おはようございますニコニコ

今回のパリ五輪は日本人選手が大活躍。
 
一部の競技を除いて
 
体格的ハンディは無いに等しく
 
大幅なレベルアップを感じます。
 
男子マラソンでは
 
一時トップを走る場面もあり
 
6位入賞には驚きました。
 
スポーツクライミングは
 
見ているこちらにも力が入り
 
他の競技とは一味違う緊張感。
 
しがみつく→落ちる
 
人間の本質的な恐怖に訴えるので
 
そう感じるのかもしれませんが
 
課題の種類によって
 
得意・不得意が出るところにも
 
興味深いものがありました。
 
『身長の低い日本人選手に対する
 イジメだむかっ
 
という意見もあるようですが
 
それを言い出せばキリがありません。
 
同じコースを走ったり泳いだりに
 
身長差は考慮されないわけで
 
バスケットボールのゴール高さも
誰でもダンクできる高さに
下げるべきか?笑。
 
『程度の問題だ!』
 
という意見はありそうですが
 
そもそもルールとは恣意的なもの。
 
文句があるなら
 
参加しなければいいはずで
 
選手本人からの意見ならともかく
 
部外者が文句を言うべきではない。
 
自分中心の視点を改めましょう。
 
レスリングのメダルラッシュも
 
選手強化の結果と言われますが
 
メダル獲得の云々よりも
 
試合を楽しむ選手が多いことには
 
注目する必要がありそうです。
 
本来スポーツとは
 
楽しむものだったはずですが
 
いつしか
 
勝つことが最大の目的となり
 
我慢と根性の世界に変容。
 
その中で
 
試合後に『楽しかったビックリマーク』と
 
満面の笑みで発する姿は
 
新しい時代の幕開けを感じさせます。
 
おそらく
 
応援していた人の中には
 
『金メダルを逃しておいて
 楽しかったなんて言うなむかっ
 
と言う人が一定数いるでしょう。
 
そういう人たちにとって
 
『スポーツは結果が全て』
 
なんだと思いますが
 
それこそが現代人の悪い癖。
 
経済活動では
『利益を出してなんぼ』
 
受験では
『合格しなきゃ意味が無い』
 
結果至上主義が
 
世の中を支配しているのは明らかで
 
その間違いを改めることが
 
人類にとっての最大の課題です。
 
『無駄を出来るだけ減らせば
 出来ることが増え
 その先に成功が待っている』
 
それもひとつの考え方ですが
 
他にも考え方はたくさんあります。
 
人生に必要なものは何か?を
 
考え直すべきでしょう。
 
スポーツに話を戻せば
 
選手本人が楽しかったのなら
 
他人がとやかく言うのは筋違い
 
ですが
 
応援しているように見せかけて
 
自分よりも優秀な人に対して
 
嫉妬しているだけの人も多いわけで
 
批判をすることで
 
自尊心を満たそうとしています。
 
スポーツ選手の頑張りを
 
自分の自尊心向上に
 
利用するべきではありませんが
 
チームとか集団の強さを
 
自分の自尊心の依存先にするのは
 
社会性動物である人間の習性。
 
勝てば大喜びして
 
負ければ罵声を浴びせるのは
 
頻繁に目にする光景です。
 
人間が自尊心を満たすためには
 
支配・成功・美徳
 
この三要素の
 
どれかが必要だと言われます。
 
支配を可能にする権力は
簡単には手に入りません。
 
成功を証明するためには
資産や高評価が必要です。
 
この二つで自尊心を満たせる人は
 
一部の限られた人だけですが
 
美徳で自尊心を満たすなら
誰かを批判して足を引っ張ったり
悪行をした人を言葉で叩けば
誰にでも可能。
 
『私は世の中の悪に制裁を加える
 美徳に満ちた存在だ』
 
人間の脳は
 
上方比較を損失
下方比較を報酬
 
と認識するように
 
進化の過程で設計されているので
 
上の立場の人を蹴落とす誹謗中傷は
 
脳にとっては快楽であり
 
SNSでの批判投稿は
 
手軽な娯楽となっています。
 
キャンセルカルチャーが
 
世界を席巻するのも
 
脳が喜ぶ行為だからです。
 
人間が社会に公正さを求めるのは
 
公正さを欠いた社会では
 
誰も生きて行けないから。
 
売る側は法外な値段をふっかけ
買う側は支払いを誤魔化す
 
仕事の都合で子供を預ければ
誘拐されて身代金を要求される
 
不倫は当たり前で
父親は
誰の子を育てているのか分からない
 
約束は守られず誰もが嘘をつく
 
そんな世の中は誰も望まないので
 
誰もが社会に公正さを望みますが
 
現実の世の中には
 
不公正な出来事が山ほどあります。
 
この状態は「認知的不協和」
 
