写真
最近の父の写真がない。
というか多分、10年単位ぐらいでない。
写真自体がほぼない。
撮る習慣がなかったから。
父は入院中に病院で髪を切ったのだが、その姿が1番カッコ良かった。
ヒゲも似合ってたし。
入院中、あまりに具合が悪そうで写真を撮るという発想がなかった。
亡くなってしまって後悔した。
夜中に宣告、私がタッチの差で宣告後に病院についた。
二十分ぐらいでついたのに。
もう少し待っていて欲しかった。
夜間だったので、いつもと違う夜間救急口しか玄関はあいていなくて、よく分からなくて数分ロスした。
それを悔いて、病室についた瞬間、号泣した。
父が目にはいって、その姿を見れば亡くなったことは分かった。
間に合わなかったと私は泣いた。
先生がいることにも気づかなかった。
どうやら宣告後数分後で私が着いたらしい。
間に合わなかったと泣く私に、母は「11時半ぐらいにはすでに心臓がとまっていたみたいだから、間に合わなかったんじゃない」と言った。
この一週間泊まり込んでいた母も旅立の瞬間には気づかなかったらしい。
心電図モニターが病室にはなく、直接看護師さんの待機場所で見れるようになっていたみたいで。
11時頃、母と短い電話をしたのに、その三十分後には亡くなったなんて。
母は、体を伸ばして横になれない父の足元に寄り添って寝ていたが、最後の日は父は意識はなく足を伸ばして寝ていたので(二ヶ月ほどそういうことはほぼなかった)、母は父の横の簡易ベットにいたようだ。
一緒の部屋にいたのに気づかなかった(心電図モニターもなく、音も鳴らないので気づくわけない)と悔やんでいた。
私は私で、その日、意識があるうちに話したかったけど、午前中父が錯乱して大変だったらしく、そんな姿を見せたくなかったようで母からもっとあとでいいと言われた。
早く行きたい気持ちと、ひどい状態を見せたくないであろう親心とで、悩んだが、もう少し泊まり込みも長引くかなと、母のものや父のものを買い込んで結局遅めに病院に行った。
朝、電話越しに父が怒っている声がして、あ、意識があると安心していたのもある。
私はここ数日、父に言いたいことがあったはずなのに、何を言いたいのか自分でもわからず、まとまらず、でも最後になる前に何か伝えたかった。
今日は意識がもって欲しい、そう願っていた。
前日はほぼ意識がなかったが、最後の最後面会時間が終わる時に「帰るのか。気をつけて帰れよ。」と言われ、びっくりしたが「うん。また明日来るからね。頑張ってね。」と言ったら、うんって感じだった。
だから今日も話せると思っていた。いや、願っていた。
結局これが最後の会話になった。
結局錯乱していたらしい父は、私がついた頃には目を開いたまま口をバクバク。
意識はなさそうで焦点もあっていなかった。
その姿に胸がつぶれた。
もう私の知ってる父じゃない。
意識があるうちに何かを伝えることはもう間に合わなかった。
後悔してももう間に合わない。
一度たまらなくなって、聞こえてないと思いながらも、私来てるよーっていったら頷いた。
でもしんどそうだったから、ごめん、寝てるの邪魔しちゃだめだよねー。っていったらまた頷いた。ちょっと笑ってしまった。
意識が戻っていたかはわからないけど。
来るのが遅かった分、いつもより短い滞在になってしまい、面会時間終了前、看護師さんにきいた。
「今日、私も泊まっちゃダメですかね?今日嫌な予感がするんですよね…」
今はコロナもあるし、絶対無理なのは分かりつつダメ元できいた。
「そうですねー…
でも今日ではなさそうな気がしますけど…分からないですが」
「そうですよねー。ごめんなさい。わがままいって」
結局、帰り道、入院グッズとかさらに買い足して帰ったのだが、数時間後には病院へUターン。
