こんばんは。
塾の先生がこんなことを言いました。
「教育は洗脳」
今回はですね、塾の授業中に思いついたやつです。
さっそくいきましょうか。
中学2年生以上の皆さんなら分かるでしょう。
「教育勅語」ですね。
頭が固い頑固親父とかじゃなくてまだ頭が柔らかくていろんな考えを吸収する子どものときから天皇は神であり、自分たちはその神に仕える臣民であるという考えを定着させる。
いわば洗脳です。
今もそう。
子どものうちから歴史地理公民数学国語理科英語「人権学習」を学ばせて定着させる。
そうするとまったく同じ知識しか持たなくなりますよね。
それが間違っていたと分かるのは歴史学者だとかの様々な分野の専門家が調べたりだとか、日本書紀なんかでどうのこうのみたいな時だけです。
僕たちが受けてきた教育はほぼ洗脳です。
宗教とかもそうですね。
教祖様はどうのこうのーとかいう考えを定着させて歯向かわないようにする。
洗脳ですね。
教育はほぼ洗脳であるということはとりあえずこの記事を読んでいる間だけでも頭に入れておきましょう。
それでは本題です。
なぜ人権学習が「ほぼ洗脳」ではなく「洗脳の塊」なのか。
それは「理屈で語れないから」なんですよね。
まずは法律だとか憲法だとかの話をしましょう。
例えば刑法とかなんやらで人を殺したら罰がありますよね。
人を殺すことを認めてしまうと、どんどん殺人犯が出てきてそこから国家の秩序が崩壊してしまうという明確な根拠がありますよね。
廊下を走ってはいけないというルールはいろんなところでありますよね。
廊下を走ると転けたり急に止まりにくい人とぶつかってしまうかもしれない。明確な根拠ですよね。
では人権学習はどうでしょう。
ここでは人権学習を差別といじめに限定します。
ハンセン病とか水俣病とかいわゆる公害や感染症で様々な人が苦しみました。差別を受けました。
精神的にも苦しみました。
だから差別はいけないよね。
精神的に苦しみましたの部分。
精神ということは感情ですよね。
先程の例えであった法律だとか廊下を走るななどのルールは全て理屈だけで語れるので誰もが理解できます。納得する人が大半でしょう。
ですが差別やいじめ、これは別です。
ではちょっと尖った例えにしましょう。
人を何十人も殺した殺人犯が刑務所から出てきました。
周りの人は当然のごとくその人から遠ざかりました。←捉え方によっては差別ですよね。
皆さん習ったはずです。
人を避けたり仲間外れにしてはいけないと。
もう矛盾してます。
殺人犯を避けてます。上記のことを習ったはずなのに。
結局は人間は本能には抗えないんですよ。
それを抑え込むのが人権学習です。
水俣病やハンセン病患者の方に対する差別は不当である←まあ分かる
殺人犯を避けたりするのは不当である←いやちょっと....
分かりますでしょうか。
水俣病やハンセン病患者の方は悪くないですよね。その人達に対する差別は不当っていうのを私たちは学習しました。それが定着しています。
今つながりましたね。
冒頭部分の理屈で考えなどを定着させることをほぼ洗脳と言いました。
ですがこの水俣病やハンセン病患者の方に対する差別で多くの人が精神的に苦しんだ。もう感情の面が入ってるんですよ。
殺人犯は国家の秩序の崩壊を招きかねないから避けよう。明確な根拠でしかも理屈ですよね。
差別で多くの人が精神的に苦しんだ。
ちょっと曖昧ですよね。しかも感情が入っています。
でも私たちはこの考えに何の違和感も感じない。
いわば洗脳を受けた状態なんですよ。
もう分かりましたかね、感情がちょっとでも入った時点でほぼ洗脳なんです。
人権学習はだいたい感情論です。
洗脳の塊です。
今回の記事の内容はクソでかい釣り針みたいなものです。
不当な差別やいじめは絶対にしてはいけません。
今回の内容に水俣病やハンセン病患者の方々の話題が出ましたが、その方々に対する誹謗中傷は絶対にやめてください。シンプルに犯罪てすので。
後ほどまた記事を更新します。
次はちゃんとした記事ですのでお楽しみに。
おしまい