こんばんは。サボりました。すみません。
人権学習などを通して思うのが、
「差別なんてなくならない」
ということなんです。
昭和の時代からずっといじめや差別をなくす取り組みはされてきましたが、今でもなおなくならない。
それはなぜか?答えはすごく簡単。
不可能だからです。
コミュニティには差別が付き物です。
人同士の相性で関わり方は変わります。
まったく関わらないという人も出てきます。
必ず人によって態度は変わります。
「人によって態度を変えない」
そんな綺麗事を信じて生きている人がはっきり言って可哀想。
誰がどんな取り組みをしても差別はなくなったいないですよね?
水平社宣言なんかは有名ですが、その取り組みでも差別はなくならなかった。
なぜ諦めないのか。
何をしても差別はなくならないって分かり切っているのに。
なぜ何十年も同じ綺麗事を並べ続けてまったく意味のない取り組みをするのか。
そんなことするよりも当事者になって学んだ方がもっとマシです。
自身が経験したからこそ今言っておきます。
「絶対に差別はなくならない」
いじめを経験してから1ヶ月以上経ちましたが、
身の回りは差別で溢れています。
「人によって態度を変えない」なんて不可能なんですよ。
何十年も行ってきたことはほとんど同じ。
やることがまったく変わっていない。
差別をなくすのは不可能ということに気づいている人は少数派です。
多数派の風潮に流されるから差別は起きる。
差別をなくそうという取り組みをする人も多数派です。
一歩間違えたらそれは差別に繋がるんです。
差別をなくすための取り組みをやっている人は、
そのコミュニティ全体の正義感を自分の正義てしているんです。
差別をなくすという人が大多数であればその正義感に染まる。
少数派の人達はどうでしょう。
多数派の行動を俯瞰して、自分の中で思考し、
行動に移す。
起業家なんかもそうですね。社会情勢を見ながら思考して行動する。
差別をなくそうなんて言っている人は少数派ではなく多数派なんです。
なんでそうなるのか。
多数派は元々少数派であり、その少数派の声がクソデカいものだったから、世の中をその正義感に染め上げた。
そして差別はなくせないと考える人が少数派になった。
差別はなくせないなんて言ったらいろんな人の反感を買いそうですが、
反発する人も馬鹿な正義感に染まった可哀想な人とでも思っておきます。
これだけはいつまでも主張します。
「差別なんて絶対になくならない。」
おしまい