宣告時間は日をまたいですぐの深夜。
でも実際に亡くなっていたのは11時半頃。
私は家を離れて県外の母宅(祖母宅)に一緒に来た時点で、父を看取ると心に決めていた。
私が家にいままなら県外だし間に合うわけないけど、一緒についてきたんだから最期まで見送る。
それ以外の結果は全く頭に浮かびもしなかったのだ。
だから最後の最期にまさか間に合わないという結末は私の心に大きくショックをのこした。
意識があるうちに伝えたいことを伝えることも間に合わなかった。
最期の見送りも間に合わなかった。
少し落ち着いて冷静になって、取り乱したことを先生に謝って、今までのお礼を言った。
そこからは看護師さんにエンゼルケア?していただいて、荷物を車に運んで。
夜中の二時過ぎに葬儀やさんがきて、父を連れて帰って…
ほぼ寝ないまま朝に枕経にきていただいて。
号泣しながら銀行と葬儀の靴を買いに行った気がする。
あまり覚えてない。
ひたすらずっと泣いてた。
あんなに辛い日があるんだと思うぐらい辛かった。
母と私二人だけ。
すごく心細かった。
いなくなって初めて父の存在の大きさを感じた。
とりとめもなく書いていたら話がずれまくったが、そう、父の一番かっこいいときの姿が写真にないのだ。
私は悩んだ。不謹慎だと思ってやめた。
正直、遺体の写真を撮ることに今まで抵抗があった。
今思えば、入院中、あんな辛そうな時に写真撮る雰囲気はなかったが、それでも父にお願いして撮れば良かったと後悔した。
家族写真すらない。
でも、このまま父の写真もないまま、もう一生会えないのに、今は当たり前のように思い出せる父の顔も、時間が経てばどうなるだろう。
私のザルな頭は父の姿を思い出せなくなるかもしれない。
そうなったらどうしようと恐怖にかられた。
母に、最近の父の写真が一枚もない。
遺体の写真を撮るのは抵抗がすごくあるが、遺体というより、父の一番かっこいいときの写真を残しておきたいが、やはりさすがに不謹慎だろうか。
本人は嫌だろうか、母も嫌だろうか。
と、嫌がられること覚悟で訊いた。
母は意外とすんなり「いいんじゃない。お父さんにかっこいいときの写真撮らせてねって言って撮らせてもらえば」と言ってくれた。
お許しが出たので、父に詫びてから携帯に数枚写真を残した。
辛くて、見返すことは出きるかしらと疑問に思いつつ。
携帯のデータからこの写真が消えたら困る。
だけど写真に現像する勇気もない。
やはりどんなに残したい父の写真でも亡くなってからの写真なので、印刷していいものかと葛藤がある。
今日やっと携帯のその写真を見てみた。
見慣れた父の顔だった。
なんだか懐かしく感じた反面、私のスイッチは入りまくって涙がとまらなくなってしまった。
お父さん、会いたいよ。
私は結局父の最期に間に合わなかった。
お世話らしきお世話もできなかった。
優しくもできなかった。
後悔しかない。
長年不仲で私が邪険にしていたから父は病気になり私が殺したのかもしれない。
私が最期にできたこと。
それは火葬場でボタンを押したこと。
魂が体から離れるときに見送れなかった分、体がこの世から離れるときは私の手で見送った。
やっと父を見送った気がした。
辛かった闘病生活を忘れたくないと、記憶が鮮明なうちに書き残して起きたいと思っていたけど、できなかった。
書こうとしたけど、記憶が鮮明なうちは書くこと自体が辛すぎて。
そうこうしているうちに、記憶の詳細はいくらかおぼろげになってきてしまっている。
はー。
私あれから別世界にいる感じがする。
家に戻ってきて、少し普通の生活に戻っているはずなんだけど。
仕事もしなくちゃいけないし、自分の人生に戻らなきゃならないんだけど…
しっかりしなくちゃ。