あんにょん。
新たな学びがあったので自分の考えと繋げて記事を書いていこうと思います。
先ほどの客観視の記事と繋げて、相手の立場に立つこと、全ての返答に対応するための言葉選びと対話という学びを得ました。
自分と相手の知り得る情報を知った上で、第三者の目線から、全ての返答に芯が通った応答、対等な目線からの対話ができると、自分の考えや相手の考えを同じくらいの質で伝え合うことが出来るのではないかと考えました。
相手がどのような返答をしてくるかが分からないから、全ての返答に対応するために無難な返答をする→自動的に相手に主導権が渡ることになる。
→その次の相手の返答から自分の返答に繋げ、自分自身が会話の主導権を握る。
これ、普段の会話でとてつもない力を発揮できるのではないでしょうか?
主導権を相手から自分に自動的に渡らせ、相手と自分が快適に会話をする。
それが人間関係の調和を生み出すのではないか?と考えています。
例えば、
相手「映画見に行ってきたんだー!」
自分「おもしろかった?」
はい、この時点でダメです。
なぜか分かるでしょうか?
先ほど解説した通りです。
「おもしろかった?」という返答では、相手の言いたいことを引き出すことができず、双方にとって良い結果になりません。
「おもしろかった?」という返答では肯定か否定の2択したかありません。ではこれはどうでしょうか。
相手「映画行ってきたんだー!」
自分「映画行ってきたの?」
相手「うん!でも思ってたのとちょっと違ったー」
このオウム返し、すごく万能で、この後の相手の話の展開に合わせた返答がすごく楽になります。
話題の固定をし、相手の全ての返答に対応できるのがオウム返しの強みだと考えます。
まとめいきましょうか。
まとめ
・相手と自分の知り得る情報を知った上で、第三者の目線から、全ての返答に芯の通った応答、相手と同じ目線での対話によって、相手と自分の考えを同じくらいの質で伝え合うことができる
→人間関係の調和
・相手の全ての返答に対応できるオウム返しが相手から会話の主導権を自分に渡し、双方が心地よい会話ができる
こんなもんですかね。新たな学びを得られました。また今週中更新すると思います。それでは。
おしまい