おはようございますニコニコ

岐阜県岐南町の町長が
 
長年の膨大なセクハラ行為により
 
辞職に至りました。
 
謝罪記者会見を見るかぎり
 
当人が納得していないのは明らかで
 
泣いていたのは悔し涙でしょう。
 
役職が上がったり肩書が付くと
 
『今まで出来なかったことが
 許されるようになる』
 
と思う人が多いのかもしれません。
 
役職も肩書も
 
役割分担のタグに過ぎませんが
 
お金持ちになるのと同じように
 
『普通の人では出来ないことが
 出来るようになった!』
 
と勘違いするようです。
 
お金持ちになったとしても¥¥¥
 
高価な買い物が出来るだけで
 
許される行為が
 
増えるわけではありません。
 
やってはいけないことは
 
誰がやってもいけないことですが
 
やってはいけないことをするために
 
多くの人が出世を望み
 
資産を増やそうと必死になります。
 
その象徴的な存在は政治家ですが
 
同じような立場に置かれれば
 
誰もが同じことをする可能性が
 
極めて高いのが現実でしょう。
 
政治倫理審査会が開催されましたが
 
『何となく決まった』とか
 
『キックバックを
してほしいという声があった』と
 
誰が言ったのか?を言わないのは
 
それが全てを崩壊させる
 
入り口になるからでしょう。
 
名指しされた人は反論するはずで
 
「言ってはいけないこと」の応酬にw。
 
疑惑を持たれた政治家が
 
国民が知りたいと思うことを
 
正直に話すはずはありません。
 
それはもっと上の先輩政治家の
 
顔に泥を塗ることになるからで
 
自身の築き上げたキャリアの
 
終焉を意味します。
 
『口裏合わせと言われないように
第三者が元総理に聞いて欲しい』
 
と言っていましたが
 
『怖くて自分からは聞けないあせる
 
というのが本音でしょう。
 
『上の人間には逆らえないw』
 
と感じている人は
 
どんな職場にもいるはずです。
 
『権力の階段を上った自分は特別』
 
という勘違いは
 
自分では修正困難であり
 
政治家の場合
 
選んだ有権者の責任でもあります。
 
上下関係を好み
 
少しでも上になろうとする努力は
 
間違った努力です。
 
注目を集めて人気者になっても
 
ダメなことはダメ。
 
そうは言っても
 
仮に岐南町の町長が
 
ディーンフジオカのような美男だったら
 
『頭をポンポンされちゃった!照れ
『町長室で二人きりになれた!ラブ
 
という反応になるでしょう笑。
 
美男じゃないから肩書を欲する
 
という側面はあるはずで
 
それをモチベーションに頑張るNG
 
セクハラをされる側にも
 
差別意識があるのは間違いない?。
 
そこまで考えが及んでいれば
 
不適切な勘違いは起きないはずです。
 
「美男美女は得をする」
 
というのはよく言われますが
 
そもそも
何をもって美男美女とするのか?
 
と考えると
 
明確な答えを出すのは困難であり
 
統計的な観点で判断をするならば
 
「最も平均的な容姿」
 
と言う他ありません。
 
「整っている」とは「平均的」。
 
平均から外れているから
 
悪いと判断されるだけで
 
そこに優劣は無いはずですが
 
ランク付けが大好きな人間は
 
無意識に優劣を判断しています。
 

学歴は

 
平均より上に突出するのが良し合格
 
とされるわけですが
 
容姿はなぜか平均を好み
 
本当は『好き・嫌い』なのに
 
『良い・悪い』と決めつける。
 
パッチリ目が良いと言っても
目大きければ良いわけではなく
 
小顔が素敵だとされても
バランスが悪ければ意味がない。
 
とても矛盾した感覚ですが
 
これらは肩書や役職と同じで
 
『高評価なら出来ることが増える』
 
という勘違いを引き起こし
 
上納システムを生んだり
 
整形手術も肯定的にとらえます。
 
人為的に容姿を操作するのは
 
規則を自分に都合よく解釈して
 
不正をするのと
 
似ているかもしれません。
 
世間に知られなければ
 
「優越する快感」を得られますが
 
もしもバレた時には
 
大きな批判を浴びます。
 
整形を公表する人もいますが
 
それも単に注目を集めることで
 
自分を特別な存在であるように
 
見せたいからでしょう。
 
岐南町長の話に戻すと
 
出世するほど
自分が見えなくなる
 
というのは間違いありません。
 
肩書を自分だと思い込み
 
特別な存在だと勘違いして
 
行動の制御が効かなくなるw。
 
『私の事は私が一番分かっている』
 
と言う人も多いはずですが
 
客観的な視点が持てなければ
 
それは単なる勘違いです。
 
本当の自分を分かっていたいなら
 
「偉くなるもんじゃない」笑。
 
特に日本の場合
 
肩書で人を評価する文化があり
 
学歴を重視するのもその一例です。
 
会社で出世を繰り返し
 
退職したら肩書はなくなり
居場所を失った粗大ゴミもやもや
 
そうならないために必要なのは
 
「外のものさし」だと言われます。
 
仕事と切り離した自分に
何ができるのか?
 
地域活動でもボランティアでも
趣味でも
 
仕事と関係のない領域での交流を
 
多く持っている人ほど
 
どんな状況に置かれても
 
自分を見失わないチョキと言われます。
 
「○○バカ」とか「○○マニア」
 
と言われるように
 
専門性の追求に高い価値がある
 
という感覚が日本にはありますが
 
それは視野の狭さを引き起こし
 
世間からの視線に気付かず
 
予想外の失態を招くかも?。
 
一時的な利益には有効でも
 
飽きられたら終わりです。
 
美男美女も、いずれ老人にw。
 
年老いても価値がある人とは
 
過去の立派な肩書ではなく
 
ブレない自分を持つ人だけです。
 
揺るがない自分を構築することが
 
私たちの人生には必要です。
 
 
 
 
 
さて
 
2月最後の雨の日曜日。
 
いつもの休日と同じように
 
早朝に1時間ウォーキングをして
 
自宅に戻ったら
 
歩いて15分の所にある
 
コーヒーまたくる珈琲へ
 
カフェラテでモーニング。
 
お気に入りのカフェラテですラブ
 
モーニングセットにキッシュをプラス。
 
定番のゆで卵
 
ベーコン・ホウレンソウ入りキッシュ
 
ベーグルにはいつもクリームチーズ
 
モチモチ食感が最高です。
 
モーニングをいただいたら
 
ここから更に15分歩いて
 
最寄り駅で電車に乗りました。
 
いつもは車で買い物に行きますが
 
雨車を汚したくないので電車で。
 
私が学生の時に開通した路線で
 
名古屋市まで通学に利用していました。
 
地元には赤色や緑色の電車しかなく
 
名古屋市地下と直結するこの路線には
 
このアルミ車両があったので
 
とてもカッコよく見えた記憶があります。
 
豊田市駅に到着。
 
ホームには見慣れた名鉄車両。
 
 
2020年に入院するまでは
 
自宅から歩きと電車で買い物に出る
 
なんて考えられないことでしたが
 
退院後のリハビリから
 
歩くことの大切さに目覚めたので
 
今では当たり前の行動になりました。
 
病気という災難も
 
今考えれば必要な出来事だったかも。
 
車を使う当たり前に慣れきってしまい
 
本来の自分を見失っていたのは確かで
 
自分を客観視できれば
 
思考をアップデートすることで
 
自分の価値を
 
再構築できると実感しています。
 
 
続く
 
ではパーまた~