こんばんは。今回は自己分析というなの自分語りみたいなものから自論に展開していく記事です。
僕はよく年齢の割に理解力が高いと言われるのですが、それがなぜかを考えたとき、後天的要因がまったく思いつきません。先天的要因が全てを占めていると思うのです。
その先天的要因というのが、観察力と洞察力です。
昔から人が何をしたくて何を言いたいのかをほぼ正確に把握することができました。
もちろん目に見えない部分も。
LINEの文字なんかの文体から感情がだいたい見えてくるんです。
相手の語彙力がなくても相手が言いたいことをほぼ正確に把握して自分の中で理解することができました。
それらのことは何も努力しなくてもできました。
いわゆる「才能」です。
だからなんだと思うと思いますが、
ここからが本番です。
「理解力の高さは観察力と洞察力の高さで決まる」というのが僕の考えです。
どんだけ理解力をつけようと思っても、文章の意味だけの理解力は高まるでしょうが、その中にある感情などは理解できないままです。
相手の文章や言葉、行動から表面的なことなどを正確に読み取る「観察力」、さらにそこから内面的なことまでを正確に読み取る「洞察力」が理解力の高さを生み出しているのではないかと考えました。
ただ観察力だけを鍛えるだけでは、表面的なことしか見えません。
洞察力を鍛えることで内面的なことが見えてきます。
もし先天的にではなく、後天的に理解力がほしいのであれば、
「観察力」と「洞察力」を鍛え上げてみてください。
やり方なんかは、知りません。
こういう記事だけに頼らずに自分で調べて理解するのも、理解力を鍛えることに繋がる「かも」しれませんね。
おしまい