と呼ばれる心理状態で
 
矛盾した二つの考えを同時に抱くと
 
ものすごく不快に感じられますw。
 
『ズルして儲けたヤツには
いずれバチがあたる』
 
『人気のある芸能人でも
家庭内は乱れていて可哀想』
 
『どんなに貧しくても
家族の愛があれば幸せ』
 
こうして認知的不協和を修正して
 
納得しようとします。
 
『私はタバコを吸う』
という認知と
 
『喫煙は肺がんのリスクを高める』
という認知は両立しないので
 
『愛煙家でも
長生きしている人はいる』
 
とか
 
『喫煙しない生活をしていても
交通事故で死ぬかもしれない』
 
と認知を変えて
 
喫煙を正当化するのも同じ。
 
人間は「自分は正しい」
 
という前提で生きているので
 
認知的不協和が起きるたびに
 
無意識のうちに歪みを修正します。
 
誹謗中傷や批判は
 
自分のダメな部分と
誰かの良い部分に
整合性を持たせることが目的。
 
『世の中には悪い部分があり
私にはそれを指摘する正しさがある』
 
自分の状態を何も変えないまま
 
認知的に優越感を得ることで
 
自尊心を満たそうとするのは
 
とても愚かなことですが
 
気付いていない人が
 
誹謗中傷を繰り返しています。
 
『私は間違っている』を前提にすると
 
重度のうつ病と診断されますが
 
私の場合その一歩手前の
 
「私は何か勘違いしていないか?」
 
という思考で生きているので
 
うつ病にはなりません!笑。
 
世の中で騒がれている事象を見ると
 
多くの人が
 
脳の設計通りに反応して
 
思考していないことが分かります。
 
政治的支配者には好都合ですが
 
一般庶民は
 
永遠に満たされることはなく
 
満たされない状態を逃れるために
 
脳の設計通りに
 
認知的不協和の修正を繰り返すw。
 
この
 
負のループから抜け出すためには
 
考えることが必要なわけですが
 
自分を疑うことができない人には
 
おそらく無理な提案でしょう。
 
「成功」で自尊心を満たしたいなら
 
それはその人の自由ですが
 
徹底的に自分に厳しい人生を
 
選ばなければいけません。
 
それを楽しめることが大前提であり
 
少なくともズルをしたり
 
誰かを利用したりすることは
 
許されないでしょう。
 
一度きりの人生であるなら
 
やりたいことをやるべきですが
 
それと同時に
 
「やらなければいけないこと」が
 
必ず存在します。
 
やりたいことだけして成功するほど
 
世の中は甘く出来ていません。
 
100歳を超えて現役医師として働いた
 
日野原重明先生も
 
ボランティア活動に積極的でした。
 
『”自分は医者だから
他人のために貢献している”
という言い訳は許されません。
”家族のため”も自分のためです。』
 
収入を得る仕事以外に
やるべきことがある
 
そこまで意識を広げられれば
 
自ずと成功は付いてくるでしょう。
 
他人に与えるものが多い人だけに
成功を手にする資格がある
 
私はそう思っていますが
 
多くの人は
 
他人より多く得ることが幸せ
 
と思っているかもしれません。
 
結果至上主義で良いなら
 
どうせドクロ最期が来るだけなので
 
どんな人生を歩むか?など
 
意味が無いことになります。
 
大切なのは結果ではなく
 
途中経過を楽しむことです。
 
 
 
 
 
 
 
 
さて
 
コーヒーちいぜる」で席を譲って
 
ホテルへ向かいました。
 
チェックイン可能の2時間前なので
 
フロントで手続きと支払いだけして
 
すぐ近くの
 
「だいわフルーツパーク気仙」へ。
 
昼食はここでいただくことに。
 
明太子クリームパスタと
 
スープ
 
お手頃価格で
 
普通に美味しかったです。
 
デザートはキラキラパフェ。
 
冷凍フルーツとソフトクリームで
 
冷え冷え~ウインク
 
時間と相談しながらゆっくり過ごし
 
ランチタイム後の「コーヒーちいぜる」へ。
 
お客さんが帰った後だったので
 
マスターとゆっくり話をして
 
夕食はシーフードナポリタン。
 
具材もタップリで濃厚な旨みグッド!
 
『夜はドライブに行きましょう!』
 
と誘っていただきましたが
 
出前の注文が続々と入り断念。
 
私とのドライブなんかよりも
 
売り上げが上がる方が大切です。
 
ドライブは次回のお楽しみ音譜
 
ということで
 
すっかり日が暮れたホテルの部屋へ。
 
翌日には帰るので
 
すぐに寝ましたぐぅぐぅ
 
 
続く
 
 
ではパーまた~