おはようございますニコニコ

『派閥は政策の研鑽の場として
政策集団としての役目を
さらに活発にしていかねばならぬ』
 
派閥存続を主張する大物政治家は
 
持論を展開して
 
派閥の必要性を訴えていますが
 
以前
『派閥には新人教育の機能もある』
 
と言っていたように
 
『…機能…』ということは
 
他にも役目があるわけで
 
集金や人事介入を
 
完全に否定しないあたりが
 
言葉巧みな政治家らしいところです。
 
そもそも
 
派閥の掛け持ちが禁止されていた
 
ということは
 
政策議論や新人教育よりも
 
集金・人事介入機能が強いことを
 
証明していると言えるでしょう。
 
学ぶ場が多様な方が
 
思考が偏ることなく
 
政策に対する知識もも深まり
 
新人教育にも有効なはずです。
 
にもかかわらず
 
集団の縛りが強いのは
 
『金とポスト』が主目的であり
 
『自分優先』の意識が強い証拠。
 
国民のための政治ではなく
政治家のための政治をしている
 
というのは間違いないでしょう。
 
派閥を解消しない最大の理由は
 
親分の権力を行使したいから!笑。
 
「派閥のトップ」という肩書は
 
周囲に気を使わせ
 
ちやほやされる満足感で満たされ
 
常に上から目線で語ることができ
 
誰に気兼ねすることなく振舞えて
 
責任の回避まで可能です。
 
それは
 
安倍派幹部の態度を見れば明らかで
 
『私は関与していない。
 秘書に任せきりで知らなかった。
 誰が始めた裏金スキームなのか
 全く分からない』
 
その言い訳が通るのが
 
今の日本の政治システムであり
 
『出世すれば
責任を負わなくて済む』
 
という現状を改めなければ
 
不正は繰り返されるでしょう。
 
起訴されて議員辞職した政治家は
 
記者会見の場で
『派閥からの指示だったのか?』
 
と問われ
 
『言えません!』と答えています。
 
『言えません』ということは
 
知っているけど言えないからで
 
派閥幹部から
『しゃべったらどうなるか
 分かってるんだろうなむかっ
 
と脅されていると考えられます。
 
これが自民党の掟。
 
議員辞職した政治家本人も
『政治家として力を付けたかった』
 
と言っていたように
 
出世さえすれば
不正をしてもおとがめなし。
 
自分の力不足が悔しかったはずです。
 
民間企業なら
 
社員の不祥事は幹部の責任であり
 
その原因究明も徹底的に行われ
 
企業倫理は確実に高まります。
 
これと比べれば
 
「政治家のための政治」は明らかで
 
自浄作用など有るはずもない。
 
選んだ国民の責任でもあり
 
「自分優先」で投票先を決めるから
 
『どうせ有権者も同じだろ?』と
 
不正をする政治家が大きな顔をします。
 
「世界を変えられるのは私だけ」
 
政治を変えたいと願うなら
 
自分が変わらなければいけません。
 
政治も経済も
 
『今までと同じ』ではお先真っ暗もやもや
 
台湾の半導体大手メーカーTSMCが
 
熊本県の菊陽町に工場を建設して
 
マンション建築や宅地開発が進み
 
町の景気がバブル状態でウハウハ札束
 
という報道がありましたが
 
はたしてそれが
 
本当に幸せな事かどうか?は
 
20年30年経過してみなければ
 
分かるものではありません。
 
目先の事だけを考えれば
 
幸せな人は多いはずですが
 
目先しか見ない急激な変化は
 
どこかに必ず歪を生じます。
 
過去の高度経済成長を見れば
 
大きな恩恵があったのは事実ですが
 
現在の少子高齢化や経済低迷に
 
無関係ではないことが分かります。
 
そこには格差拡大も含まれるわけで
 
一部で幸せが急拡大する状態には
 
警戒する必要があるのも確かです。
 
『世界が全体に幸福にならないうちは
個人の幸福はありえない』宮沢賢治
 
この言葉を忘れれば
 
いずれ
 
困難に直面するかもしれません。
 
『とにかく私が幸せになれれば』
 
それが自分優先思考であり
 
幸せになれない最大の要因です。
 
家を建てるためには
宅地の地固めが必要です。
 
城を攻め落とすのも
堀を埋めることから始まります。
 
「優先すべきは周囲から」
 
急がば回れですウインク
 
 
 
 
さて
 
津波復興祈念公園からアバッセ高田へ。
 
目的は
 
コーヒーやぎさわカフェです。
 
カフェラテを注文して
 
ジンジャーシロップを購入。
 
バナナワッフルのハーフを追加注文。
 
生クリームとキャラメルソースが
 
スライスバナナにたっぷり!。
 
満足&満足~グッド!
 
 
まだ小雪がちらついていましたが
 
東日本大震災慰霊碑へ。
 
整備されて綺麗になっていました。
 
雪化粧が幻想的。
 
私が陸前高田市に初めて来た
 
2017年の時は
 
海に近い
 
被災した道の駅「タピック45」前の
 
粗末な小屋に置かれていた慰霊碑。
 
立派な社に収まる日が来るとは
 
当時は想像も出来ませんでした。
 
少し懐かしく感じます。
 
高台から見下ろす景色は
 
まだまだ未整備の部分が多いとは言え
 
復興の実感はそれなりにあります。
 
「米沢商会」屋上の
 
水色のプレートが津波到達点なので
 
同じ規模の津波が襲ったら
 
ここも無傷ではいられないでしょう。
 
犠牲者の墓碑銘も設置されました。
 
能登地震犠牲者の実名公表が
 
家族の同意を得て行われました。
 
『残せるのは名前しかない…』
 
と言う遺族の言葉には
 
胸の詰まる思いがします。
 
地震の多い日本だからこそ
 
忘れてはいけない記憶でしょう。
 
ご冥福を祈ります。
 
 
続く
 
ではパー楽しい週末を~