EJへ。
まずお別れは言わんよ。
Facebookがあるし、
LINEがあるし、
世界のどこにいても、
EJが何をやってるかわかるしね。
そう思うと、
「 遠距離恋愛 」
も便利な時代になったものだ。
SNSが発達して、
風情がないとは思わない。
時代がそうだから、なんにも問題ない。
ところで、
「 再会 」
ってええ言葉ねって
最近、素直にそう思えるよ。
EJはサニーサイドの横内さんの紹介。
電話で初めて喋ったのは、
俺が海外にいる時。
ロサンゼルスの小高い丘の上のレストランで晩飯食べてる時に、電話で喋った。
時差があったので、夜の22:30くらいだったかな?
礼儀正しい言葉遣い。
でもお世話になった横内さんの紹介ってのも大きかったと思う。
その後、面接して年明けから入社。
EJを迎える事で、俺と福ちゃん、向さんと三人で晩飯喰いながら、ミーティングしたものだ。
あの時、俺たち三人のチームが一度解散になるから、たぶんミーティングしたんだと思う。
その時はヒーローズジャーニーとか知らんかったけど、直感だったんだろうね。
そりゃあ、俺たちは緊張してたよ(笑)
初めて海外の子を迎え入れるわけやし。
言葉は通じるのか?って不安もあったし。
当時、
俺は本当は一生、ミニッシュで働いてくれる子を探してた。
でも、面接してる時に、
「 台湾に友達が欲しい! 」
って思ってしまってんな。
それは震災の影響も大きいかも。
台湾の人達が日本にしてくれたこと。
なんかそんな事を考えると、
運命的なものを感じたんだと思う。
人を雇う余裕のないミニッシュは
大冒険だったと思う。
だって二年で確実に辞める子を雇う余裕がなかったもの・・・。
俺は台湾が好きだ。
大好きだ。
だから、
EJ、母国に感謝な。
国のため、とは言わんけど、
地域のために活躍出来る人間になってよ。
国に名を残すような人間になって欲しい。
闇の送別会の時、EJが
「 こんな僕を雇ってくれてありがとうございました。 」
って言った。
その言葉になんか救われたよ。
立派に日本の事がわかってくれるようになった。
日本語もかなりうまくなったよ。
4月くらいにEJに一度注意した事がある。
「 何しに日本に来たの?
何しにミニッシュに入ったの? 」
って。
それくらいから、ずいぶん良くなったね。
体が動くうちはガムシャラに働け。
BETした分しか自分には返って来ないよ。
どんな誰よりも働け。
その姿勢に共感した人は、
いろんな物をくれる。
これをわからない子が多いのよ、日本には。
ミニッシュでしてしまった失敗、
いっぱい持って、イギリスに行きや。
EJは経営者にいつかなるだろう。
その時は自分を写す鏡はなくなる。
皆がチヤホヤしてくれる。
自分の本当がわからなくなる。
誰も注意してくれなくなる。
これは本当に恐怖。
だからいつでも鏡になってくれる仲間を作ることな。
経営者は孤独ではないよ。
自分で望んで孤独になってるだけよ。
リフレクション。
振り返り、立ち返り。
これを大事にすること。
はだかの王様経営者はいっぱいいてるからね。
勉強出来るのはあと二年しかない!
そう思ったら、二年がいかに短いかわかる。
二年も我慢?
ではない。
二年しかないねん。
常に変わり続けること!
最後に合宿に参加出来て良かったね。
EJの未来に必要なキーワードが
何個も散らばめられてたはずやわ。
いっぱい仕事して、いっぱい遊ぶ。
でも、仕事で遊ぶ事が一番楽しいよ。
イギリスに行ったら、
「 入場料 」
を払いなさい。
台湾に帰っても、入場料を払いなさい。
入場料は高い。
でも払っているうちは、
皆が迎え入れてくれるから。
自分が入場料と思える苦労をきちんと納めること!
日本にたくさんの仲間が出来た。
だから、
いつでも帰っておいで。
その時はスプラッシュ行こう(笑)
いつか、
EJが台湾でカヌーをガンガン売ってくれたら、
嬉しいなぁ。
二回のEJとの台湾の旅。
面白かった。
北京ダックうまかった。
お父さん、お母さんにも感謝してます。
あと、
EJが自転車を二台なぎ倒したのが
面白かった。
三年後、
ミニッシュ社員旅行、
台湾に行きましょう。
その時は頼むよ!
最後に、
EJの最大のライバル。
高本やすおって言ってくれるようになったら嬉しいかな?
そのために俺も頑張ろう。
よき旅を!
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