私と母との性にいろどられた原風景といえば・・
 場所は郷里の隣町の映画館。中学三年生の私は「女体の神秘」
と看板の掛かった、その映画館の暗い隅に立っています。その時
、後ろのドアから明かりが広がって、人が入ってきました。巡回
の警官でした。
 制服姿のその大人が巨大な閻魔大王に見えました。するどい眼
光が私の学生服に注がれています。
 交番所に連れていかれました。名前を聞かれ、学校、住所、親
を聞かれ、黒い帳面に書かれました。
 連絡を受けた、母親が駆けつけてきます。「高校に受かったば
かりですから、どうか学校の方には内密に・・」母が必死に頼む
と巡査は大丈夫だ、というように頷きます。
それからの記憶の映像は、母と私が交番を出て、夕暮れ迫る家路
をとぼとぼと歩いているところです。母は黙って、私はしょんぼ
りと・・
 満ち潮にのって、私の乗る、木造の伝馬船は海岸の磯にたどり着
きました。波が岩に砕け散ってます。その波に乗って、船は岩礁に
ぶつかり、舳先が割れました。朽ちかけていたのです。
私はスローモーションのような動きでジャンプしてました。そし
て、波に洗われる岩にしがみついたのです。
ずぶ濡れになった学生服のまま、バス停へと歩きました。早く家
に帰りたかった。喉も渇く、腹も減る。限界でした。見ると食堂が
あります。シーズンオフの、海水浴用の荒れたバラック立てです。
入ると老婆が胡散臭そうな目でこちらを見ています。私は壁に張
ってある献立を指して、定食を頼むと、水道の水をがぶ飲みに飲み
ました。
老婆は少し困ったような顔をしてましたが、しばらくして、熱い
味噌汁と沢庵、生臭い煮魚、冷えて、硬いご飯を運んできました。
飯は少し臭いました。
定食をいっきに腹に収め、バスに乗り、電車の駅へと急ぎました。
母の心配している顔が目に浮かびます。
いくつかの停留所を過ぎた時、急に腹が熱く、さし込んで来ました
。いっきに掻きこむように食べたのが悪かったのか、あるいは?あ
の臭いのする飯か?生臭い煮魚か?胡散臭そうな老婆の目が思い出
されました。思いなしか、うす笑いの口元も・・
「と、とめてください!」 腹を押さえ、運転席に走りました。驚
いた運転手はブレーキを踏み、バスは止まります。出口のステップ
を飛び降りると、近くの叢の中でズボンを下ろしました。激しい音
とともに、一気に飲んだ水と食べたものが一瞬にして地面に落ちま
した。
さっきまでの悪寒は急に引いて落ち着きましたが、しゃがみこんだ
まま立ち上がれません。そのまま、首をのばしてバスの方を見ると、
運転手の気の毒そうな顔がこちらを見てました・・
ここで、記憶は切れてます。壊れた船はどうなったか、持ち主は探
しているだろうなぁ・・母が心配しているだろうなぁ・・帰り道、そ
んな事を考えながら家路をいそいだのでしょう。
 高校生の頃、毎年、クラスの一人の女性に恋をしてました。といっ
ても片想い。何故なら、今では信じられないことですが、我々の時代
、田舎の高校では男女交際はタブーでした。町なかを制服姿の二人づ
れなど、見かけることはありません。そんな事をすれば、好奇の目で
見られ、たちまち噂が立ち、不良者です。  
 しかし、高三の時、早熟で多感な私はつのる想いを抑えきれずに恋
文を書きました。そして投函した(!?)のでした。手渡しの度胸は
なく、彼女の下駄箱に入れるのは汚れるからです。
 結果は、彼女の母親に呼びつけられました。“将来のある、若いあ
なたは今が大事な時です。こんな事に心を乱してはいけません”とい
うような意味のことを云われ、諭されました。
 その日の夕方、遠賀川という、その地方を流れる大きな河の堤防を
むちゃくちゃに歩いていました。  
 気づくと、隣町のそのまた隣町まで来ている。お腹はすく、足は腫
れて痛い。ふと見ると、川べりに小舟が舫ってあります。綱を解いて
、舟底に横たわりました。流れにのって帰ろうと思ったのです。
 そして、自己嫌悪と失意に苦しんでいるうち、疲れがどっと来て、
眠ってしまったのでした。
 目を覚ますと、降ってくるような天の星が光り輝いていました。舟
はゆったりと上下しています。海でした。河口から引き潮にのって流
されているのです。沖合いには漁火、左右の岬の根元に家々の明かり
がキラキラと点滅しています。  
 あわてて、足元の艪を引張りだしました。そして、必死にこぐので
すが、とても流れに逆らっているようでもなく、そのうち諦めました

 やがて、空には星が消え、白み始めたのです。朝でした。幸い、満
ち潮で舟は岸へ戻っているようです。それから、猛烈に喉の渇きをお
ぼえました。たえられない痛みをともなう辛さです。
 その時、沖合いから一艘の小さな漁船が低いエンジン音を響かせて
近づいてきます。「水を、水をください!」波を切って通り過ぎよう
とする、その船の夫婦らしい二人に叫びました。しかし・・  
 「水なんかないぞ!」
 漁に疲れたようすの二人は汚いものを追い払う手つきで、応じまし
た。