不思議
人は当たり前に年を取り、なにもしてもしなくても時間は過ぎていく。
いや、ほんと当たり前なんですけど。
でも今年は少し不思議な気分になりました。
自分と父は誕生日が近いのですが、
父がなくなった後、初めての自分の誕生日を迎え、「ああ、私だけ年をとるんだな」と。
自分の遺伝の半分の存在はもうこの世にいないけど、この世に生み出された自分だけは歳を重ねる。
そして父の誕生日も迎え、
「◯歳までは生きたい」と言っていた切ない願いを思い出すのです。
もう父は年を取らない。
よくも悪くも、その人が「いる」のと、「いない」のでは、全然違うものなのだなと改めて実感。
会わなくても、生きているのといないのでは違う。
関係がすごく悪かった親子関係でしたが、
それでも血縁もやはり縁なのです。
その存在はどうあってもやはり自分に大きな影響を与える。
よくも悪くも。
うん。本当に当たり前の事しか書いていません
去年までならひっかかりもせず過ごしていた事でしょう。
でも今年は自分でも不思議なぐらい、当たり前のことが不思議に感じたのです。
先日、やっと父の靴の一部を処分しました。
なんとなくまだ全部は処分していないのですが。
ふと、「靴を捨てる」ことも、
事実はただ「靴」を「捨てた」だけですが、
人間は物事に感情が乗るから喜怒哀楽が出るんだなと思いました。
先日、自分の靴も処分しましたが、なんとなく後ろ髪引かれる思いがありました。
「高かったのに…もったいない」
「まだきれいだったのに」
「でも全然はいてなかったのにスペース取るから…」
そう感じるからすっきり捨てられなかった。
父の靴に関しては、
「父のもの捨てても文句言う人はいないんだな」
「私が捨てていいんだろうか。私のじゃないのに」
「この靴、よくはいてたな…」
「もうはくことないんだな」
「私が処分するって、なんだか記憶や思い出を自分で消してるみたいだな」
そんな変なこと感じるから思考がおかしくなっちゃうんですが
今まで、当たり前にスルーしてたことすらふとそんなこと思っちゃったりする今日この頃です。
人は感情の生き物だなとつくづく思いました。
自分はいつも自分の感情に振り回されてしんどくなってしまいます。
それこそいろんなことで。
父は言いました。
「あんまり何でも気にするな」
はい。その通りです。
それができず失敗だらけの私です。
なんだか訳のわからないことを書いてしまいました。
今の自分はきっと少しナーバスなんでしょうね。