おはようございますニコニコ

政治資金規正法改正案が衆院を通過。
 
内容を詳しく書くまでもなく
 
はなはだ効力が疑わしいのは
 
国民大多数の見解でしょう。
 
政治改革が進まないのは
 
政治家が
 
自身の生活を守りたいからで
 
『それのどこが悪いむかっ
誰だって
自分の生活が大事なはずだ』
 
というのが政治家の本音。
 
『政治には¥金がかかる』
 
それは
 
自分の都合を優先したがる有権者を
 
¥金で操ることが必要だからで
 
『要望を聞いてほしいなら
それなりの¥原資が必要だ』
 
という政治家の要求に応えられる
 
裕福な国民に有利な政治が
 
今も続いている証拠です。
 
『地獄の沙汰も札束金次第』
 
国民がそれを信じているかぎり
 
政治が変わることはありません。
 
それを変えようと思うなら
 
まず自分が
損得に対する執着を捨て
共存意識を強く持つことが必要
 
ですが
 
残念ながら人間は
 
集団で生活する種の生き物で
 
社会的プレッシャーに敏感なため
 
自分だけ違う考えを持つことには
 
抵抗を感じるのが当たり前。
 
世の中に存在するほぼ全ての集団は
 
競争好きで損得に敏感であり
 
集団の構成員である個人が
 
その中で安心感を求めれば
 
『そこそこ良いけど最高ではない』
 
という答えに行きつきます。
 
稀に革命も起きたりしますが
 
革命後の組織内でも競争が起きて
 
権力を手にした
 
裕福になった人だけが救われるw。
 
他集団に勝つことが
 
自分を守るためには最重要であり
 
同じことを考える集団同士で
 
争いが繰り返されています。
 
『自分を守りたい!』という感情が
 
形を変えて現れているだけで
 
イジメ・パワハラ
セクハラ・クレーム…
 
『他人を踏み台にしてでも
自尊心を満たしたい!』
 
と思うことで
 
世の中に不幸が量産されるw。
 
政治の裏金はもちろん
 
大統領の不倫もみ消し
 
芸能人の性的行為強要の有無
 
県警本部長による
警察署内犯罪の隠蔽指示
 
どの案件を見ても
 
焦点がズレているえー
 
としか思えませんが
 
それが人間というものならば
 
せめて自分だけでも
 
そういう世界と距離をとり
 
正しい道を探すことが必要だと
 
私には思えます。
 
6月6日にはミャンマーで
 
サッカー日本代表の試合がありました。
 
ミャンマー代表に大勝しましたが
 
ミャンマーと言えば
 
軍事クーデターで内戦状態の国。
 
ここには違和感しかありませんが
 
応援する私たちの中に
 
ズレがある証拠かもしれません。
 
「戦場で犠牲になる人と自分は
 何の関係もない」
 
本当にそうなのか?。
 
この世界に存在する
 
ほとんどの「正しさ」は
 
誰かが得をするためのものであり
 
自分の信じる「正しさ」も
自分だけに当てはまるものかも?
 
と考えることは必要でしょう。
 
自分の正しさに疑いを持てれば
 
少しは謙虚になれるはずですが
 
多くの人は
 
自分の正しさに自信を持ち
 
疑うことはありません。
 
『政治資金規正法の改正が
将来に禍根を残すようなことは
絶対に避けるべき』
 
という主張もあったようですが
 
この自民党重鎮の考えは
 
自らの正しさを
 
信じているからこその主張です。
 
自信に満ちた姿は
 
魅力的に見えるかもしれませんが
 
少し視点を変えると
 
傲慢にも見えます。
 
ロシアとウクライナ
イスラエルとパレスチナ
 
自分達の正しさを
 
信じて疑わない人たちは
 
戦争を肯定的に解釈しています。
 
戦争を起こす人間と
 
戦争で犠牲になる人間に
 
共通する「正しさ」はありません。
 
それは「正しさ」の解釈が
 
曖昧である証拠です。
 
人間に
 
「絶対正しい」は有り得ない。
 
そこが出発点だと私は考えます。
 
 
 
 
 
さて
 
普門寺を散策した後は「コーヒーちいぜる」。
 
マスターと長話をしたら
 
夕食に醤油ラーメンをいただきました。
 
昔ながらの定番の味合格
 
旅行最終日は早めに出発するので
 
閉店時間でお別れを惜しみつつ
 
ホテルに戻りました。
 
快適な夜を過ごしたら
 
旅行3日目の朝も
 
快晴の青空。
 
6時に朝食前の散歩に出ました。
 
だいわフルーツパーク気仙では
 
温室内での作業が始まっていました。
 
高台にホテルがポツンと見えますが
 
背後には一般住宅もあります。
 
それでも居住者の減少は明らかで
 
将来の展望には不安がありそうです。
 
震災前まで
 
陸前高田市の繁華街だった場所は
 
運動公園やサッカー場などに変更。
 
整備は完了していますが
 
活用されない空き地が目立ちます。
 
震災前の景色を知らない私に
 
その姿は想像もできません。
 
 
散歩をしていると
 
道路脇などにゴミがありました。
 
被災地でもゴミを捨てる人はいるもやもや
 
「ゴミ袋があれば拾ったのに…」
 
と思いながら歩いていると
 
歩道の片隅に
 
真新しい大きなビニール袋がびっくり
 
これはきっと神様からの
 
『ゴミを拾いなさいキラキラ
 
というメッセージ。
 
声は聞こえませんが
 
感じることが重要です。
 
ゴミを拾いながら歩いて
 
震災遺構の公営住宅近くに到着。
 
5階に住んでいて
 
浸水するとは思わないでしょう。
 
この世界では
 
人間の理屈を超えたことが起きます。
 
自分の希望や思い込みが
 
判断に狂いを生じさせることを
 
私たちは謙虚に受け止めるべきです。
 
『じゃあ
何を基準に判断すればいいんだむかっ
 
という意見もありそうですが
 
その発想がすでに
 
世界を自分の理屈で見ている証拠。
 
示される道筋を
 
感じ取る感覚を養いましょう。
 
全国で蛇口盗難が起きていますが
 
それを指示する神様はいないはず。
 
もしも
 
盗難をしたい衝動にかられたら
 
それを誘惑するのは悪魔です。
 
悪魔に従えば行きつく先は…ドクロ
 
想像力を働かせれば
 
道を踏み外すことも減るでしょう。
 
 
散歩で拾い集めたゴミは
 
車に積んで自宅に持ち帰りました。
 
コンビニのゴミ箱に捨てるとか
 
ホテルに置いてくるのは
 
何か違うと思います。
 
私が拾ったゴミは私の物ニヤリ笑。
 
 
続く
 
ではパーまた~