハッキリしない人物です。
 
 
 
でも、最期は義経の為に戦った、と言うのは、真実でしょう。
 
 
 
松尾芭蕉の、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
 
 
 
これはきっと、弁慶のことなんでしょうね。
 
 
 
と、ちょっと芭蕉よろしく、昔のことに思いを馳せてみました。
 
 
 
 
 
  金鶏山
  〒029-4102
  岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内
 
  高館義経堂(衣川館)
  〒029-4102
  岩手県平泉町平泉字柳御所14
  TEL : 0191-46-3300
  
  
 
  毛越寺のHPは  です
 
 
  平泉観光協会のHPは  です
 
  
 
 
 
 
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